第2話 卯vs巳

 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。

 十二支になぞらえてキョウトに集められた12人のうち巳を割り当てられた彼──梅香は若い頃に負った傷の影響で目が見えない。

 いわゆる視覚障害者である梅香がこの戦いに望むものはもちろん視力。

 彼は盲目の按摩師であると共にその身分を隠れ蓑にした暗殺者。

 つまり人殺しという行為を生活の一部としていた。

 なので望みを得るために11人の競合者を殺すこのイクサには躊躇などなく、最初に発見した獲物がどうやら状況に困惑している様子の少女と気づいても「弱い相手は与し易い」としか思っていなかった。


(人混みに紛れての不意打ちを得手とするワシとしては面と向かった戦いは不利。だが弱い獲物を狩るのには、逃げられないというのは好都合よ)


 事前にルールを把握している梅香は心の中で愚痴をこぼしてから、件の少女──晶に聞こえるように天に問いかける。


「天覧願います!」


 その言葉に呼応して晶が持つスマホには「天覧試合申請 巳」と表示されて、イエス・ノーの応答ボタンが現れた。

 スマホの画面のおかげで背後から誰かが近づいているのに晶は気づいていたとはいえ、急な通知に驚いて反射的に「イエス」を選んでしまうと、周囲にを円形に取り囲む光の壁が出現して二人を閉じ込める。

 どうやら逃げ場はないらしい。


「天覧受理。開始30秒前。発揮用意」


 そして光の壁が整い終わるのに合わせて、天空からは開始を予告するカウントダウンが流れてきた。

 気がつけばキョウトに放り込まれていた晶には急に開始された謎のアナウンスにも困惑しかないが、この天覧を仕掛けた梅香の顔を見て彼女は覚悟する。

 白目を剥いていておそらく盲目であろう彼は見るからに自分を殺す気に満ちていて恐ろしい。

 おそらく天覧というのはこの光の壁に囲われた状況で行う一対一の殺し合いであり、開放されるためには最悪相手を殺す必要がありそうだ。

 そして一度開始してしまった以上はおそらく決着がつくまでここから出られない。

 晶はこれからあの盲目の男と殺し合いをする必要があると察した。


(反射的に「イエス」を押すんじゃなかった)


 彼女が不用意な選択を後悔しても時すでに遅し。

 こうなったらやるしかないと、左手は鯉口を握る。


「開始する前に一ついいかしら」


 アナウンスが残り5秒を切った状態で晶は梅香に問いかけた。

 返事には期待していないが、こんな状況であるからこそ気持ちの整理をつけるために。


「何かな?」


 一呼吸おいて、アナウンスが開始を告げるタイミングにて梅香は晶の問いに反応を示した。


「これからアナタがあたしを殺そうとしているのは見ればわかる。だけど天覧って何よ。そもそもここは何処?」

(女性なのは気配の通りだが予想以上に若い声だ。それに今、ワシでなければ気づけないほど微かに聞こえたのは鯉口を切った音か? 心の臓が依然として早く脈打っているのは困惑の合図に相違ないが、この状況で此処が何処かとたずねるか)

「カカっ!」

(まな板の上の鯉かと侮ったが、女だてらにやる気ではないか。兎のクセに女狐めいた童よ)

「ワシの殺意で天覧が一対一の殺し合いだと既に見抜いているではないか。ならば今更ワシに何をたずねることがある。ヌシにも天からの約定書が届いておるだろう。それを読めばあらかたのことは書かれておるわ」


 約定書と言われて晶に思い当たるのはスマホを独占するアプリだけ。

 だがスマホの画面を操作したらその隙に彼は襲いかかってくる。

 晶はそんな予感がしていた。


(いくらスマホで調べられると言われてもこの状況じゃ見ている暇もないじゃない)

(どうやら童の片手は何かで塞がっておるな。おそらく約定書。目が見える者には巻物にでもして渡したのか。ああ……羨ましい)


 少し近づいたことで気配から晶の右手がスマホで塞がれていて刀を抜けないことに気付いた梅香は、攻める気配を伺って滲みよる。

 晶も相手の思惑に気づいてはいるが、このままスマホを懐に入れようとすればそこを突かれると直感して動けない。

 逃げようにも光の壁は通り抜けできなさそうだ。

 残る手段はこのスマホを投げ捨てることだが、彼が約定書と呼ぶこのスマホが使えなくなったら帰る手段にも困りかねない。

 そんな躊躇をして足が居付いていた彼女の隙を梅香は見抜いた。


(もう投げつけようとも手遅れよ)


 盲人とはとても思えない歩速で踏み込んできた梅香は晶も胸元に近づく。

 瞬間移動と見間違えるほどの接近とともに杖から引き抜かれていた仕込み槍の穂先が晶の胸元に突き立てられた。

 仮に彼女の胸が豊満であれば既に乳房に傷ができていたであろう。

 着物の生地に穂先がかかる手応えに梅香は勝利を確信する。

 あと半歩も進めば穂先は心臓に届いて童の命を奪うハズだと。

 だが再三指摘している通りに盲目の彼は全てが感覚頼り。

 その感覚を肋骨を駆け巡る激痛が狂わせた。


「おごぁ」


 江戸時代の暗殺者である梅香とは異なり、現代に生きるいわゆる普通の女子高生である晶には人間を斬った経験はない。

 いくら技術としての居合抜きを身に着けていようが、一般的な現代の日本人では他人の命を躊躇なく奪えるのは異常者に分類されるだろう。

 もちろん晶も日常が血の匂いに包まれていた梅香とは異なり人殺しに対しては正真正銘の処女。

 それでも彼女は目の前に迫る盲目の男が初めての相手になろうとも構わない気概で愛刀を引き抜いていた。

 手裏剣代わりに投げつけるのではなく手首のスナップで空中に軽く放り投げるに留めて右手を開けて、そのまま拝むような動きで鯉口を切った柄本を迎え入れて刀を真横に引き抜く。

 彼女の腰に携えられた刀の長さは3尺強1メートル弱と標準的な打刀の範疇であるのだが、特殊な方法で鍛えられたその刃は非常に重い。

 晶が見た目通りに平凡な現代の女子高生であれば当然振るうことすら叶わない一刀は空間すら切り裂く。

 梅香はそれが腰に当たったわけだ。

 普通の人間を切ることは初めてでも化け物を切ることには慣れている普通ではない女子高生。

 彼女は駆け出しとはいえ化け物退治の専門家である以上、人殺しという一種の化け物である梅香とは相性が良かった。


(この激痛……まさか切られた? 右手には約定書が握られていたハズだ。仮に左手一本の逆手抜きで切ったにしても、この重みは女性の腕力ではありえぬ。ならば約定書を投げ捨てて、右手で刀を抜刀し、全身を使って振り抜くまでを、ワシがあと一歩踏み込むまでの合間にやったというのか? 過去にあの間合いに入ってからの反撃に成功した男などおらんというのに。ワシ自身、穂先が捉えた状態では音に聞く秋山某という大剣豪でも間に合わんと自負していたというのに)

「お主……本当におなごか?」


 意識を失う寸前、梅香は晶に問いかける。

 それは自分の常識を超えた速度での抜刀一閃を行った晶が本当に女性なのかという疑問。

 盲目故に見た目で判断できない彼が思い至った晶のカウンターが成功した理由が、左腕だけ異様に発達した、逆手抜き抜刀に特化した特殊な剣士であるという仮説。

 その仮説では女性の細腕では到底これだけの重い一撃は不可能だと考えて性別をたずねていた。

 梅香には晶のもつ女性的な魅力を貶したつもりなど毛頭ない。

 人殺しではあるが化け物の相手などしたことがない彼の常識で測った晶の姿が化け物めいた異形の剣士に他ならないだけだった。


「失礼なおじさんね。見ればそんなの……いいや、ごめんなさい。貴方は目が見えないようね」


 晶は謝るが梅香から返事はない。

 そのまま彼は意識を失っていた。

 だが天覧はまだ終わっていない。

 そもそも脇腹から横薙ぎに切られたハズの梅香が即死せずに晶の正体について考察できる時間があったことが一種の奇跡的状況の賜であろう。


「それにしても約定書か……今ので壊れないあたり、なにかの術なのでしょうね」


 そう言って梅香の脇腹に食い込んでいたスマホを晶は取り上げた。

 このスマホは抜刀の寸前に手放した彼女のモノ。

 それが梅香の脇腹に刀が当たる際にクッションとして紛れ込み、両断されるところだった彼の命を救っていた。

 普通に考えれば人骨すら楽々と両断できる一撃をスマホが受ければ簡単に壊れてしまう。

 だけど約定書と思われるアプリに独占された今の彼女のスマホは不思議な力で護られていて傷ひとつ負っていなかった。

 それによく見ればバッテリー残量も100%で固定されて減る気配がない。

 まるで時間が止まっているかのようだ。


「まだ周りを囲っているやつが消えないあたり、天覧ってのは終わっていないようね。殺せば勝ちらしいけれど他に方法はないのかしら」


 晶は一旦、梅香との距離を取ると天覧の詳しいルールを知るためにスマホを弄りだした。

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