第10話 File3 神王正を知る者

この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件とは関係ありません。









春が芽吹き始めた季節、それでも寒さはまだまだ厳しい。少し前にラーメンを味わったばかりだが再びその暖かさが恋しくなり求めたくなる。

厚手のコートを着て歩く人の方がやや多く思える大通り、その中で一直線に目的地へと向かって歩く20代前半ぐらいの若い女性。流行りの店には今は一切見向きもせず歩いて、やがてある建物の前に立ち止まる。

喫茶店ヒーリング、そして2階に神王探偵事務所が入っているテナントビル。

女性は喫茶店ではなく階段を上がって事務所の方を選んだのだった…。





神王探偵事務所内では主である正が自分のデスクでココアを飲んでいる、そしてすぐ傍にあるスマホの時計に表示されて時間を見た。

「そろそろか…」

今の正は何かを待っているように見えるが、その答えは数秒後に明らかとなる。



ピンポーン



事務所内でチャイムが鳴った、これに同居人である涼が気づいて出る前に正が玄関へと向かってドアを開けた。

そこに立っていたのは茶髪のストレートボブの女性。身長は160Cmぐらいで黒いレディースパンツに青い長袖のシャツ、その上に白いカーディガンを着ている。年は20代前半ではあるが正はこの女性については知っていた。


「電話で話したけど、久しぶりだね神王君。相変わらずちっちゃいなぁー」

「ほっとけ。とりあえず中へどうぞ」

此処へ来た客ではあるが互いに軽口を叩き合っている、遠くからそのやり取りを見ていた明と涼の兄妹は正を真似してか推測をする。

「……お付き合いしてる彼女さんかな?」

「いや、久しぶりと言ったんだ。付き合ってるならそうは言わないだろ、過去に付き合っていたかもしれないけど」

二人はまず真っ先にあの女性が正と付き合っていたのかと思った、あの気軽さはまずそれを思わせる。現状付き合ってるのかと涼は思ったが明は久しぶりという言葉を聞き逃さなかった。それなら現在も付き合ってる可能性は低いと思われる。

「多分昔の同級生か、そんな所じゃないか?学生時代の、流石に小中高のどれかは分からないけど」

明は一番可能性としては考えられるのは正が学校に通っていた頃の同級生、先輩と後輩で互いに軽口は中々無いはずだ。特に後輩側は。



「神王君が探偵だって聞いてねー、ホントびっくりしたんだよ。あの神王君がそっち行くのかって」

来客用のイスへと腰掛ける女性、そこに向かい合う形で自分もイスへと座る正。何やら女性から見て正が探偵になっているのが意外だと思っているらしい。

「…まあ、未来はどうなるのか分からないって事だろ。それより松島、依頼内容は?わざわざ此処に世間話しながらお茶しに来た訳じゃないだろうし」

世間話もそこそこに切り上げ、正は依頼内容について尋ねる。松島、それがこの女性の苗字だ。

「言ったじゃん、神王君。私は結婚して苗字は星見に変わったんだよ」

「昔から呼び方それだったせいかすぐに松島から星見に切り替えられない」

正と同級生の今回の依頼人、松島こと星見瑛子(ほしみ えいこ)。彼女は若くして既に結婚していた。



「まあ、その依頼っていうのは純一(じゅんいち)…うちの旦那の事なんだけどね。どうも最近こそこそしていて怪しいの」

瑛子は今回頼もうとしているのは純一という彼女の夫に関する事のようだ、そして此処まで聞けば正は何を頼まれるのか大体予想はついた。

「スマホも彼の隙をついてこっそり調べたりしたけど特に何も無かったし、けど何かこそこそしてるし…。変だと思わない?もしかしたら浮気されてるかもしれないし!」

「浮気調査と…」

やはりと言うべきか瑛子は正に浮気調査を依頼しようとしていた。今回の正は純一が一体何をしているのか、それを探る仕事だ。

「お願い出来る?探偵と来たら浮気調査でしょ!」

「……まあ、依頼は受ける」

本当に探偵というものに対するイメージは人それぞれだと正は内心でため息をつきたくなってくる。どちらにしても大事な客だ、その依頼には応えて解決へ向けて全力で遂行しなければならない。

そして正は瑛子から純一の職場の場所に普段行くであろう場所を教えてもらい、他に受けている依頼は無いので身体は空いている為に早速今日から瑛子の依頼を受ける事にする。瑛子は書類に記入して手続きを済ませていく。



「…結婚してるんだね、あの人」

また遠くでこっそりと話を聞いていた涼、正の同級生である瑛子が結婚しており旦那である純一絡みの調査を頼まれたのも聞こえている。それは明も同じだ。

「浮気調査…まあ探偵らしい依頼だよな」

此処にも探偵のイメージはそれだと推進する者が居る、正が聞いたらため息をつきそうである。

「ねえ、明。うわきってあれだよね?相手の人居るのに他の人を好きになっちゃうっていう…」

「そうそう、したら駄目な奴だ」

彼らは一体何処でそれを教わったのか、この場に正がいたらそれが気になってくるだろう。

「その調査ってどんな事するんだろ?」

「そりゃあ…対象者に張り込んで浮気の証拠を掴むんじゃないか?季節が暑くても寒くても関係無しで」

「大変そうー…!」

探偵の浮気調査はどういうものなのか、明は自分の中の探偵のイメージをしていた。ターゲットへと張り込み証拠を掴む、そういうやり方であり季節や天候がどうだろうが関係無しなのだと。涼はそれを想像し、正の今日の仕事が辛いものと感じた。



兄妹の方でそんな会話が続いている間に瑛子の依頼手続きは終わった。

「それじゃあ早速今日から調査に取り掛かる」

「うん、私は…下のお洒落そうな喫茶店行っておこうかな?」

今日から動き出す正、これから調査へと出かけるそうで簡単な身支度を済ませて出かける準備をする。瑛子も外へと出て家へと帰るのかと思えば下の喫茶店ヒーリングでお茶をしていこうかと考えていた、さっき振舞ったコーヒー1杯だけじゃ物足りなかったようだ。

「明、涼。俺は調査で出かける、夜とかは適当に済ませて先に寝ておいてくれ」

「分かった」

「いってらっしゃい」

探偵の仕事は何時終わって帰れるのか分からない、すぐ終わる事もあれば今日その日に帰れず徹夜になるという事もある。正は明と涼に前もって伝えておき、瑛子と共に事務所を出た。

そして事務所には明と涼の二人だけになった。




「少し早いけど昼にするか」

正が事務所を出てから数分、時計を見れば昼時の時間になっていた。明は時間は少し早いが昼にしようと提案し、涼もこれに賛成。

今日は下の喫茶店で昼を食べようと二人は事務所を出て鍵を閉めると階段を降りて1階の喫茶店の前まで来てそのドアを開ける。

「いらっしゃいませ、あ。明君に涼ちゃん」

店内に流れるジャズのBGMと共に兄妹二人を迎えたのはこの店の店長でテナントビルのオーナーでもある白石茜。

「こんにちは茜さん」

二人は度々この店で食事やお茶をしており茜や姉妹のウェイトレスとも知り合い、最初の頃は正と共に来ていたが今は慣れて二人で喫茶店に訪れるまでになっていた。

明と涼は共にカウンター席へと座る。

「あら、キミ達は確か神王君の所の…」

その時、明の隣に座る女性が兄妹へと気付く、二人はその人物を見るとその人は先程依頼していた星見瑛子だった。互いの姿は正が二人へと出かける事を伝えた時に見えていた。

「水野明です、初めまして」

「水野涼です」

二人は揃って瑛子へと挨拶をする。

「その年で礼儀正しいわねー、良い事よ。私は星見瑛子、よろしくね」



同じ席で3人は昼食を共にいただく事となった、瑛子は頼んだコーヒーを飲んでおり明にはアップルジュース、涼にはオレンジジュースが入ったグラスがそれぞれ目の前に置かれた。

「へえ、親戚ねぇ」

正は二人の事は遠い親戚から預かるよう言われて事務所に置いていると回りに説明しており二人もそれに合わせている。

「最初見た時は兄妹居たのかと思ったけどね、上のお兄さんとお姉さんの他にまだ下に兄妹居たんだって」

「え?正君ってお兄さんとお姉さん居るんだ?」

それを料理を作りながら聞いていた茜、正に兄や姉が居るというのは今初めて聞いたらしく驚いている様子だ。

「僕達も知らなかった…」

「神王さんも兄妹居いるんだ…」

明と涼の二人も神王から兄妹については一切聞かされておらず、今この場でそれを知る。



「まあ彼あんま自分の事話さないからね、神王君の実家は合気道やっていてお兄さんとお姉さんが凄くて達人としてちょっと有名人だったのよ。大会で全国優勝もしてたし」

正の家は合気道の名門、兄と姉が全国で優勝する程で注目は集まっていた。合気道においては神王というのはちょっとした有名人らしい。

「という事は神王さんも…合気道の大会で優勝した?」

涼はそれなら正も兄や姉と同じように大会を制して有名人となっているのかと瑛子へと訪ねてみれば瑛子はそれに関して首を横に振った。

「ううん、彼はなんの大会にも出てない。神王君、その頃は…結構喧嘩してたからね」

「喧嘩……」

喧嘩と今とは全く違う不良のような一面を聞いて明、そして横に居る涼はかなり驚いていた。今の探偵の正の姿からは想像がつかない。

「まさか、ものすごいタチの悪い不良だったの?」

「ううん。皆を困らせるような不良とかそういうタイプじゃなかったね、向かって来る相手を叩きのめすみたいな感じだった」

初めて聞く正の過去、不良だったのかと茜は尋ねるが自分から喧嘩を売るような事は無いと瑛子は語る、ただ向かって来る相手の喧嘩は買っており叩きのめし続けた。受けて返す、まるで合気道を思わせるがやっている事はその武道とかけ離れている。


「それが探偵って…」

「私もそれは驚いたんだよね、あの神王君がって」

明達が驚いてるように瑛子もまた正の今の職業、その姿に驚いていた。彼女からすれば喧嘩ばかりしていた正が将来探偵になるなど学生時代は想像もしなかった事だろう。





喫茶店ヒーリングで正の過去話について色々話をしているのと同時刻、瑛子から浮気調査の依頼を受けた正は瑛子の夫である星見純一の働く出版社マジリアルのあるオフィスビル前に来ていた。

場所は水道橋、駅からやや離れた大通りにその出版社はある。数多くの通行人が交差していき、正はその一部に溶け込もうとスマホを持ちながらマジリアルの様子を見てみる。回りは誰も正の事を依頼を受けて来た探偵だという事には微塵も気づいていない、そもそも関心を持つ間もなく皆通り過ぎている。

この出版社マジリアルの事もよくある都会の景色の一つとして皆通って行っているのかもしれない。


正のターゲットは純一、その情報をどうやってまずは入手するべきか。スマホを適当に操作して装いながら正は頭の中で考え始める。

本人に聞かずに本人の事を知る方法、社内の人間に話を聞きたい所ではあるがそんな簡単に部外者が中へ入って話を聞くという事は難しいと考えていい。



どうするかと考えていると正の腹の虫が鳴って来た、こういう張り込みの時に空腹が来てもそこから離れて飯を食いには行けない。その間にターゲットに動きがあってそれを見逃しては張り込みの意味が無い。

コンビニで何か簡単な物を事前に買うべきだったかと正はやや後悔しつつもその場に留まり続ける。



すると、一人の人物がオフィスビルから出て来て正の姿に気付くとそのまま正へと歩いて近づいて行った。その姿が遠くから見えて正はその人物を見てみる。一体誰なのか、分かったのは茶色いスーツ姿の男であり髪は黒い短髪、身長は165Cmぐらいで20代前半。あまり身長は高くないがそれでも正と比べれば高く見える。

「もしかして……神王か?」

「…ああ、俺は確かにその名前だけど?」

その男は正の苗字を言い当て、正はそうだと頷いた。それに相手の男の顔は明るくなった。

「やっぱりそうか!俺だ、永倉だ!」

「永倉?………永倉新一郎(ながくら しんいちろう)か?中学の時クラスメイトだった」

「ああ、その永倉だ。久しぶりじゃないか神王」



彼は正の中学時代クラスメイトだった永倉新一郎、まさか瑛子に続いてまたも自分を知る人物と出会うとは正も想定はしていなかった事だろう。

学生時代を思い出すような事など探偵を始めてからは記憶の限りでは無かった気がする、正の中でその時代が久々に蘇りつつある……。

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