第2話 五十円玉二十枚
僕たちは東京への長い車中、たわいもないおしゃべりをした。
やはり大学に関する話題が主だったが、やがてお互いの共通点である芳林堂について話が及んだのは当然の成り行きだった。
僕は梅崎に、万引き犯の見分け方やいかがわしい雑誌を買う人の挙動などアルバイトの経験を基に面白おかしく話せたように思う。
そんなことを話しているうちに、あれは今年の一月だったか、僕が体験した奇妙なというか不可解な出来事を思い出した。
当時はとても印象に残っていてあれこれ答えを探したものだ。
だが、謎が解けないまま月日が流れていくうち、いつしか日々の記憶の中に埋もれてしまっていたのだが、今、梅崎に芳林堂にまつわることを語っている間に、再び意識の表面に上がってきたものとみえる。
芳林堂は個人経営のお店としては比較的大きな書店で、平日はともかく、土曜日や日曜日ともなれば客の出入りは多くて結構忙しい。
その学生風の若い男性が現れたのは土曜日の夕方ごろで、その男性の突然の要求は僕を当惑させるに充分だった。
僕はレジでお客さんの対応をしながら、視線の端で、たまたま男性がドアから入ってくるのをとらえていた。
男性は並べられているどんな本にも目もくれずそわそわと真っ直ぐにレジに歩いてくると、前に並んでいるお客さんの会計が終わるのをいら立たしそうに待っている様子だったが、そのお客さんが去ると、ずいと一歩前に踏み出し、唐突ながら真剣な口調で言った。
「五十円二十枚を千円札に両替してくれませんか」
え? なんだって?
ここは書店だぞ、なぜそんなことを頼むんだ?
思いも寄らない言葉に頭の中が空白になって、僕は何の反応も示すことができないでいた。
男性は僕の目の前に硬貨の束をぐいと差しだした。
間違いなく男性の掌の上には、真ん中に穴のあいた銀色の硬貨の束があった。
僕はそれを生まれて初めて見るかのように、ただただ黙って凝視するばかり。
「お兄さんなあ、両替ぐらいやってあげてもええやろ。
それぐらいやってくれはってもええんとちがう?」
両替を頼みに来た男性のすぐ後ろに並んでいた中年の男の客が加勢した。
その客の表情や口調からは僕を威圧して困らせてやろうという雰囲気はみじんも窺われず、両替を頼みに来た男性と同じくらい両替を望んでいるような様子に見えた。
どうしていいかわからず周りを見ても、あいにく他の店員の方の姿は見当たらない。
特に断る理由も見当たらないので、僕は男性が持参した硬貨を受取って数え、代わりに千円札一枚を渡した。
男性はほっとした面持ちでそれを受け取ると、今度は落ち着いた足取りでドアから出て行った。
その男性の行動が気にはなったがレジの前にはお客さんが並んでいるので、男性のことは頭の中から追い払い本来の仕事に集中しようとした。
だが、次のお客さんから雑誌を受け取る前に、ひとりの男性が割り込んできた。
その男性は、さきほどの両替男よりは少し年上と思われる若いサラリーマン風だった
その男性は急いでいるのか、早口で僕にたずねた。
「さっき、ここに割り込んできた男は何をしたんですか?」
その若い男の口調には有無を言わせない力強さがあった。
僕は後ろで待機しているお客さんに気兼ねしながらも、答えを拒むことができず正直に話した。
「五十円玉二十枚を両替するように頼まれたので、そのとおりにしたんですけど」
僕の答えに驚いたらしく、ちょっとの間、躊躇している様子だったがすぐに口を開いた。
「その男が持ってきた硬貨を見せてもらえませんか?」
僕は黙ってうなずいて、レジスターの五十円硬貨を入れておくボックスの上部から何枚かの硬貨を掴んで渡した。
「僕があの男性から受け取った硬貨はそのままここに置きましたから、今あなたに渡した硬貨がそれだと思います」
男性は僕が渡した硬貨を詳しく調べていたが、何も注意をひくことは無かったらしくしきりに首を傾げていた。
やがて、その硬貨を僕に返しながら質問を投げかけた。
「あなたはさっきの男の知り合いですか?」
この書店でたびたびその顔を見かけてはいたが、書店員とお客さんという関係を超えるような会話を交わした記憶はないので、知り合いとはいえまい。
僕は即座に首を横に振った。
その若い男性は僕の顔を探るようにじっと見ていたが、やがて納得したようにうなずくと、僕にまるで気持ちのこもっていない礼を言ってそそくさとその場を離れていった。
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