アンチ・ウエディング

アンチ・ウエディング

 婚姻制度など廃止されてしまえばいい、と見沢雛子は常々思っている。

 口にすれば、一気に「強い思想」を持っていると思われかねないのでTwitter以外で他言したことはないが、やはり「結婚」は、全人類の前から等しく消え去るべきだ、と雛子は何年も思い続けている。

 

 雛子は考える。そもそも、「結婚」――婚姻制度というものは、「二人組」に法的な恩恵を与える制度である(まあ、日本ではこれが男女の組み合わせに限定されているが)。

 けれど雛子はこれまで生きてきた二十七年間、誰かと恋したいと思ったことも、誰かと付き合いたいと思ったことも、ましてや誰かと一緒に暮らしていきたいと思ったことも一度もなかった。

 むしろ、それらに興味を持てない自分はそういった――あまり恋愛感情を持たないタイプの性的指向の人間なのかもしれない、と二十代になった頃から思い始めていた。


『ヒナちゃんには良い人はいないの?』


 雛子は三日前に母親から送られてきたメッセージを反芻した。いねえよ、と呟きながら、テキトーなスタンプを返したことを思い返す。

 そう。雛子は困っていた。二十代半ばを超えたあたりから、田舎にいる親からの連絡には結婚への期待が滲み始め、職場でもそんな話題を振られることが多くなったことに。

 雛子はどうでもいいと思っているトピックに周りが興味津々なのは、正直めちゃくちゃウザい。

 だから雛子はそれらの苦悩の源泉として、「結婚」なる制度がこの世に存在するのが悪いのだ、と結論付けた。

 だって、この世界に生きているだけでやたらでかい顔をしてくる「結婚」というイベントさえなければ、雛子はもっと快適に生きられるはずなのだから!



 ――と、そんなことを思っていた雛子の人生観は、ある日「とある女」と出会ったことにより一変してしまった。


 旗本美優と出会ったのは、雛子が追っかけをしている女性アイドルのコンサート会場でのことだった。

 結婚しない理由をオタク趣味に仮託されそうで周りには言っていなかったが、雛子はアイドルという存在がとても好きだった。

 特に、老舗のアイドル事務所所属の五人組アイドルユニットが昔から大好きで、全国に遠征するほどのファンだった。


 初めて美優を見たのも、大阪だった。

 あのときの美優は、見るからに憔悴していたな、と雛子は思い返す。

 美優は元々可愛らしい顔をしているけれど、初めてあの地で見た彼女は、それはもう可愛らしさが半減どころじゃないくらいにぼろぼろだった。入念に施されていたのだろうメイクは涙や鼻水でぐしゃくしゃに崩れていて、周りはそんな彼女を遠巻きに眺めていた。雛子もその一人だった。

 見るからに悲壮感を漂わせている彼女を眺めながら、雛子はおそらく痴情の絡れだろうな、と直感した。何せあのときの美優は、小綺麗なワンピースを着ていて、今日はデートか何かだったのだろう、と見当をつけるのは簡単だった。

 しかし結局、雛子は彼女を見ているだけではいられなかった。

 見るからに途方に暮れている美女は――いくら可愛らしさが半減していたとはいえ――なかなか目立つ。やや近くで、数人の男達が彼女を見てひそひそ話しているのを見て、とうとう雛子は声を掛けてしまった。 


「どうしました?」

「……え?」

「随分と、その、落ち込んでるみたいだから」

「………ぅ、ッぐ、うわーーん!」

「ええ!?」

 雛子が声を掛けた途端、彼女は再び声を上げて泣き始めたのでギョッとした。

「ちょ、ちょっと……!」

 泣き出した美優をなんとかベンチ座らせ、それから雛子は辛抱強く彼女の話を聞いた。するとやはり、彼女は恋人に別れを告げられたばかりだったらしい。

 東京から恋人と大阪旅行に来たのだが、ちょっとした価値観の違いから、口論に発展してついには別れを切り出されてしまったと。まるでバンドの解散理由みたいだ、と雛子は思った。


 一通り事情を聞き終えた頃、美優は幾らか落ち着いてきたらしく、此方に向けて深々と頭を下げてきた。

「本当にすみませんでした……! こんなことをいきなり話して……。あの、私帰ります」

「どこに?」

「東京……」

「じゃあ、少しだけ時間くれません?」

「え?」

 雛子はそう言うと、バッグからチケットを取り出した。

「これ、受け取ってほしいんです。わざわざ関西まで来たんでしょ? 良かったら気分転換にどうですか? あ、チケ代はいらないので」

「ライブ……」


 雛子は下心があった。あわよくば、これから始まるライブの席を埋めたかったのだ。

 残念ながら、雛子が推しているアイドルユニットは、今日みたいな大きな会場だとなかなか座席すべては売り切れない。Twitterでは譲渡ツイートが流れまくっている。

 だからこそ、雛子は彼女にチケットを受け取ってもらいたかった。チケットを余らせていたフォロワーがいたはずだし、自分のチケットを彼女に渡したところで会場に入れなくなったりはしない。


 果たして、いきなりそう言われた美優は最初は戸惑っていた。

 けれど、「話を聞いた分の対価だと思って、お願い!」と頼み込むと、ちゃんと受け取ってくれた。善行と押し売りはするものである。

 美優は雛子の打算的な心中をいざ知らず、チケットのお礼を言いたいからとTwitterアカウントを教えてほしいと言い出した。雛子も彼女――名前が「美優」というのはそのとき初めて知った――のアカウントをフォロバすると、彼女は見た目の通りオタク趣味の一切を持っていないらしかった。

 相互フォローにはなったものの、きっとすぐブロ解されるだろうな、と雛子は思った。


 しかし、一度きりの交流かと思えたそれは、主に美優の人懐っこさのおかげであっさり裏切られることとなった。

 美優はライブ終了後から、リプやDMで頻繁に雛子に話しかけてきては雛子の懐に入り込み、あっという間に距離を詰めてきた。

 どうやらあのライブで、美優はあのアイドルユニットのファンになってしまったらしい。元々行動的だったらしい美優は、みるみるうちに立派なドルオタへと成り果てた。

 雛子も美優も都内に住んでいたのだが、一ヶ月後には関東圏内のライブ会場で立ち話をしていたし、三か月後にはすでに共に北海道に遠征していた。

 美優は社交的なので多くの同担と交流を持っていたが、それでも雛子とは特に仲が良かった。雛子も、そんな状況に満更でもなかった。


「私、ヒナちゃんが好き。付き合ってほしい」


 そんな交流を続けていた一年後、雛子は美優に告白された。

 青天の霹靂だった。彼女はレズビアンで、前の恋人は「彼女」だったらしいと知ったのはそのときだった。

 雛子はそれまで、恋をしたこともなければ、誰かと交際したこともなかった。ましてや、雛子はそんなことを望んだことがなかった! 

 ……なのに、なのに、だ。

 雛子は頷いてしまった。絆された、としか言いようがない。

 だって、美優は凄かった。するりと雛子の人生に入り込んできては、雛子からうっとおしがられるような行為をせず、ただただ楽しいことを共有しようとしてくれた。もはや最近は、雛子の方が美優にべったりで、美優がTwitterに浮上しないと寂しくて堪らなかった。

 だから、雛子は美優がいなくなることを恐れた。 

 だって告白されたとき、美優に「振られたらつらいから、アカウント消すし、もう会わない」とまで言われたのだ! それは雛子にとって脅しに他ならなかった。そして雛子はその脅しに屈して、その申し出を了承してしまった。

 然して、雛子と美優のお付き合いは始まった。


 最初は不安だった。

 何せ雛子は、親友を失くすのが怖くて告白に応えたようなものだったし、これまでの人生で恋をしたことも、交際したこともなかったから。すぐ破綻するかもしれない、と初めのうちは思っていた。

 しかし、そんな不安は数ヶ月した頃には吹き飛んでしまった。


 付き合い始めてから、雛子は以前にも増して美優がいる幸せを感じるようになっていた。どんどん美優のことが好きになっていた。キスされて嬉しいと感じたし、身体を拓かれていくのも幸せだった。

 そう、認めるしかなかった。これまで恋をしたことがなかった雛子は、美優に初恋してしまったのだ……!

 自分は恋を「できる」タイプの人間だったのだな、と二十八歳になって初めて雛子は気付いた。たまたまこれまで好きな女に出会っていなかっただけで、自分はレズビアンだったのだな、と自覚した。雛子は、美優のことが好きだ、と思う度に自分の輪郭が定まっていく心地がした。

 だから、美優が一緒に住みたいと言い出したときも、雛子は一も二もなくすぐ了承した。

 雛子がずっと抱え続けてきた一人で生きていくという覚悟は、一人の女の登場によりあっけなく崩れ去ってしまった。

 雛子は、美優と出会って新しく生まれ変わったような気分だった。



 


 同棲してから半年が経った頃だった。

 二人の交際は順調すぎるほど順調で、喧嘩をしたことだって一度もなかった。

 しかし、ある日美優が「ヒナって結婚とかキョーミないんだよね?」と口にしたことが、二人の穏やかな生活に波紋を落とすことになる。


 休日の昼下がり。洗濯し終わった衣類をベランダに干そうとしていた雛子は、ソファに寝転がっていた美優に唐突にそう問われ、固まった。

「……うん。したくない、かな」

 ずっとそう考えていたはずなのになんだか釈然としないまま、それでも雛子はそう返した。

 美優は起き上がると、洗濯カゴから服を取って干していく。ありがと、とお礼を言うと、どういたしまして、と得意げに美優は言った。

「……どうしてそんなこと?」

「いや、特に。ただ、ツイートにそう書いてたから、本当なのかなって」

「え、見たの?」

「うん。だって消してないってことは、見ていいのかなって……そもそも私達相互じゃん? え、ダメだった……?」

「ううん、そんなことないよ!」

 しかし、雛子は内心気が気じゃなかった。

 どうしよう、美優が私と結婚したいと思っていたとしたら、これは価値観の相違で別れへと繋がってしまうのではないか? 

 そんな不安がじわり、と雛子を侵食し、背中を冷や汗が伝った。

 慌てて、美優の意思を確かめようと口を開く。

「その、美優は結婚とか――あ、えーっとパートナーシップとか、養子縁組とか、したい? 私達、そういう話したことなかったよね」

「そうだねー」

 美優はうーん、と顎に手を当てて考え込んだ。それから美優は一枚スカートを干し終わると、雛子に向き合った。

「うーん。私はいいかな、そういうの」

「え?」

 雛子は思わず聞き返してしまった。

「……えっと、それは、結婚とか、興味ないってこと?」

「うん。実はそうなんだよね」

 美優はへらっと笑うと、靴下を取り出して洗濯バサミに閉じていく。

「私の親、あんまり仲良くなくてさ。だから、家族を作る? とかに憧れなくて。私がレズって気付いたときも、あーそうなんだ、みたいな? 親に縁切られてもまあいっか、むしろ男と結婚する必要なくて良かったな、って。そんな感じで生きてきたから」

「そ、うなんだ」

「うん。これ言えたの、ヒナが初めて。みんな、私が同性愛者って知るとさ、今はパートナーシップがあるしね、とかとかこっちに気を遣ってるつもりで言ってくるの。いや、別に悲壮感持ってないし! みたいな? ちょっと疲れちゃって」


 ――でも、雛子はそんなこと言わないだろう、って信じられたから。


 そう、美優は安心したように笑った。きっと美優はそれなりに緊張しながらこの事実を伝えてくれたのだろう。

「当たり前じゃん! そんなこと言わないよ」

「うん」

 美優はホッとしたように笑った。けれど、雛子はなんだかやりきれない気持ちが胸の中を渦巻いていた。

 なんでだろう? 美優が結婚したくない人間であることは、雛子にとってはとてもラッキーなはずだ。

 だから雛子は美優の告白を喜ぶべきだったし、実際に美優は「私達って気が合うね」と嬉しそうだった。良かった。ハッピーエンドじゃないか!

 ……なのに、何でこんなに釈然としないのだろう? 

 雛子のそんな心中を察したのか、美優は心配そうに此方を伺ってきた。

「ヒナ? どうしたの?」

「ううん、なんでもないよ!」

 そう笑いながらも、雛子は考えていた。

 美優は知らないのだろうか? 

 結婚していれば互いのどちらかが死んだとき相手に財産を相続できるのに、この国では女と女では結婚ができないし、パートナーシップ制度ではそれが実現できないことを。

 いやいや! と雛子は頭を振る。美優は結婚したくないんだから、こんなことを説く意味はないというのに。

 なのに雛子は何故か、酷く動揺していた。ううん、本当はとっくに気づいていた。


 ――見沢雛子は旗本美優と結婚したいのだ。


 雛子はこれまで、婚姻制度というものに否定的だった。それは、自分が一生「結婚」に縁がないと思っていたからで――こうして一転、美優と出会ってしまってから、雛子は自分が結婚を可能性として考えられることに気づいてしまった。

 もちろん、この国では結婚はできない。それでも、年々同性婚が法制化されるよう各地でさまざまな働きかけがなされているのは知っているし、欧州などにいけば、雛子と美優は夫婦になることが出来るのだ。

 雛子はそれから、愕然とした。

 美優に裏切られたような、そんな身勝手な思いを抱いてしまっていることに気付いたからだ。

 雛子は、貯めた財産の全てを美優にあげたかった。雛子のこれからの人生の全てを美優に捧げたかった。美優もそうであってほしかった。

 わかっている、自分は重い。けれど、それを諦められない。


 雛子はぼんやりと思った。一体、私達のゴールはどこにあるのだろう?

 このまま自分達は、死ぬまで舗装されていないか細い道を歩いていくしかないのだろうか? そこで得た財産は彼女に全て渡せるかもわからないのに? 思い出とともに同じお墓に入ることも難しいのに?

 美優はそれらを選び取ろうともしてくれないのか?


 雛子は自分に呆れた。結婚したくないと口にしただけの美優に、こんな思いを抱いてしまうなんて馬鹿馬鹿しい、と。

 しかし、止められなかった。美優はいつか私と別れるつもりなのではないか、と不安がじわじわと足元から這い上がってくる。

 そしてふと、今自分は薄い氷の上を、割れないよう恐る恐る歩いているようなものなのではないか? と雛子は恐ろしくなった。


 その日を境に、雛子は美優との距離をさりげなく取るようになった。

 勿論、気持ちが落ち着くまでの間だ。変に疑心暗鬼になって、美優にそれをぶち撒けでもしてしまったら恐ろしい。

 それに、雛子はすぐ気持ちは切り替えられると思っていたのだ。

 ……なのに。気持ちが切り替えられるどころか、雛子の不安は日に日に加速していった。


 そして、そんな日々が続いて、一カ月がたった頃だった。


「ヒナ。……なんか悩んでる?」


 夕飯を食べながら、とうとう雛子は美優にそう尋ねられた。思わず箸が止まる。逃げられない、と思った。

 しかしまさか、美優が自分との将来を見据えていないのではないか、と疑心暗鬼に陥り、不安になっているとは言えない。美優はいつも、雛子を大切に愛してくれている――それは十分すぎるほど分かっているのに!

「なんにもないよ? どうして?」

 雛子は笑ってそう言った。だが、美優も当てずっぽうに言ったわけではないらしかった。

「嘘! 最近暗いよ。職場で何かあった? ……もしかして、私と付き合ってることで、なんか言われた……?」

 「ち、違うよ!」

 だってそもそも、雛子は職場で同性パートナーがいるなんて言ってない。オタク趣味のことだって話してないのだし。

 そう答えると、美優は一度「そう、」と頷いて、それからぽろぽろと静かに涙を流し始めた。

 雛子はギョッとした。急いで美優に駆け寄る。彼女は顔を上げると、まあるい瞳でじっと雛子を見つめた。

「じゃあ……私のこと、嫌いになっちゃったの?」

「いやいや、なんでそうなるの!」

 雛子は慌てた。そんなこと、天地がひっくり返ってもありえない!

「だって、最近よそよそしいし。浮気してるのかと思って……。こっそりスマホみてもそれらしい会話はないし」

「え」

 まさか美優がそんなことをしていたとは!

 雛子は驚いたけれど、惚れた弱みだろうか、嬉しいとまで思ってしまった。が、ことは一大事である。まさか美優をそんなに追い詰めてしまっていたとは!

「だから、私に飽きたんだって思って。……言っておくけど、絶対に別れないからね……!」

「美優……」

 雛子はそんな美優の覚悟を目の当たりにして、とうとう降参した。

「違うよ。別れたいなんて全く思ってないし、浮気相手なんかいるわけない。美優だけが大好きだから」

「……ほんと? じゃあ、なんでこの頃ずっとよそよそしかったの?」

「それは………。言ったら、美優に嫌われちゃうと思う」

「ならないよ! こうして教えて貰えない方が、ずっと哀しいし、つらい」

 そう言われてしまえば、雛子はもう誤魔化すわけにはいかなかった。

 小さく息を吸い込んで、吐く。緊張していたが、なんとか声を振り絞って、吐き出す。


「……私、美優と結婚したいの」


 言ってしまった、と雛子は思った。美優はといえば、ぽかんと口を開けている。

「え?」

「ごめん」

「はあ?」

 美優が雛子の裏切りに憤るのは、当然だ。

 案の定、なんで、と美優は呟いた。申し訳なくて、思わず目を伏せる。

 しかし、美優が告げたのは、雛子を詰るような言葉ではなかった。

「なんで言ってくれなかったの!? 言ってよ!」

「……え?」

「そんなことでっ……いや、そんなことじゃないけど! でも、そんな理由でずっと私にそっけなかったの!?」

「だ、だって、言ったら別れ話になっちゃうと思って……」

 雛子はしどろもどろになりながらも、なんとか言い返した。だがすぐにそれは美優にぴしゃっと打ち返される。

「そんなわけないじゃん!」

 しかし雛子も負けていられない。

「だって……! 美優、前の彼女と別れた理由は価値観の違いって言ってたじゃん……!」

「そっ、……そうだけど……」

 美優は言葉に詰まると、箸を伸ばして唐揚げを一口放り込んだ。大きな唐揚げだったので、リスみたいに頬が膨れている。かわいい。

 咀嚼し終わった頃、少し落ち着いたのか、美優はぼそりと呟いた。

「……ごめん。ちょっとちゃんと話そう」

「うん」

 雛子は頷いた。美優はホッとしたように息を吐き、それから顔を上げて雛子を見つめた。

「話を整理するね。えーっと……ヒナは、私と結婚したい! って思っちゃってたこと自体に罪悪感を抱いてたってことでいいの、かな? 私がこの前、結婚したくないって言ったせいで」

 美優は真っ直ぐだった。ここら辺も、性格の違いが出る。雛子がいつも小賢しく立ち回って楽な方に流れる横で、美優はいつだって懸命な人間であり続けた。

 雛子はそんな美優が好きだけれど、今はやや気まずい。

「その……うん、それもある」

「それも? ってことは他にも何か理由があるの?」

 案の定、美優は追及してきた。雛子は重たい口を渋々開く。

「……ほら、美優、私の結婚について話してるツイート見たって言ったでしょ?」

「うん」

「私、ずっとずっと、ああいう風に考えてきたの。一人で生きていくつもりだったから。……でも、美優と出会って――」

「考えが変わっちゃったわけだ」

 雛子の紡いでいた言葉を、美優が引き継いだ。

「そうだよ。……本当、そう」

「そっか」

 美優が優しく相槌を打つ。それに甘えるように雛子は顔を上げると、じっと美優を見据えた。

「……私、ずっと美優と一緒にいたいの。美優に私の全部をあげたい。そのためには結婚するのが一番手っ取り早いのに、私達はそれが出来なくて……。それでも、お互いに結婚したいって思ってるなら、それをよすがに生きていけるって思ってた。……でも、」

「私は結婚がいやだなって言っちゃったから、その支えがなくなっちゃったんだね」

 雛子は頷いた。いざ言語化されると、自分はなんて傲慢なんだろう、と恥ずかしくなった。目の前で美優が申し訳なさそうに微笑む。そんな顔させたいわけじゃなかったのに。

 暫くして、美優が口を開く。

「ヒナ、私の意見を言っていい?」

「う、うん」

「そういうことは、ちゃんと言って」

「……え?」

「え? じゃない! だって私達二人の問題でしょう? 私は……私も、ヒナと一緒に生きていきたいよ、ずっと! だから、そのために必要なことなら、遠慮しないで言ってほしい。意見がぶつかっても、着地点を一緒に見つけて、なんとか上手くやっていこうよ」

「美優……」

「……私はね、結婚とかしなくても、そういうことを毎日積み重ねていけば、それがいつか一生になると思ってる。でも、ヒナは違うんでしょう?」

 美優は優しかった。

「うん。結婚して……いつか結婚できたら、美優に全部あげたいよ。それに、本当は、」

「うん」

「……結婚しましたって言いたい」

 辿々しい言葉を、それでも美優はちゃんと最後まで静かに聞いてくれた。

「……そっか」

「うん……」

 そして、美優は言った。


「でも、ごめんね、私はそれでも結婚したいとは思えないかな」


 雛子は目を丸くした。まさかこの流れで、こんなはっきり言われるとは思わなかったので。正直、ショックだった。

 また裏切られたような気持ちが這い上がってきて、自分の狭量さに絶望した。

――しかし。


「でも、ヒナがそう思ってくれてるのは、すごく重要だと思ってる」


 美優はそうはっきりと言った。

「……え? 重要?」

「ヒナが結婚したいって思ってくれていたこと自体が、うれしいってこと。だから、ヒナがどうしてもしたいなら、私は多分流されて結婚しちゃえると思う。したくはないけど、出来ないわけじゃないから」

 雛子は目を見開いて、動揺した。

「いや、でも」

「本心だよ。本気でそう思ってる。私だってヒナと一緒にいたいってさっき言ったばかりでしょ?」

 雛子は美優の目を見て、多分、本当にそう思ってくれてるんだろうな、と思った。

 そして、雛子はその言葉がうれしくて――これから生きていく上でのよすがにできると思ったけれど、同時になんだか途方もなく虚しかった。

 何故なら今、自分達が必死で言葉を重ねて、なんとか着地点を見つけようとしている事象は、この手の中に存在しない。二人には、結婚できる権利がなかった。

 その現実が、あまりにも哀しかったのだ。

 雛子はぽつりと呟いた。

「……私達に結婚できる選択肢があったら、今の会話は地に足ついたものになったのにね」

 ぐ、と喉を押し潰すように、嗚咽が漏れた。視界がぼやけていく。なんだか今、雛子は死ぬほど哀しくて、悔しかった。

「私、馬鹿みたいだ。選び取れないことにこんなに必死になって、美優に気遣わせて……。ごめん」

 薄い涙の膜の向こう、輪郭がぼやけた美優が、此方に白い――ティッシュを手渡してくる。雛子がそれを受け取ると、美優が口を開いた。

「よし、決めた!」

「え?」

 美優は笑って言った。

「唐揚げ食べよ!」

「……はあ?」

 その提案があまりに唐突すぎて、雛子は涙が引っ込んだ。

 美優は続ける。

「お米を食べて、唐揚げを食べて、いくらか元気になったら――それから少しだけ調べてみようよ。結婚できる国とか、結婚を実現するために私達ができるかもしれないこととか、プライド運動? みたいなやつ」

 美優はそう言うと、雛子の取り分け皿に唐揚げを放り込んだ。

「いつか地に足つく日がくるように、とりあえず何かやってみない? ちょっとした暇な時間に。私は今は結婚したいと思わないけど、ヒナと一緒に生きていくために、私だってよすがになるものがほしいと思ってる。そのために、一緒にこれから歩けるかもしれない道を見据える時間を作ろうよ」

「美優………」

 雛子はなんだか泣きたくなるような感情が込み上げた。それはじわりと広がっていき、美優が好きだという想いに変わった。

「……いいの? 結婚できないことについて調べていくのは、結構メンタルやられると思う」

 雛子は知っている。自らに権利がないものについて探究するのは、手がいつまでも空を切っているみたいで、ズンと心が重くなる作業だと。美優が辛い思いをするのは本意ではなかった。

 しかし、美優はからっと笑った。

「大丈夫! こう見えて私、結構心が強いし! あ、今日はイヤだなー、無理かもと思ったら、雛子にちゃんと言うよ。幸せになるために時間を作ってるのに、不幸になったら元も子もないもんね」

「………ぅ」

 雛子は言葉を詰まらせた。美優が好きで、大好きで――ずっと一緒にいたいと思って。

「……好きだあ〜〜〜」

 涙交じりに小さく呟く。すると、テーブルを挟んだ向かい側で美優が得意げに笑った。

「何か言った?」

「聞こえてたでしょ。美優が好きだなあって思ったの」

 雛子がそう言うと、美優は世界で一番かわいく微笑んで、優しく呟いた。


「――なら、ずっと一緒にいなきゃだめだね、私達」


 その瞬間、とうとう雛子は泣いてしまった。



 

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