此岸の日々

藤宮史(ふじみや ふひと)

第1話

 「孤高ここうの木版漫画家」と過分かぶんな評価をもらって週刊新潮しんちょうに掲載されても、その実、日々の米麦べいばくにも事欠ことか有様ありさまで、内妻の万優子まゆこ先程さきほどからふくれっつらままであった。

 たしかに、もう三日は、満足な食事ができなく、更に入浴、銭湯せんとういたっては、ひと月以上無沙汰ぶさたであった。夏場とっても、台所でからだを洗ったり、洗髪をするのでは、女の身としては不平も出る。手持ちの現金は、綿棒の空箱に入れてある一円玉や五円玉を中心にした小銭だけで、十円玉はほとんどなく、透明の樹脂製の丸箱は軽い。第一こんな小銭で買い物は恥ずかしいと、万優子は更にほほふくらませていった。

 仕方がないので、私ひとりで、小銭をえに銀行へ行く。自転車のかごに、無造作に入れた小銭の袋は、コンビニ袋を二重にして入れていたが、それでもガタガタ揺れる籠の網目あみめで、袋がり切れるのではと、なるべく良い道を選んで行った。銀行まで、どうにか袋は無事であった。

 不慣ふなれのため、銀行のフロアーでモタモタしていたら、早速さっそく年配ねんぱいの女性行員が飛んで来て、私の蓬髪ほうはつ髭面ひげづら風貌ふうぼうに、不信の一瞥いちべつを寄こした。しかし、私が対抗するように、おくせず小銭の両替を申し出ると、あからさまに不興ふきょう様子ようすで、今度は一転、女性行員の自尊心を満足させるために、私は平身低頭、恐縮のていを見せる他にない。

 小銭は、千円に満たない額であった。恥ずかしい金額である。帰路、コンビニで、おにぎりやパン、カップ麺を買うと、すべての金が消えていった。食糧が手に入ると、空腹ではあったが、自転車のペダルを漕ぐ足は軽やかになる。


 よわい五十にして、待っていたように、さっそく五十肩ごじゅうかたになった。右肩が、付根の中から腐って、それから皮が罅割ひびわれてめくれあがり、腐汁くされじるれる。そして、ボロリと右肩が落ちた。それは幻覚なのか、寝て見た夢であったのか、さだかではない。しかし、それは五十肩になる以前に感じた感触であり、不気味ぶきみであった。何故なぜか、将来我が身に起きるかもしれない、有り得ないことではないと思えた。

 座卓のまえに坐っていると、腰の筋肉が、これは筋なのかもしれないが、その部分が切れるように痛むことがある。また、背骨の軟骨がキシキシ切れるように痛むこともある。これは四十五歳にはなかった不安な現象だ。それから赤い点、通称かっぱエビせんがからだのあちらこちらにたくさん出来ている。これは四十歳では、あまり気がつかなかったものである。インターネットで調べてみると老人性血管腫ろうじんせいけっかんしゅうもので、到頭とうとう、私の身辺にも死の予感、老人性の名称が出てきたなと思った。

 三十歳は中年、四十歳は初老。これは国語辞典に書いてある。五十歳はなんと言うのだろうか。昔は人生五十年と言った。近世までは、たしかに、寿命はその位のものだったかもしれない。五十前で死ぬ者はごろごろいた。今は長寿の時代だが、健康寿命と云う言い方があり、ただの長生きでは意味をなさず、本人も他人も苦労する。いったい私は、何歳まで頭脳も元気で、人間として生きていると言える状態でいられるのか。

 五十肩になった右肩は、もう垂直に腕を上げることができず、無理をしてもちゃんと上がる左腕の半分ぐらいしか上がらない。だから時折不自由を感じるときがある。

また一時間程歩きとおすと腰がって仕方がない。血行もリンパの流れも悪くなるようで、眠いような、意識がはっきりしないような感じになって極めて不快である。

 段々不便になってゆくからだで、今はもう八時間の立ち仕事などは、とてもできない。金がないからとって日雇ひやといの土工仕事に行くことは無理である。もっとも、その仕事は、とっくに体力の限界を感じて、二十七歳で撤退していた。めてからもう二十三年は経過している。しかし、気分的には今でもやれそうな気がしている。が、これは仮想の労働としてであり、実際には鉄パイプを肩に担いで運んだり、40キロのセメント袋を運ぶなど出来る相談ではない。今は四時間、ただ立っていることも出来ない。思えば随分不具ふぐからだになったものである。二十年かけて駄目だめにしたからだを一、二年鍛えて元通りにできるものか、どうかである。五十歳であるから、そうそうゆっくりもしていられないが。


 ブラウン管の小さなテレビから安保法案のニュースが流れてきた。

国会議事堂前の道路に集まったデモの人たちの映像が出ている。戦争反対や安倍政権退陣などのプラカードが見える。デモの人たちは学生だけでなく年配の人も多いようだ。男性だけでなく女性の姿も見える。元気な年配者たちの姿に驚嘆きょうたんする。

 私は、普段は眼鏡をかけてテレビを見ているが、本を読んでいて、急に顔をあげ、眼鏡なしでテレビを見ると、画像は濡れたガラスの窓越しに見る景色のようにぼやけている。デモの群衆は、原色の色彩のつぶにしか感じられない。

 すっかり老眼が進んで、乱視・遠視用の眼鏡をはずして本を読んでいたが、眼鏡をしたままでは本は読めない。まったく読めないことはないが、本を60センチ以上離さないと文字がしっかり読めなくなった。

 ものが見えづらくなったのは、何も目ばかりでもなかった。昔なら、デモや政治活動を見ると身裡みうちに熱いものが込み上げてきたが、今は何もない。ほとんど無風状態である。

 今は、ただ手許てもとに金がないと云う状態を、どう解決してゆくか、そればかりである。デモに行く電車賃、小銭もないのである。


 一年半程、縁が切れていたサラ金と、また復縁である。もっとも、サラ金が貸してくれたらの話であるが、私は、延滞えんたい事故もなく、過払かばらい金の支払い請求もしていないので、こちらの収入状況をサラ金が精査していなければ、すんなり金は出る筈であった。併し、以前80万以上の借入があったとき、更に限度額一杯の百万まで借り入れようとしたら一方的に60万までの借入限度額に引き下げられた。

 「ねえ、大丈夫かしら? ほんとうに、出るの?」

 心配顔の万優子は、コンビニのATMの横で口をとがらせている。

 「ああ、駄目だめもとだろう・・・出るはずだが」

 私も、万優子まゆこの不安が伝染したように胸の奥に冷たいものがまってゆく。これで金ができないとなると、不本意ながら知人に頭を下げねばならぬ。併し、こんな頭を下げて金ができるなら、まだ境遇としてはマシな方なんだろう。

 併し、案外ATMは、無表情に、機械的に紙幣を出してきた。

 金を見ると、万優子は「ひっ」とほとんど声にならぬ声を出して、私の腕をつかんで欣喜きんきした。

 私たちは、あっとう間に、30万の金を手にした。これで部屋の更新料、家賃、ひと月分の生活費はできた。勿論もちろん、返済をするわけだが、その返済方法はまだ確立できていない。

 私の版画、漫画が売れれば問題はなかったが、ほとんどそれらは売れなかった。漫画に至っては原稿料の出ない同人雑誌のようなところに、時折掲載していただけであったので、まるで期待できない。また版画は、擬人化したキャラクターの猫を単色の木版画に手彩色したものを一枚一万円程度で売っていたが、思い出したようにポツポツと一年間に数枚売れるだけでほとんど収入は無かった。

 実際、先日まで我が家は万優子のパート収入で食っていた。芸術だ、なんだと言ったところでむなしい。金が無ければ、絵具も買えず、制作はできない。

 しかし、私の木版漫画は、単行本になり、今でも街の書店の棚に並んでいるのである。発売当時は平積ひらづみで売られていたこともあった。ヒットしなかったが文化庁主催の展覧会では、その本も推薦作品になり所謂いわゆる墨付すみつきのはずであった。しかし、我が家には金が無かった。


 目のまえに私がいた。しかも二人いる。たしかに私と同じ顔、恰好かっこうをした男が眼前にいる。勿論もちろん、二人を見ている私もいるので、そこには私が三人いることになる。

 目のまえの二人は、しきりに議論している。この度の安保法案についてしゃべっているが、賛成派と反対派に分かれている。

 「アメリカの言いなりになって、地球の裏側まで行って、戦争するのは憲法違反である」

 そう私が言っている。発言内容から反対派だろう。

 「現実を見てください。世界の情勢は日々変化して、今では一国だけで国を守ってゆく時代ではない。協力し合ってやってゆく以外にないんだ。本来なら憲法改正して自衛隊を合憲にしてゆく。それが出来ないと国家として成り立たない」

 また、もう一人の私が言っている。発言内容から賛成派だろう。

 「私は、子供の頃に戦争の悲惨さを味わったことがあるから、今回の法案には断固反対を表明してゆきたい。必ずこの戦争法案は廃案に追い込まないといけない」

 おやっ、と思うことを言いながら、段々私の顔が、或る映画監督の顔に変化していった。もう一人の賛成派の私は、

 「どうせ、派遣で馘首くびになって、寮を追い出されてネットカフェ暮らしの自分は、もう人生は終わっているから、いっそ戦争になって、みんなが死んでも私は困らない。いや、私だけみじめな人生を送っているのは不公平だと思う。みんなも苦しめばいい、死ねばいいんだ。みんな死ね!」

 こちらも、私の顔から、見ず知らずの中高年の男の顔に変化していった。話の内容から、派遣切りに遭ったホームレス状態の者らしい。

 「この反対集会は、まさに歴史的なものです。フランス革命にも匹敵します。みなさん、チカラを合わせて、必ず戦争法案を廃止にしましょう!」

 今度は、映画監督の顔から段々変化して、口角こうかく泡を飛ばした著名な音楽家になった。

 「戦争になれば、兵隊になって職を得られるかもしれない。もしかして正社員みたいになれるかもしれない。今のままだと正社員の仕事はないし、仕事がないと結婚して子供をつくって幸せ、なんて絶対にない。それどころか、今は彼女をつくってデートする金もない」

 派遣切りの男の顔から、ひきこもり、ニートらしい風貌の若い男の顔に変化していった。

 「きっと、僕らが戦争に行くことになるから、今日、お父さんとお母さんと一緒に、このデモに参加しました。戦争はよくないと思います。学校では、〈いじめをなくそう運動〉をしていますが、国同士でも、〈戦争をなくそう運動〉をすればいいと思います」

 音楽家から、小学生の男子に変化していった者がしゃべった。

 「一度でいいから、拳銃を撃ってみたい。出来れば機関銃だと尚いいな。戦車に乗ったり、大砲を打てたら、死んでもいい。市街戦をやって、大活躍をする。今の退屈な生活からおさらばできるなら、安保法案大賛成だよ。地球の裏側に公費で行けるなんて信じられない。いよいよ自分にもツキが回ってきたようだ。戦争法案大賛成だ!」

 ニートの風貌ふうぼうの男から、迷彩服を着た軍事ヲタクらしい眼つきのおかしな男に変わった。


 ガヤガヤと耳障みみざわりな音で目がめた。テレビから安保法案反対のデモの様子を流している。それが夢のなかに入り込んだらしい。横になって、ほんの15分程まどろんだが、僅かのあいだに、悪夢のように夢見がわるい。全身粘ついた寝汗をかいている。

 たしかに私のところは、サラ金で当座の金ができ、ひと段落はした。しかし、基本的に不安定な生活にかわりはなく、夢の続きの、戦争法案賛成派ではないが、結局、法案に反対をしている人たちは、デモに参加するのに電車賃を出せて、時間もあり、明日の食事にも困らない、金に余裕のある者たちで、失いたくない生命、家族、仕事、財産のある者たちなんだろうと思う。

 私も、妻がいるから、家族が無いとは言えないが、仕事は、金銭の入る仕事として確立しておらず、また財産は借金があるだけで何もない。生命いのちも五十を過ぎていて、あとは余生よせいと感じている。今すぐ戦争になればと自棄やけな気持ちにもなれないが、積極的に戦争法案反対を叫ぶ気にもなれない。身銭を切って反対しても、世の中で成功してうまくっている者たちを応援するような気がする。あきらかに私たち貧乏人は成功者から搾取さくしゅされる側の人間であり、搾取している側の人間の平和と安定を一緒になって求める気にはなれないだろう。そこまで、うっかりしているとみじめだ。


 家賃と部屋の更新料、電気、ガス、水道、電話、そして、ネットのプロバイダー料金、医療保険料、サプリメントの未納金を支払うと手持ちの金は15万を切った。私は国民健康保険料や年金を随分長いこと未納や免除になっていたが、妻はこの間まで三年間パート仕事に行っていたので、会社で強制的に社会保険と厚生年金に加入させられ、毎月税金を含めて4万5000円強の金を徴収されていた。だからどんなに働いても毎月の繰り越しの金は一円も残らず、失業するとすぐに食い詰めることになった。

 贅沢な暮らしをしていたわけではない。私に至っては、衣料は下着類も一年以上は買ったことがなく、銭湯も一回460円掛るので、ひと月に4回、これは夏場の話で、冬場だとひと月に2回しか行っていない。あと切り詰めるとしたら、日々の食事であるが、一日二食のところを一食にする。または一日おきに一食だけ食べることになる。こうなると、もはや現代の食料事情の話ではない。戦中か終戦直後の飢餓きが状態である。

 こんなにまでして徴収ちょうしゅうされた私たちの金がどうなっているのか。健康保険料だと言い、年金だと言っている金は誰にいっているのか。私たちのような生活困窮者から徴収して、どうするとうのであろう。妻も私も納付期間が短くて年金の受給資格がないので、いくら金を払っても将来、年金はもらえない。切り捨てて国は払わないのに、決まったことだからと金を取ってゆく。無理無体な話である。そう言えば過去にもあったな、と思った。戦前戦中である。もっとも、私は完全に戦後生まれであるので資料等でしか知らないが、たしかにあった。国家のゴリ押しである。決まったことだからと、炎に包まれた家屋から逃げてはいけないとう法律。これは防空法ぼうくうほうである。消火活動が義務つけられて、死んでも火を消せであった。莫迦ばかな話である。正気ではない。しかし、今現在法案が成立しそうになっている安保法案も莫迦ばかなアメリカ帝国主義のお追従ついしょうをするだけの法律である。

 年金の話であった。私たち無年金者は、このままだと貯金が出来ないので働けなくなると生活保護受給者になってしまう。しかし、社会全体で正社員を増やさずに減らして非正規にして生活困窮者を増加させているから仕方がない。これは私たちだけの問題ではなくて社会全体の問題である。防空法と同様に個人的にはなすすべがない。ただして死すのみである。つまり、戦前の関東軍の中国東北部における無謀むぼうな開戦とおなじで、今も再び次元はちがっても無謀な政策を進めている政府に、やはり日本の明るい未来はないのである。いつも舵取かじとりが悪すぎる。


 「どうするのよ。これから・・・・・」

 遠い将来への不安よりも、今後ひと月先の未来にたいする不安で、万優子から不平が出る。が、当然と言えば当然である。

 「木版漫画が駄目だめなら、小説でも書くしかないな。からだも動かないし、もう、出来ることは少ない・・・・・」

 私は歯切れ悪く言うしかない。行く先々は暗澹あんたんたるようすである。夜逃げ、ホームレス、自殺。うまくいって生活保護、寝たきり、孤独死である。

しかし、もし仮に、小説がヒットして高額印税が入ってくるとなれば、様子ようすはちがってくる。・・・・・高級マンションに優雅な暮らし。コックにメイドを雇い、専属の医師、看護師を待機させる。ふたりの死後は基金を設けて、私の名前を後世まで顕彰けんしょうしてゆく。・・・・・しかし、有り得ない夢物語はむなしい。現実になるのは、宝くじの当選より確率は低いだろう。

 「小説が、ヒットしなくても、せめて、安くても食えるだけ原稿料が入れば幸せなんだが。でも、いま書いている長編の受賞発表は来年の三月末だろう。そんなには待ってはいられないな。それこそ餓死してしまう」

 「やっぱ、木版漫画の冊子を作ったほうが、少しでもお金が入るんじゃないかしら」

 「そうだな、背に腹はかえられない。当面は日銭を稼ぐしかないかな・・・」


 人生に、それほど名案はなかった。貧すれば鈍するである。資金がなければ、結局体裁のわるいシノギになる。土曜、日曜日にあてをつけて井の頭公園に行く。

 公園の出入口の階段下は物売りの姿がなかった。ここは以前、私たちが風呂敷をひろげて物売りをしていた所である。あれは、もう16、17年前のことであった。あのときも食い詰めていたが、今は歳を取った分だけ草臥くたびれている。

 「大丈夫かしら?ここで売っていて?」

 「ああ、たぶん大丈夫じゃないと思うけど、なんか言ってくるまでっていればいいよ」

 無責任なことを言っていたが、元々公園内で物品の販売は禁止されていて、それを無視して以前も今もっている。しかも事情は多少変わって、前の都知事が素人しろうとの芸術家くずれの物売りからヤクザまがいの〈みかじめ料〉を取り出した。一年間いくらとうことであったが、すると正式に、金を払わないと売ってはいけないことになる。これも利権のひとつであったが、芸術家たちが、やむにやまれず公園で売ったり発表していたものを、行政が、それすら取り上げた恰好かっこうになった。

 風呂敷代わりのビニールシートをひろげて5分も経たないうちに、目が斜視しゃしになった女が飛んできた。原色の端切れを縫い合わせた妙な服を着て、手にスケッチブックを持ち、それには色鉛筆で書いたイラストがあった。

 「ここは、うちらみたいな、昔からやっている、資格のある人しかやったらいけないのよ。あなたたち資格ないでしょ」

 一方的に、断定的に言っている女の顔に見覚えがあった。この女は、以前、私たちが公園で売っていた当時から公園にいた女で、女自身もやはり今のように紙にイラストを描いて売っていたのである。随分久しぶりに見たが、女は私たちには気がつかず、以前の精彩はなく、老けて醜くなった。まえも特徴のある嫌な感じのする女だと思っていたが、今の女は若さも無く、一見年老いた狂女のようであった。

 私は、妻と顔を見合わせて無言でシートを片付けた。

 ふたりして荷物を持って公園のなかを歩きながら、

 「びっくりしたね、生きていたんだ。17年ぶりぐらいだね。俺らもだけど、むこうも、どうやって生きて来たんだろうね。でも、早かったね。すぐに飛んできたよ。マメだね。相変わらず」

 「ほんと、嫌になっちゃう。ああうのを、小さな権力の傘にきると云うのね」

 「いや、権力じゃなくて、この場合は利権だろう。・・・利権と云っても露店じゃ、売り上げも、それほど上がらない利権じゃ、しょうがないのに、どうして人間は利権、利権とうんだろうね。まあ、とにかく、あの女のいない所に行って売ろう」

 私たちは、他の物売りのいない公園通路の日陰の隅にシートを広げた。

 昨日製本したばかりの木版漫画の冊子三種類30冊ほどを並べたが、品数が少なくて貧弱な店舗であった。

 通路を行きかう人々のほとんどは、一瞥いちべつするだけで足も止めない。が、それでも一人ふたりと足を止める人もいた。

 「これは、全部木版画で描いているんですか?漫画ですよね、凄いですね!僕もね、漫画描いているんだけど、なかなか連載がとれなくて、編集はいいって言ってくれるんだけど、どうも編集長がなかなかオッケーを出さないらしくて、早く編集長が代れば僕の漫画も認められて、ゆくゆくは印税で億万長者も夢じゃないんだけど、なにしろ頭の固い、時代遅れの編集長がいるばっかりに僕の未来は閉ざされているわけだけど、あなたたちも随分長いこと苦労しているんでしょう。わかりますよ。あなたたちの苦労。僕もね、今の編集長が左遷させんされて、僕の連載が決まれば、もう生活は安定して庭付き一戸建てなんかは目じゃない。ビルを建てますよ。幹線道路沿いの一等地に。勿論もちろん、防音設備で、そうしたらあなたたちもアシスタントで雇ってあげますよ。でも、日給で7000円。12時間労働で、残業は一時間900円。これでよければ考えてもいいでしょう。僕は、なんて親切な人間なんでしょ。自分でもお人よしだと思いますよ。でもね、人心荒廃じんしんこうはいした世の中だからこそ僕は善行を積んでゆきたいと念じているんです。あなたたちにわかりますか、僕の気持ちが・・・」

 キチ×イは何処どこにでもいるが、どううわけか表現活動をしているところに吸い寄せられる性質がある。まだ30代前半ぐらいの男はしゃべるだけしゃべると、はたと冊子を投げ捨てて、顔つきを豹変ひょうへんさせて無言になって去って行った。

 またしばらくすると、今度は、私と同じぐらいの年配の男が近づいてきた。     

 やおら冊子を拾い上げて、しげしげと木版漫画に目を通していった。

 「たいへんでしょう、これだけの物を作るのは」

 「ええ、これは一冊作るのに、漫画で3ヶ月間、冊子で2ヶ月間ぐらいですかね」

 「そうなんだ。私も仕事の合間あいまに、趣味で木版画をカルチャースクールで作っていますが、あなたぐらい作れれば、もうすこし頑張ればプロになって売れると思いますよ。私のところの先生を紹介しましょうか。一緒にスクールに通えば、もっと上達すると思いますよ。そうすれば、もしかしたらこんな冊子でなく、いや、失礼。もうすこしいい感じの本になるかもしれませんよ。それだけのチカラのあるものだと思います。しいな、こんな所で埋もれているのは・・・・・」

 そう聞いて、万優子まゆこ憤然ふんぜんと、

 「ええ、結構です。うちの人の漫画は、感じのいい本に成らなくていいんです」

 と、答えると、年配の男は唖然あぜんとして、不満顔ふまんがおになって退散した。

 「お前ね、商売が下手へたすぎるよ。それじゃ、売れる物も売れない」

 「だって、失礼じゃない。冊子さっしの悪口言われて黙っているなんて、あなた口惜くやしくないの?」

 「そりゃ、気分は良くないよ。しかし、せっかく売れるかもしれないのに、みすみす客を逃がしたようで、それのほうがよっぽどこたえるよ」

 冊子の木版漫画が単行本になっていないわけではなかった。しかし、万優子も私も公園の露店で売っていながら見ず知らずの人に言いたくなかった。それは勿論、自慢になるからではなく、単行本になっていながら公園で売らないといけない境遇が恥じられるからで二人とも無言になるばかりだ。二人の重苦しい空気を察してか客が寄りつかなくなった。

 万優子が、公園をひと回りしてくると言い残して歩いて行った。

 しばらくすると、空気が変わったのか新たな客がつきはじめた。ひとり立ち止まって冊子さっしを見ていると、またその客につられたように別の客が立ち止まる。そして、またひとりが来た。連鎖反応なのか、一人が恐るおそる買いだすと、許されたようにみな財布さいふひもゆるめだした。10分ぐらいの間に、あっ、とう間に15冊が売れて9750円になった。客がいなくなった頃に万優子は帰ってきた。

 売り上げの金額を聞いて万優子が歓喜の声をあげた。祝杯を上げようと公園脇の焼鳥屋いせやに寄ることになった。途中、公園内の広場を通り抜けていると、野外舞台前の据え付けられたベンチに、知人の顔をみつけた。

 知人とは10年以上前に音信不通になっていた。知人は、私たちに出逢であう随分前から精神病を罹患りかんしていた。今は病院を抜け出した患者のように寝間着ねまきにスリッパ姿でベンチで茫然ぼうぜんとしている。

 知人も、その昔、80年代初期には現代バレエの世界で音楽家や詩人たちとコラボレーションをして名をせていたが、今では見る影もない。

 私たちは背後から知人の顔をうかがったが、目の焦点しょうてんが定まらず、何処どこを見ているともしれない視線を人のいない舞台に向けていた。

 つまらぬ者を見掛けたと、万優子は私のそでを引いてうながした。

 「今日は、どうう日なのかしら、やたら昔の人たちと出逢であうけど、だけどいたくない人たちばかりね。厄日やくびかしら。でも、冊子さっしは売れて、幸先さいさきいいみたいだし、複雑な日ね」

 「ああ、でも××さんにはおどろいたね。やっぱり病院に入っていたんだね、あの恰好かっこうは。あの病気は治らないとうから。前から変人奇人で傍迷惑はためいわくな人だと思っていたけど・・・。こうなるのは、気の毒だけど運命なんだね。・・・しかし、明日は我が身でもあるな。ボタンの掛け違いで途方とほうもないことになる。でも、公園はどうしてこうもキ×ガイばかりが多いのだろう。今日だけでも三人も見かけている」


 練炭れんたんおきで、タレをつけた焼鳥をあぶるとあたりにこうばしいにおいがただよった。その匂いだけでもビールはすすんだ。

 万優子は、体質的にアセトアルデヒドが酵素で分解されずアルコールは飲めないとテレビで仕入れた新知識をしゃべった。それは生まれたときからそうだったらしく、しかし、実際に酒を飲まなくなったのは今年からで、それまでは飲んでいた。飲めば全身がゆででたたこのように赤くなったが、たしかに尋常じんじょうの姿ではなかった。飲めば動悸どうきはげしくなり益々ますます飲酒はすすめられない。

 万優子はウーロン茶で10本も焼鳥を食べている。私はひたすらビールをあおり、焼鳥、焼売しゅうまいを食う。アルコールの回った頭脳では多幸感たこうかんばかりがつのって名案は浮かばない、

 「まえみたいに、古本屋に冊子を納品してみたらどうだろうか?中野のタコシェや新宿の模索舎もさくしゃ、それに阿佐ヶ谷のトンコ堂書店を新規開発、取り扱い店にして。もっともっと納品先が増えれば、もっと売れるんじゃないかな?本当は売れる商品を、自分たちの営業力が足りなくて、それで貧乏をしている。それだけじゃないかなと思う」

 何度も繰り返し考えて、言ってきたことを、また言っていた。しかし、言わずにはおれない。他にしゃべって屈託くったくを払う話題がないのである。

 「そうね、それしかないわね・・・・・」

 即座に、万優子も同意はするが、内心自身の言葉も言い古され信じていないにちがいない。しかし、その場のいい雰囲気ふんいきこわしたくなかった。

 「トンコ堂は、他のミニコミ冊子も扱っているから、もしかしたら木版漫画の冊子も扱ってくれるかもしれない。ここの営業を足掛かりにして、はずみをつけて都内の書店を軒並のきなみ営業して回ってみたらどうだろうか?きっと、うまくゆきそうな気がするよ」

 私も話しながら、なんだか自己暗示でも掛けている気分になった。しかし、自分をだましてでもってゆく以外にない。〈完〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

此岸の日々 藤宮史(ふじみや ふひと) @g-kuroneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ