シャロン・ホームズの華麗な冒険
雑食ハラミ
第1話 シャロン・ホームズとの出会い
車の窓を開けると、春のうららかな風がふわっと入って来た。わたしは、この季節が好きだ。冬の間じっと息をひそめていた生き物が、我先に外へとび出して行く季節。あちこちで生命が生まれ、世界が喜びに包まれる。心までふわふわと浮かれ、地に足が付いていないような、そんな気分。
仲のいい友達に一度だけこの話をしたことがあるが、「まるでおばあさんみたいなことを考えるのね。本当に13才?」と笑われてしまった。それ以来誰にも言っていない。
この日は、久しぶりにパパと二人きりでドライブできるのが嬉しくて、はしゃぎたいのをぐっとこらえて助手席に座っていた。でも、そんな楽しい時間もそろそろ終わり。「ビクトリア女学院」という看板を目にした時、わたしは、パパに気付かれないように小さくため息をついた。
「そろそろ着くよ。ほら、時計塔が見えてきた」
沈むわたしの心とは裏腹に、パパは、迷わずに目的地にたどり着けてホッとした様子だ。13才から18才までの女の子が学ぶ、全寮制の女学校「ビクトリア女学院」は、ロンドンの郊外の、のどかな場所にある。わたしは今日からこの寄宿舎で生活を始める。学校は9月からなのに、こんな中途半端な時期に編入するのには、ある理由があった。
「さすが、歴史のある学校だけある。立派な建物でまるでホグワーツみたいだな。こんな所で勉強できるなんてジェーンがうらやましいよ」
石造りの古めかしい校舎を見回して、パパが感心するように言った。確かに、まるで歴史ドラマに出てくるような建物だ。何でも100年以上の歴史があるらしい。
こんな状況でなければ、わたしも立派な学校に入学できて誇らしいと思えただろう。でも、今は、とてもそんな気持ちになれなかった。パパは、しきりにわたしを励まそうとしている。気持ちはありがたいが、わたしはパパと一緒なら学校なんてどうでもいい。家族と離れたくない。どうしてわたしだけイギリスに残されるの? 心の奥底にある本音をさらけ出せるならば、駄々をこねていただろうが、それを実行するには、すでに大きくなりすぎていた。
わたしたちは、まず校長室へ行って校長のアルバート先生に挨拶をした。アルバート先生は、あごひげを生やした40才くらいの人だ。なんとなくだが優しそうな印象で、わたしを見ると静かに微笑み、しばらくパパと雑談をしていた。
「この時期に海外転勤とは、これまた大変ですな」
「はい、日本という国は仕事始めが4月らしくて。そちらに合わせる必要があるので、この子も今まで通っていた学校を途中で変えなければなりませんでした。新しい環境にすぐ慣れてくれればいいのですが」
「大丈夫ですよ。ここの生徒たちは、みな親切で、新しい仲間にも喜んで手を貸してくれるでしょう。私達もきちんと見守りますので、どうかご安心ください」
わたしは、パパとアルバート先生の会話を黙って聞くしかなかった。心配と言うなら、なぜわたしも日本へ連れて行ってくれないの? と聞くのをやっとのことで我慢した。パパがパパなりにわたしのことを考えてくれたのは分かっている。文化も言葉も違う日本に移住するのは、私の年齢では色々と大変だと判断したのだろう。確かに、思春期真っただ中のわたしにとって、環境の変化は大きな影響をもたらす可能性がある。もう子供じゃないんだからここは頑張らなきゃと自分に言い聞かせた。
校長室を出た後、生徒会の子が学校を案内してくれることになった。その子が来るまでパパは一緒に待ってくれると言う。ずっとこのまま時が止まればいいのにと思いながら、わたしはパパとの最後の別れを惜しんだ。
「二度と会えないわけじゃないから、そんなに悲しまないで。パパも離れづらくなるじゃないか」
「別に寂しくなんかないわよ。メアリーによろしくね。あとママにも」
「分かってるよ。パパとママもお前のことをいつも考えている。クリスマス休みにはこっちに帰って来るよ。夏休みは日本に遊びにおいで。その時はみんなで過ごそう」
わたしは、悲しい顔を見せないようにあいまいな笑みをうかべた。すると、少し離れた場所で、わたしたち親子を見ている視線に気が付く。そちらに顔を向けると、その子は静かな足どりでこちらにやって来た。肩までまっすぐのびた銀色の髪の毛に、すみれ色をした切れ長の目、薄いくちびる。どこか冷たそうな印象すらある彼女は、表情ひとつ変えずおじぎをしてから口を開いた。まるで機械のような口調だ。
「生徒会の人間は忙しくて来れないので、代わりに私が頼まれて来ました。シャロン・ホームズと言います。よろしくお願いします」
「ジェーン・ワトソンです。こちらこそよろしくお願いします」
これが、シャロン・ホームズとの最初の出会いだった。
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