第3話「秘書ベロスのわんだふるな一日」
ベロス「お姉ちゃーん!こんにちわんだふる!秘書のベロス、ただいま出勤しましたっ!」
今日も元気いっぱいに事務所のドアを開ければ、そこにはやっぱり、山積みの書類とにらめっこしている大好きな「お姉ちゃん」、グレーケル社長の姿があった。
グレーケル「……ベロス。おはよう。今日も元気でよろしい」
ベロス「うん!えへへー!お姉ちゃん、今日もすっごく可愛いね!大好き!」
わたしは駆け寄って、ぎゅーっとお姉ちゃんに抱きついた。お姉ちゃんは「こら、仕事の邪魔よ」なんて言いながらも、優しくわたしの頭を撫でてくれる。太陽みたいな、あったかい匂い。わたしはこの匂いが大好き。
ベロス「お姉ちゃん、お仕事大変そうだね!わたし、何か手伝うことあるかな?」
グレーケル「そうね……じゃあ、この請求書の束を日付順に整理してもらえるかしら。頼んだわよ」
ベロス「わん!おまかせわんだふる!」
わたしは受け取った書類の束を、くんくん、と匂いを嗅いでみる。
ベロス「ふむふむ、こっちはインクの新しい匂い!こっちはちょっと古い紙の匂い…。うん、完璧!」
匂いで日付を判断して、完璧に並べ替えた(つもり)。
グレーケル「ベロス、ありがとう。……でも、どうして去年の請求書が一番上に来ているのかしら……」
ベロス「えっ!?うーん、一番おいしそうな匂いがしたからかなあ?」
グレーケル「はぁ……。いいわ、私がやるから、あなたはお茶でも淹れてきてちょうだい」
ベロス「わん!ベロス特製わんわんティーだね!」
わたしは張り切って給湯室へ向かった。お姉ちゃんのため、とっておきのハーブと、わたしのおやつ用の犬用ガムをブレンドする。きっと元気が出るはず!
そんなわんだふるな日常を送っていると、ポケットに入れていたスマホがぶるぶると震えた。
ベロス「あ、メールだ!だれかなー?」
画面に表示されたのは、わたしの可愛い可愛い、いとこの名前。
ベロス「コユキちゃんだ!わーい!」
メールを開くと、そこには雪のように白い髪をした、犬耳の女の子……コユキちゃんが、屈強そうな仲間たちと楽しそうに笑っている写真が添付されていた。
『ベロスちゃん、元気?こっちは今日も冒険日和だよ!』
ベロス「コユキちゃん、元気そうでよかったー! 今度また一緒にお散歩行きたいな!」
コユキちゃんは、わたしとは違う「モザイクプロダクション」っていう事務所で頑張っている。 遠くにいても、こうして連絡をくれるのがすっごく嬉しい。わたしも負けてられないぞー!
グレーケル「ベロスー、お使いを頼んでもいいかしら?新しい胃薬を買ってきてほしいの。いつものが切れちゃって」
ベロス「わん!すぐに行ってくるね、お姉ちゃん!」
わたしは元気よく返事をして、事務所を飛び出した。
太陽が気持ちいい。街はいつも通り、色々な音と匂いで溢れている。パン屋さんの甘い匂い、お花屋さんの優しい匂い、車の鉄の匂い。
ベロス「(クンクン……)」
わたしは、犬みたいだってよく言われるけど、鼻が利くのは本当だ。人の感情も、なんとなく匂いでわかるんだ。嬉しい匂い、楽しい匂い、怒ってる匂い、悲しい匂い。
ベロス「あれ……?」
ふと、足を止めた。
なんだろう、この匂い……。いつもの街の匂いと、何かが違う。
公園の方から、子供たちの笑い声が聞こえる。楽しそうな声。でも……。
ベロス「(クンクン……クン……)」
おかしい。
笑い声がするのに、そこから発せられるはずの「嬉しい匂い」や「楽しい匂い」が、全然しない。
匂いのしないわたあめみたいに、なんだか、すっかすか。
わたしは心配になって、公園の中に入ってみた。
砂場で遊んでいる子、ブランコに乗っている子、みんな笑っている。でも、その笑顔は、なんだか貼り付けたみたいに見えた。
ベロス「ねえねえ、キミたち、どうしたの?何か悲しいことでもあった?」
わたしは、砂場で遊んでいた男の子に話しかけた。男の子は、にこーっと笑ってわたしを見る。でも、その瞳は何も映していないみたいに、空っぽだった。
男の子「ううん、なにもないよ。すっごく楽しいよ」
ベロス「……え?」
楽しい、って言ってるのに。嬉しいはずの匂いが、全然しない。それどころか、なんの匂いもしない。空っぽの匂い。
そのちぐはぐな感じが、なんだか無性に……。
ベロス「……こわい」
わたしは、生まれて初めて感じるような、ぞわっとした気持ち悪さに、思わず後ずさった。
何かがおかしい。この街で、何かよくないことが起ころうとしている。
わたしは胃薬のことも忘れて、一目散に事務所へと駆けだした。
ベロス「はぁ、はぁ……!お姉ちゃん!大変だよ!!」
息を切らして事務所のドアを開けると、お姉ちゃんがびっくりした顔でわたしを見た。
グレーケル「ベロス!?どうしたの、そんなに慌てて。お使いは?」
ベロス「それどころじゃないの!お姉ちゃん、聞いて!街の匂いが変なの!」
グレーケル「匂いが……?また何か変なものでも食べたの?」
ベロス「ちがう!そうじゃなくて!みんな笑ってるのに、楽しい匂いが全然しないんだ!嬉しい匂いもしないの!空っぽの匂いがするんだよ!」
わたしの必死の訴えに、お姉ちゃんは最初、いつものわたしの天然発言だと思ったのか、困ったように眉を下げた。
グレーケル「ベロス、落ち着いて。匂いがしないって、それは……」
でも、わたしの真剣な目を見て、お姉ちゃんの表情がだんだんと変わっていく。
ベロス「ほんとだよ!嘘じゃない!公園にいた子たち、みんな笑ってたけど、なんだか……お人形さんみたいだったの!」
グレーケル「……人形……?」
お姉ちゃんは、わたしがただ冗談を言っているのではないと、ようやく察してくれたみたいだった。その美しい顔から、いつものような疲労の色とは違う、険しい光が浮かび上がる。
グレーケル「ベロス、詳しく聞かせなさい」
わたしは、この時のお姉ちゃんの真剣な顔を、きっと忘れない。
わたしたちのカラフルな日常が、静かに、でも確実に、色を失い始めていた。
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