不思議な話

藤宮史(ふじみや ふひと)

第1話

 平成二十二年三月十七日の話である。

 私が、インターネットのテレビ欄を見ながら、〈ああ、もう相撲すもうがはじまるな〉と思い、台所に水を飲みにゆくと、台所にいた妻が、

 「ええ、もう大相撲おおずもうがはじまりだしてわね」

 と言ってきた。私は怪訝けげんな気持ちになり妻にいてみた。妻は、私が「もう大相撲おおずもうがはじまりだしたな」と言ったから、それに返事をしたと言っているが、私は妻に話しかけたりしていなかった。




 平成二十二年四月四日の話である。

 私と妻は、夜間に自転車に乗るときは小型の蛍光灯型懐中電灯を自転車の前籠まえかごのなかに入れて常用していた。

 る日、妻とふたりで、それぞれの自転車に乗り阿佐ヶ谷の街に遊びに出掛けたときのことである。

 夕暮れ時になり、辺りが暗くなりかけて私だけ先に帰宅することになった。妻は街に残って夕飯の買い物をしてから帰ることになり、私は、その日にかぎり私だけ持参していた懐中電灯を青い肩掛けかばんから出して妻に手渡した。

 一時間程したのち、妻は自転車で帰宅した。しかし、話を聞くと懐中電灯を失くして無灯の自転車に乗って帰ったと言った。安い物ではないし、妻の粗忽そこつしかりながら、再度妻のかばん、私のかばんを調べてみた。

 すると、妙なこともあるもので私のかばんの中から懐中電灯が出てきた。たしかに私は、自分の肩掛けかばんから懐中電灯をつかみ出し、妻の方へと差し出した記憶は、連続した映像のように鮮明にあった。妻は懐中電灯を手で握り、それを妻の手提げかばんの中へと仕舞しまってゆく。私は妻が懐中電灯をかばんに入れる瞬間をもコマ送りの映像のように覚えていた。

 妻にくと、やはり懐中電灯は受取り、だからてっきり失くしたものと思ったと言った。




 平成二十二年四月七日の話である。

 私は、テレビを見ながら、る女性タレントたちに対して、ふと〈不幸な女たちシリーズ〉と唐突とうとつ脈絡みゃくりゃくのないことを心のなかでつぶやいていた。

 すると、よこでテレビを見ていた妻が、まったく同じフレーズの言葉を口にしたのであった。




 平成十一年九月中旬頃の話である。

 いまから思えばN先生との邂逅かいこうは、随分まえから決定されていたようである。

 私は先生の夢を見ていた。夢を見た時期は定かではないが、平成三年から六年の間であった。

 夢の内容は、先生と私は路地ろじを歩いていた。ゆったりした心持であったから散歩であったかもしれない。路地は暗渠あんきょで道の片側はコンクリートの万年塀まんねんべいであった。私はそこを歩きながら理由のわからない閉塞感へいそくかんを覚えていたが、先生は突然、

 「時間軸じかんじく云々うんぬん・・・」

 と、判然はんぜんとしないことを話された。私は何のことかわからなかったが夢はそれだけであった。先生の出てきた夢は、そのときが初めてで、その後も見なかった。

 私の夢の中へ先生は突然現れたが、それまでに私は密に先生の作品を敬愛し私淑ししゅくする気持ちがあり、それが夢にでたと思った。もっとも、先生と私をつなぐものは、そのときには何もなく夢の内容は荒唐無稽こうとうむけいの感がつよかった。であるから私は先生の夢の中への出現に戸惑いと面映おもはい気持ちで有り得ぬこととしてすっかり忘れていた。

 そして、平成十一年九月中旬頃に、夢のり合わせのようなことが起きたのであった。

 N先生が、私のアパートの部屋を訪ねて来るなど思いつかぬことであった。しかし、私は先生に銅版画の手ほどきをして、私は先生の銅版画制作の助手をつとめることになった。

 その日は、先生は二点のちいさなエッチングを作られて帰宅された。帰宅に際して私も同伴させていただき早稲田通りを東に歩いて、る路地に入っていった。閑静かんせいな住宅街になり小学校の校舎が見えた。その校舎の脇に、暗渠あんきょになっている路地ろじに先生は進んでいかれた。

 その場所が、私の夢に出てきた場所であった。私は急激に眠っていた記憶がよみが戦慄せんりつした。そして、次の瞬間、先生は、

 「時間軸じかんじくのうんぬん・・・・・」と、やはり判然はんぜんとしないことを話された。




 平成二十二年十一月下旬頃の話である。

 私は、いつものように野菜ジュースを飲もうと台所へゆき、1リットルサイズのペットボトルの野菜ジュースのボトルを、中のジュースを撹拌かくはんしてから飲もうと思い、上下にボトルを振った。

 いつもなら問題はない。しかし、その日はボトルのキャップがはずれていて、台所一面野菜ジュースにまみれになった。勿論もちろん、私はキャップをはずしていない。それにキャップが無くなっているのであった。





 天蓋てんがいかざり金具                


 秋の日曜日に、私たち、父、母、私、兄の家族四人は、随分久しぶりに集まって伊豆の寺院で墓の開眼かいげん供養くようをおこなった。

 天気予報では、その日は雷雨であったが、曇天のまま墓所での和尚おしょうさん立ち合いの儀式は順調に終わり、本堂の御本尊脇の座卓で和尚さんと膝をまじえてお茶を頂いていた。

 和尚さんとは、私たち家族はほとんど初対面であったのでいろいろと話をうかがい、さまざまに話題はかわり、いつしか親と子、家族とうものに話は移っていった。和尚さんは、ご自身の体験を語られ、それは母親の闘病に関する話になった。

 和尚さんの父親は、和尚さんが小学生のときに早逝そうせいされ、母親は随分苦労して二人の子どもたちを大学まで進学させたそうである。そうう母親であったので姉弟とも看病するにしても苦はなかった。

 しかし、ひと月、ふた月と入院がながびき、しかも認知症の傾向もあらわれ、妄言もうげん徘徊はいかい行動があらわれだすと不平な気持ちもではじめたそうである。

 そのことを和尚さんが話した瞬間であった。

 ガシャンと、突然、大きい音を立てて御本尊ごほんぞん前の読経どきょう用の座蒲団ざぶとんの上に、天蓋てんがいの飾り金具が落ちてきたのである。それはこぶしほどの寸法があった。

堂内どうないはまったくの無風であったが天蓋てんがいはゆっくり右に左に揺れている。しかし、御本尊前の蠟燭ろうそくの火は微動もしていなかった。

和尚さんは、大きな音にも一瞥いちべつもせず話をつづけられ、御本尊側に向かって坐っていた私たち兄弟は怪訝けげんな気持ちになった。



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