どうしよう、惹かれていく

ひぐらし なく

第1話 出会い

「明日香、今度の連休に駒に登らない」

 美晴が、電話をかけてきたのは四月の末だった。

 本当は彼に会いに行こうかと思っていたのだけれど、このところ返事がなかなか来ない。


 気分転換にそれもいいかなとおもった。

 駒というのは道南にある駒ヶ岳のことで大沼国定公園のシンボルのような山だ。噴火湾沿いで暮らす者にとっては、日々眺める山だった。


 佐野明日香は、道立高校の事務職員だ。高校を卒業しそのまま母校に採用された。

 二年目の春に転勤してきた上司と恋に落ち処女を与えた。ちょうど二十歳になった日だった。もちろん不倫だ。


 海辺の車の中で、出張先で。二人は逢瀬を重ねたが、彼は二年で日高管内に転勤になった。

 最初の一年はそれでもまだ頻繁に会うこともあったが、それがだんだん減ってきていた。

 昭和五十四年の春、北海道道南の小さな町でのことだ。


「山岳会に新しい人が来たんだ、関西の人」

「ふうん、なにしてる人なの」

「開発局」

「北海道開発局」


「うん、港作っているらしい」

「あったの?」

「うん、ハンサムじゃないけど話は面白いよ、関西人だし。あと声がいい」

「ふうん」

「どうする?行くならそ、の人の車でってことになるけど」

「うん、じゃあ、行く」


 五月三日、行くって言わなきゃよかったと後悔した。

 駅で待ち合わせて、紹介された今日のドライバーは、すっごく悪い表情の不愛想な男だった。

 同い年のはずなのにとてもそうは思えなかった。


「氏家って言います、すみません今朝まで飲まされてたんで、安全運転で行きますが、出来ればなんか話をしていてください。そうでないとちょっとつらい」

 確かに声はいいしイントネーションは面白い。が、その顔はどうにかならないか、山に行くのに朝まで飲むなよ。


 もっとも山岳会の会長もこの日と同様ひどい顔をしている、つまり飲まされたというのは会長に飲まされたということか。

「ひどいやろ、山いくいうのに、俺の先輩と三人で日本酒一生開けたんやで、『越乃寒梅』確かにうまかったけど、最悪、おかげで朝飯食えへんかったし」


 馬鹿じゃないのと思う、でもちょっとかわいそうな気はした。

「サンドイッチ食べます」

「嬉しいけどあんたの昼めしとちゃうん」

「あ、朝用です、食べるの好きなんでちょっと多めに」

「ほんま、ありがとう、ほな」


 彼が運転しているので、頼むと言われたら横からサンドイッチとお茶を渡すこすことにした。

 食事がよかったのか、だんだん目が覚めてきたのか、最初よりはましな顔になって来た。


 早そうな車に乗ってはいるけれど、運転は荒っぽくもない。無理な追い越しもしなければ横断歩道に人がいればちゃんと止まった。

「この道は得意なんですか?」

「うん、前任が函館だったから」

 工業高等専門学校を出て、北海道開発庁に採用され、函館に来たそうだ。


「関西なんですよね」

「うん、京都生まれの大阪育ち」

「どうして北海道に」

 美晴が聞いた。


「俺のおやじが函館の出身なんです、母さんは利尻の医者の娘で、函館高女、今の西高に通ってたんです。それで北海道にあこがれもあって」

「そうなんですか、西高って北島三郎と一緒だ」

「らしいですね、おふくろの方がずっと先輩だけどね」

 そう言って氏家は笑った、最初の印象よりはだいぶんととましだ。

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