新人巡査とサメ女

木船田ヒロマル

宵闇と歯列

 蔵前通りから一本入った路地は、表通りの繁華街の喧騒とは逆に、夜の帳に深く沈んだ静かな世界だった。


 居酒屋ぬる八の店主、神谷は、ようやく訪れたオーダーの隙間を捉えて裏口から路地に出て、咥えたタバコに火を点けると胸一杯にその煙を吸い込み、充分に貯めてからゆっくりと吐き出した。


 とた、たん


 うっすらえた臭いのする、室外機や湯沸かし器とその汚れた配管が秩序なく並ぶ裏路地に、神谷は珍しく足音を聞いてそちらを見た。

 暗がりでよく見えないが、それはフラフラとよた付いて歩く恐らくスーツ姿の男だ。


 ちっ。酔っ払いが小便でもしに来やがったか。神谷はそう思って視線を外そうとしたが、三軒隣の店の裏窓の灯にその男が照らされてギョッとした。血だらけだ。

 なんだ?ケンカか?と思う間もあらばこそ、その中年男はどさりとその場に倒れた。


「おいアンタ!」

 ここに来て、普段他人には冷淡な神谷も流石に倒れた男に駆け寄った。そして息を呑んだ。左腕の肘から先がない。うつ伏せの男のスーツはズタズタに破れていて、そこかしこに大きな血のシミができている。左肘の断面は破れたスーツが覆っていて見えないが、今もドクドクと血を吐き出し続けていて、年月にいたんだコンクリートに小さな血溜まりを作り始めていた。

 神谷は一つ大きく息を吐くと、意を決して屈み込み、男を裏返して抱き起こした。手全体にぬるりと液体が纏わりつく感覚を神谷は努めて無視した。


「おいアンタ!しっかりしろ‼︎ 何があった!誰にやられた⁉︎」


「……メ」

 

「なに⁉︎ もう一度言ってくれ‼︎」


「サメ……空飛ぶ……サ……メ」


 男は小さい血の塊を吐いて、それ切り全ての活動を停止した。

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