クラゲと人魚
兎骨
第1話 邂逅
ふよふよと、海の上を漂う一匹のクラゲがいました。それはただいつも通り波に流されて、腕に引っかかった獲物を絡めとって、ゆっくりじっくりと食べる。そんなふうに生きていました。
いつも通りいつも通り、獲物を食べていました。けれど、クラゲは何かがおかしいことに気がつきました。
クラゲには考える脳がありません。心臓もありません。だから、おかしいと思ったことそのものをおかしいと思いました。じっと集中すると、周りが見えるようになりました。目も無いのに周りが見えるのです。風の音が聞こえました。耳も無いのに音が聞こえるのです。いよいよ何がなんだかわかりません。
ふと自分の腕を見下ろしました。何かが絡みついています。きっとさっき食べ始めたものです。
そこには人魚がいました。それはクラゲが初めて見た、美しいものでした。思わず見惚れました。
人魚はぐったりと眠っていました。クラゲは人魚をこうしてしまったのが自分であることにようやく思い至りました。慌てに慌てて、恐ろしくなりました。こんなに美しいものに、わたしはなんてことをしてしまったのだろう。
幸い、人魚にはまだ息がありました。クラゲは必死になって人魚を運びました。初めて波とは違う方向へ行きました。
クラゲは浜辺に程近い岩場に人魚を寝かせました。クラゲは星空に浮かぶ月を見ました。クラゲが見たふたつめの美しいものでした。
クラゲは月へと祈りました。どうかこの美しいものをよみがえらせてください。どうか、どうか。
祈りが通じたのか、しばらくして人魚は目を覚ましました。クラゲは繰り返し繰り返し、人魚に謝りました。人魚はたいそう驚きました。
「どうしてクラゲがしゃべってるの?」
なんでだろう、とクラゲも首をかしげました。
クラゲと人魚は友達になりました。
長い間、海を一緒に泳ぎました。暑い時と寒い時を幾度か繰り返しました。
クラゲは不死です。体が衰えると、小さくなってまた赤ん坊から生まれ直すのです。人魚はいつも、岩場の陰で生まれ直すクラゲをじっと待っていてくれました。
人魚は歳をとりませんでした。出会った時から少しも変わらぬ姿でそこにいました。どうしてなのか訊いてみると、ただそういう生き物だからなのだそうです。クラゲは心から、人魚のことをすごいと思いました。
人魚は歌が好きでした。月の出ている晩は、さざ波に合わせて、クラゲの知らない歌を聴かせてくれました。クラゲに声は出せません。ただ心の波を直接相手に届けることができるだけです。いつか、人魚と一緒に歌いたいと思いました。
人魚はお話が好きでした。クラゲが見たことの無い、人間のことや、村や山、美味しい食べ物のことを教えてくれました。いつか、人魚と一緒に見たいと思いました。
ある晩、人魚が言いました。
「昔ね、親しかった人間が教えてくれたの。クラゲって、海の月なんですって。」
月?わたしが?
クラゲは月を見上げました。自分があんなにきれいなものに例えられるだなんて信じられませんでした。
「うん、そう!あなたは月よ!」
人魚は深く潜りました。ちょうどクラゲの体を透かして空の月が見えるように。人魚の目に映るクラゲは、まるで光を纏っているようでした。
「だって、こんなに輝いているんだもの。」
なってもいいの?わたしなんかが、月に。
「もちろん!あなたのなりたい姿になるの!」
なりたい姿……。わたしの一番なりたいもの……。
それは目の前にありました。
クラゲは生まれ直す度に、少しずつ大きくなりました。手が生え、頭のようなものができました。姿が少しずつ、人魚に近いものに変わっていきました。岩陰から生まれてくる新しいクラゲを、人魚は毎回嬉しそうに見てくれました。その笑顔を見る度に、クラゲの中に温かいものがたまっていくのを感じました。
もう、自分が普通のクラゲではないことはわかっていました。こんな気持ちになれることが、幸せで幸せでたまりませんでした。
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