モラトリアムGAME
鮎崎浪人
第一章 寺石荘事件
第1話 自動販売機と五十円
流籐洪作はもうかれこれ三十分近く、キャンパス内をさまよい歩いていた。
だが、目指す場所にたどりつけず、同じところを行ったり来たりしている。
歩き疲れて喉の渇きを感じたころ、ふと自動販売機が目に入った。
そちらに歩みを進めたところ洪作が背後に近づくのを察したのか、自販機の前に立っていた女性がくるりと振り返った。
「君、五十円、持ってはる?
貸してくれへんかな?」
慣れぬ土地で見知らぬ女性に突然話しかけられて洪作は我知らず硬直したが、その女性の京都弁には、聞く者の警戒を解かせる柔らかさと、と同時に、その言葉に従わなければいけないと思わせるような不思議な強制力があった。
「あ、どうぞ」
緊張をほどいた洪作は、ポケットの財布から穴の開いた銀貨を一つ取り出し、右手をさし出したその女性のてのひらにそっと落とした。
「おおきに」と軽くお辞儀をしてから、その女性が購入したのは「ひやしあめ」なる瓶のジュースだった。
初めて目にした洪作だったが、どんな味がするのかと聞く度胸もなく、ごくごくと相手が飲み干すのを所在なく眺めていた。
「お金返すから、ちょっとついてきてもらってもいい?
サークルのブースにお財布置いてきてん」
たかだか五十円程度のこととて同行を断ることもできたのだが、なぜだか洪作は再び穏やかながら有無を言わせぬ力を感じて、数分間までは出会うことを思いもしなかった女性と肩を並べて歩くことになった。
キャンパスの両側には新人勧誘のためのサークルのブースがひしめき合って並び、新入生と在校生が入り混じった人込みをよけながら進むのは一苦労だった。
そんな重なりあう人影にさえぎられながらも、洪作の視線は右を歩く女性の姿を射抜くようにとらえていた。
全体的に派手な顔立ちではないが各パーツがバランスよく配置され、その中でも吸い込まれそうな黒く大きな瞳が際立った印象を与える。
ネイビーのワンピースにピンクのカーディガンが上品さを醸し出し、一方で黒のハイヒールとの組み合わせが大人っぽさを引き立たせてもいる。
ワンピースの袖からのぞくしなやかな両腕は鮮やかに白く、まさしく雪肌という表現がぴったりだった。
今までの十九年間の人生でお目にかかることのなかった「大人のお姉さん」から、光のような明るさがたえず発散されているようで、洪作はそのまぶしさにぼうっとなる感覚を覚え、話しかけられても完全に上の空だった。
「ここ、ここ」という声にしばらくしてから我に返った洪作が、最終地点として案内されたのは、そこそこのにぎわいをみせる漫画研究会と映画研究会とにこじんまりと挟まれた「ミステリー研究会」のブースだった。
そして、洪作が先ほどから探し求めていた場所でもあった。
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