Satorare :Dawn of Zero
秦野 駿一
第1話
恐らくその能力は生まれ持ってあったのだろう。しかし私は27歳まで気付かなかった。
中学時代、麻原彰晃のオーム真理教の話が世間で騒がれていた。そんな中、人ごとの様に私たちはただただ面白おかしくそのニュースを毎日見るだけであった。そして麻原彰晃が捕まってことが収拾すると何人かから「お前のようなやつが宗教を作るんだ」と言われた。今思えば「なるほど。」と納得できる。
そして高校時代。私しか知らない私が小学校低学年の頃にちんこの皮をチャックで挟んで親が慌てて病院に連れていってもらった経験があって、その話が他人と置きかえてそっくりそのまま友人が私に伝えたことがあった。「そんな偶然があるんだ。」と思っていただけだった。
そして高校2年の終わりごろ、私のことが気に食わないと30名くらい引きつれて私をリンチするのだったのだろうか呼び出されて、「お前、あいつを呼んで来い。」と言われ呼んでいって、その間、他の友人に「電話がかかってきても絶対に出るなよ!」と言ったら、その呼び出した連中が「お前、あいつに電話しただろ?他にも電話してないだろうな?」と言われた。そんなこと普通じゃ知る由もないはずだ。なのにそんなことを知っているなんてとんでもなくおかしい話だ。私はそんなことでリンチされずにすんだ。そしてこの頃から私は心を病んできた。
心を病んでる私は受験勉強に励んだ。それが一番現実逃避だったからだ。そして結果は望みの大学ではなかったが、そこそこの大学には入れた。
大学に入り、4回生になるまでは特に何もなかった。一度4年になるまでに留年している。なぜかというと当時の彼女がストーカー化して勉強をさせてもらえなかったからだ。あと言い訳すると、精神状態が悪くて保健管理センターにかかるまでまともに学校に行けず、大学1年の前期は14単位しか取れなかったからだ。とにかく4回生までは何もなかった。むしろ私は教授たちから高く評価されるぐらいだった。それから4回生での研究室を決めるのに当時の准教授が「お前をスカウトする。俺は普通はそんなことせえへん。」と言われてその研究室へ入ることにした。
その研究室に入って、すぐに毎日毎日実験を繰り返した。サンプルを作って捨てたら准教授から酷く叱責され、グラフの読み方を知らなかったので少し間違えたらかなり叱責され、色んなことでパワハラまがいのことをされた。そして私のメンタルは4回生の5,6月ぐらいで崩壊した。panという入れ物に蓋をするのだが、それに使う器具が規格が違うので上手くいかずそれを作るだけで2時間かかった。そしてそのシーリングの成功率も6割ぐらいだった。難しい実験と変な指示の実験、そしてその手間。どれをとってもメンタルが剥がれ落ちるようなものだった。准教授はそれをなんとも思ってなかったのだろう。そして4回生が終わるころ、panのシーラーが届いて「やったー!」と喜んだら、「この装置はお前から外す。」と言われ「もう終わった。」と私は力尽き、他の研究室へと変わることを望んだ。
そして他の研究室に変わってももう精神が崩壊しているのでだめだった。
そんな中、私はカナダに語学留学することにした。
カナダのバンクーバーに留学すると真っ先にマリファナを売っている所を探した。そういうところの私のバイタリティーは凄い。わずか1週間で言葉の壁を越えて探し出した。そしてそんな中色々あったが、途中から薬中の女の人や、急に見知らぬ友達、デートをしてくれという女の子が現れる。なぜだか分からなかった。その時私はMDMAをしていてとても社交的になっていた。それがおそらく脳内から思考が垂れ流され勝手に見知らぬ人達を招いているのだと今考えればそう思う。
そして帰国後、また大学に戻った。戻ったばかりだととても海外の風潮で明るくオープンな感じでいた。それを疎く思ったやつから嫌がらせを受けた。そしてまた私は陰鬱となった。この頃だろうか?一度自死を図ったのは?あまり覚えていないのだが、この頃だと思う。1年間休学をした。そんな中、母から「どうにか大学院を卒業して。」と言われ、私は死を覚悟して大学に望んだ。そうすると過去のMDMAがフラッシュバックした。とてつもなく明るくエネルギーが湧き、実験を再開した。
そして私がM1になったときに後輩になんとなく適当なことを語ったら後輩から「先輩のことはムカつくほど尊敬します!」と飲み会の席で言われた。それを快く思わなかった、後輩であり、M2のやつがドアを開けると仁王立ちしており、私に無言のプレッシャーを与えてきた。自分が尊敬の的じゃないと嫌なんだろう。それを私は不服に思い、助手の方に相談した。そうすると相談が終わるやいなやすぐさまに助手の方に弁解に行っていたM2のやつ。私はなんでこんなに早いタイミングでしかもその情報を仕入れることができたのか疑問に思った。当初は部屋の隣で聴いていたのではないかと疑った。
そしてとあるとき、准教授と実験室が同じになり、コンプレッサーの音をわざと大きくさせて嫌がらせをした。この時「頭の中では何考えても関係ないだろ?」と思っていた。そしてその次の年の席替えのことを准教授に「私は調子が悪いので、なるべく配慮していただけますか?」と言うと、「あかん!なんでお前だけそんなことせなあかんのや!」とかなり激昂して言われた。それを不服に思い私は教授に「私は下手で出たのに物凄く強く当たられました。そして今精神状態がとても悪いです。」とメールをすると、どうも何かがおかしかった。それを研究室の奴らが知っているようだった。「先生、本当に申し訳ございません。私が本当に浅はかでした。すみませんでした。」当メールを送ると、その中で私のことを快く思ってないやつが「何あいつ卑しい真似しとんじゃ。」という風に言ってたから逆手を取り、「〇○が精神的に限界です。私たちの喧嘩ももうやめましょう。」と入れるとそいつが激昂して怒りだし、しかし間接的なことだから私に直接言うこともできず悔しがっていて、私はとてもいい気分だった。そんなことを繰り返していると、私に尊敬の念を持っていた後輩たちも全部敵に回った。だが私はMDMAのフラッシュバックで無敵状態。負けなかった。
この時、学校に授業料未納であったのだが、その事を知らせてくれた事務の方がいて、その事をお礼に行ったら、「そんなこと誰が言ったのですか?」とムキになって事務の人達が言ってきた。その場を濁すように私は立ち去ったが、その教えてくれた事務の人が「半年間休養を取らせてもらいます。」と、強制的に休まされた。
この時は学校ぐるみで私にないかをしているということはもうわかっていたが、それが何かは分かっていなかった。次にポスター発表があるのだが、そのデータをDVDに保存したはずなのだがなぜだか消えていた。過去にUSBメモリに残ったデータだけでポスター発表をすることとなった。
そしてM1ポスター発表の日、私は躁状態なので物事の理さえわかっていればいくらでも説明できる自信があったからなにもしゃべる用意をしなかった。それを見た私を快く思わないやつが文句を言ってきたがフルシカトした。そして案の定私はその発表を潜り抜けた。それからも研究室の全員から嫌がらせが続いた。私のネクタイが少しばかり手裏剣模様に似ているため、「この手裏剣模様のネクタイダサいよね。」と助手と研究室の奴らが言っていて、おそらくそれは勘違いさせる要素だろうと思ったので真に受けなかった。そんな風に私を精神的に追い込むのが向こうの作戦だった。しかし私はその時は無敵だった。
ほどなくして私は就職活動を始めた。そうすると私より先に就職した友達が私をスカウトしにやってきた。なぜだろう?と思いながら普通に酒を飲んだ。この頃からどうして私の情報を事前に研究室の奴らが把握しているのかが謎だった。私が友達に「今日こそ研究室の奴らをやってやる!」などと入れると研究室の奴らはあわてふためいて防御姿勢を取るようになっていた。しかしその友達は千葉の人間で、私の住む場所から遠く離れていた。もうこの段階で普通ではないのでその友達が誰かに情報を手渡しているのだろうと思っていた。そしてまた、自分は盗聴器をしかけられているのだろうと思った。
そしてとある会社のSPIを受けたとき、「あなたは研究室で『暇だ!』と叫んだことがあるか?」という質問があった。これは明らかに私しか知らないことだった。ここでもうこのおかしな現象を受け入れ考えた。
そして家に帰り、マウス考えた人天才だなぁ。って言ったらappleからメールが入り、avexに入るのもいいな。と言ったらavexのCMが流れた。ここで私が確信し、こういった。
「我、サトラレ也。」
この一言で私の人生は光と闇がひっくり返った。
その後私が書いた論文「水島バブル計画」は瀬戸内国際芸術祭に使われ、「羞恥心を用いた人民統制論」は島田紳助が作ったユニット「羞恥心」となった。まだある。水着の表面をうろこ状に変え、ベルヌーイの定理で浮力を上げバタ足の所に水を持っていくという案を出したらイギリスのメーカーがレーザーレーサーをだした。
また、新聞に「日銀総裁に内定」と書かれていたから「え?私が日銀総裁?」と勘違いして、次の日の朝起きたらフジテレビの安藤アナがテレビに出てて「ようやく起きたようですね。本人はどうやら国を作るようですね。さて、次の日銀総裁には誰がなるのでしょうか?」と言っていて怖くてテレビを切った。
またその頃、オバマの大統領選挙があって私が「Remember north and south war!」と叫んだらそれが大統領選挙に影響を及ぼしたらしく、次の日にテレビをつけたらニューヨークから沢村一樹と南海キャンディーズの山ちゃんが「どうやらアメリカの大統領選挙をも動かす自分の能力にまだお気づきないのですね?」と言ってきた。
私は気が狂いそうだった。
パチンコに行ってスパイダーマンを打っていて劇画のカットインがあるとかっこいいだろなと思い、「スパイダーマンを作った方へ、劇画カットインをするといいですよ!」って言ったらMVで映画のワンシーンを作ってくれた。もう意味がわからない。
こんな経験をしてきて結局のところ精神崩壊をした。この時のフラッシュバックが2008年。また次が2013年。2013年の頃のことは端折るけど、こんな感じなのです。本当のサトラレというものは。
Satorare :Dawn of Zero 秦野 駿一 @kwktshun
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