放課後文芸部百合キス実験

「キスをしよう」

 放課後、文芸部の部室にて、私の読んでいた文庫本を取り上げるなり先輩はそう言った。

 まず第一にいだいた感想は『人の読んでる本を勝手に取り上げるな、せめてしおりぐらい挟ませろ』で、それから第二にいだいた感想が『何言ってるんだこの人は、きちんと事情を説明しろ』ということだった。

 まあ文芸部の癖になぜか白衣を羽織ってふんぞり返っている彼女に今さら苦情を言ったところでしかたがないとわかっているので私はとりあえず先の提案について説明を求めることにした。


「どういうことですか?」

「そのままの意味だよ。君と私でキスをしよう」

「多少わかりやすくなりましたがまだまだ事情がのみこめませんね」

「順を追って説明した方がいいかな」

「順を追って説明した方が非常にありがたいですね」

 先輩は腕を組むと、いろいろ小さい人なのでそれで強調されるような胸部はないけれど、目を閉じひとしきりうーんとうなってから、ピンと指を一本立ててみせた。


「創作物においてキスが気持ちいいというような描写がある」

「ありますね」

「あれは嘘だ。厳密にいえば正しくない」

「ほうほう」

「唇は性的な快感を生みだす器官ではない。接触によって快楽を感じることはない」

「確かにそうですね」

「故にキスにより快感が生じている描写があったとすれば、それは作者による大げさな表現か、あるいは気持ちが高ぶっているためにそう感じているだけということになる」

「なるほど」

「この仮説を検証するために、まったくこれっぽっちも恋愛感情のない2人の間でキスをした場合どうなるのか、実験してみたいと考えたのだ」


 また面倒な理屈をこねくりまわす人だなとは思ったけれど、提案を受け入れるかどうかはさておくとして、ひとまず話の筋だけはよくわかった。

 これは文芸部の活動に関係があるのだろうか? あると言えばある、ないと言えばない。

 いやもともと私と先輩の2人で放課後本読んだりだべったりするだけで、熱心に活動してるわけじゃないからそこのところはどうでもいいかな。

 つまりは問題は私個人の気持ちということになる。正直なところちょっと興味ある。女の子とキスしたことないし、まあ男の子とキスしたこともないんだけど。


 私と先輩の間に恋愛感情はない、これも正しい。

 毎日文芸部で会ってることだし、この学校で私が一番親密なのはだれかと言えばこの先輩ということになるが、恋愛とかそういうのとはまったく違う、と思う。

 そのあたりのことは経験不足で断言できないだけで多分おそらくそうだ。

 時間をかけてじっくり子細に検討した結果の答えを私は口に出す。

「いいですよ」

「ありがとう。きっと君なら協力してくれると思ってたよ」

「キスしてもいいであってキスしたいではないので悪しからず」

 言った後でいらない注釈だったかなと思ったけれどまあいいや。深く考えるのはやめとこう。


 先輩は私より背が低い。向かい合って立てば自然、私が見下ろす形になる。

 セミロングの黒髪をゆらしてとてとて歩み寄ってくる。くりっとした目が上目遣いに私を見つめている。

 その姿はとてもかわいらしいと思う、ただし小動物的な意味で。

 これからする行為を思い描いてどうしても先輩のちっちゃくて柔らかそうな唇に目がいってしまう。

「ちょっと待ってください」

 ふと不安になった。私の唇は乾いてがさがさになっていやしないか。

 リップクリームをぬりなおす。これでよし、問題ないはずだ。

 改めて向かい合うと余計に緊張してきた。時間をかけるのはよくない。勢いでやってしまえ。


 肩をつかむと華奢な体がびくんと大きく跳ねた。先輩は目を閉じる。

 言い出しっぺの人がなんで受け身になってるんだろうかと一瞬ちらっと考えたけど気にしないことにする。

 触れてみてわかったけれど先輩はふるふると震えている。つま先立ちしているせいだろう。

 なんか素でかわいいなこの人、繰り返すがあくまで小動物的な意味で。

 ゆっくりと近づいていく。柑橘系の甘い香り。もう1年以上の付き合いになるけどはじめて気づいた。

 長いまつ毛。吐息が頬に触れる。心臓の鼓動がやばい。

 息遣いが荒い。私だろうか、それとも先輩? 2人ともかもしれない。

 ――私は先輩とキスをした。


 どれぐらいの時間そうしていたのかよくわからない。気づけば夕陽がさしていた。

 すでに呼吸は落ち着いている。痛いくらいの心臓も収まっていた

 堅い椅子の上で脱力する。結局私はどう感じたのか? 明確に言葉にするとまずい気がする。

 言葉にすることで整理できるものもあれば、言葉にすることで変形してしまうものもある。多分これは後者だろう。今それに形を与えるとそれがそのまま答えになってしまう。そんな危うい直感。

 先輩はといえば私に背を向けたままぶつぶつと1人で何か考えているようだ。彼女の耳が赤く染まって見えるのは夕陽のせいかそうでないのか私には判別がつかない。

 ようやく結論がでたのだろう、くるりと私の方を向いて先輩は言った。

「追加実験が必要だと思うのだがどうだろうか?」

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