花屋の厚川さん
ハナビシトモエ
第1話 こんにちは、が言えない
花屋の
そう思い続けて十二年、ついに迎えた十八歳。
大学に入学して、部活動勧誘から少し熱は冷め、ゴールデンウィークが終わるとこんなにも学生の数は減ってしまうのかと驚いた。
真面目に講義は出ていたし、大学に入った意味も理解出来るまでに勉強も楽しんでいた。母子家庭で妹もいる身で高校卒業後、就職しようとしていた矢先、大学に入れと言われ、抵抗していたが折れてしまった。
「モラトリアムを過ごすのも人生にとって実になるもんだよ」
そう言われるがままに、どうせなら本当に実になる大学選びをしようと思い、総合大学の福祉系に進んだ。
受験勉強は大変で何度かくじけそうにもなったが、親と妹、親友の支えもあって何とか耐え忍んだ。それと毎日、朝に笑顔で挨拶してくれる花屋の厚川さん。
大学も一か月過ぎた。アルバイト代も厚川さんと泊りがけのデートに行けるくらいに儲けた。あとは一緒に行ってくださいと言うだけだ。
「って思っている。祖父江を見てこう思った。親友の
「なんと失礼なことをいう。それでも俺の親友か」
「では聞こう。なぜ好きなんだ」
大学の食堂で一番安い素うどんをすすっている俺の目の前で大盛のかつ丼を親友神原は食っている。
物欲しそうに見てもいつだって、自分の金で食えという。
それくらい親切で恵めよ。
昼間を避けた食堂は人もまばらでお互い少し小さい声でも聴きとれるので、こういう時間帯はありがたい。
「それはこう美しく
「そんな条文みたいな答えを求めていない」
「なんかこう。声が良い感じに低くて、接客している時も不思議と客を落ち着かせる反応をして上手いなって、見た目で何歳か分からないけど、ずっとあんな感じ。花屋のおばちゃんって手際が良くてサービスで何本か入れてくれるけどせわしなくて好きじゃないんだ」
「不思議な魅力か。で、それを客として見たのか?」
「正面のカフェでコーヒーを飲みながら」
「嘘つけ、うちの爺ちゃん、祖父江が水一杯で二時間粘ったって言ってた。お前、金持ってるんだからコーヒーくらい飲め」
神原の祖父は御年八十二歳の老店主である。
「それは」
「それは結婚資金だとか言うんだろ。何年お前の友人やってると思っているんだ。大体、連絡先は知ってるのか」
「じゃ、聞こう。お前は近くの稲荷神社の総本山がどこか知ってるか?」
「京都の伏見稲荷大社だろ」
話が終わってしまった。
「神原君の信仰心は分かった」
「我が家は代々結婚式を和洋でやって、クリスマスにチキンとケーキ食って、七五三もする日本人として生きてきたのだが」
うん。そうだね。俺もそうだった。
「それで祖父江は何がしたかったんだ」
それが話の本筋ではないことを親友は見抜いている。ありがたい、ここで滑って終わりになると中々きつい。
「信仰の対象の実家は知らないもんだろ」
「よく分からんが俺の幼馴染は底抜けのアホらしい。で、なに。その理屈だと花屋の何とかさんはお前にとっては信仰なわけ」
「遠からずだな」
「祖父江くん、まずは目を合わせてこんにちは」
「こんにちは」
「違う、俺じゃない」
帰りについてきてもらおうとしたのだが、神原は自分の恋愛道を究めたいといい先に帰った。
俺も講義は無かったし、さっさと家に帰ってしまおうと思った。
どうせ神原の逢引は自分の祖父の店だろうし、神原の祖父は女の子の前では老紳士を演じるので、そういう風情のある店を知っているマウントを取る。
しかしそんな浅はかな考えは当然筒抜けだ。そのうち袖にされて、泣きを見るのは秒読みだ。
それをこの機会に教えてやろう。ちゃんと店を調べる努力をするべきだと、何度も思うがそれを実行できない。こちらも急所がある。
「こんにちは」
かっこいいことを言っておいて、無様に花屋の前をうろうろしていた。当然、厚川さんに声をかけられた。
「うす」
そう声を吐いて、顔を上げたら厚川さんは奥に引っ込んでた。
暑いもんな。そりゃ奥に入るよ。でも素っ気なさに少し落胆した。しかし、こういうところが好きなのでどうしようもない。
「帰るか」
今日も連絡先を聞けなかった。夏休みに計画している旅行計画が今日も提案先延ばしになった。
トントンと肩を叩かれた。振り返ると首をかしげながら、僕の頬に何か押し付けている厚川さん。
「つべたいの食べん? 嫌?」
す。
「うす」
「食べんの?」
「た、食べます」
「どっちがええ?」
「厚川さんの好きな方で」
「じゃ、うちはピンクの方貰お。祖父江くんも奥おいで、つべたいよ」
「うす。でもお店」
厚川さんの好きな方でと言ったのは厚川さんに僕が何を選ぶかと思っていたけど、自分のを選ぶ厚川さん可愛い。
「今日は誰もけえへんわ。祖父江くん、花好きなんよね」
「うす」
「なにが好き?」
「えっと最近暑いし、ひまわりとか」
「せやね。夏って感じやしね。いつも見かけんど、お客さんの対応でいっぱいで中々お話出来へんから、うち、ちょっと嬉しいわ。もう大学生?」
「一回生っす」
「へぇ、そう。だってこのお店も始めて十五年も経つもんね。今、十八?」
「うす」
「彼女は?」
「いたことないっす!」
厚川さんがたじろいだのが分かった。
「すみません」
「じゃあさ」
どこで間違えたのか、どんな選択肢があっただろう。神原に厚川さんの事を話した時か、猛暑の中厚川さんの店の前をうろついていた時か、それとも店の奥に誘われて奥に行った時か。
「うちに食べられへん?」
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