第22話

「え?」


 その言葉に今度は私の方が声を上げることになる。

 しかし、そんな私を見るマリアナの顔に浮かぶのは呆れだった。


「そんなつまらない心配をしていたんですか、セルリア様は」


「つまらない!?」


「ええ、そうですね。非常につまらない勘違いですね」


 御者台にいるカインからも告げられた同意の言葉に、私は思わず絶句する。

 普段二人が私にこんな言い方をすることはない。

 故により一層、私は衝撃を隠すことができなかった。

 そんな私に、心から呆れた様子でマリアナは告げる。


「セルリア様は、時々信じられないくらい鈍いですよね……」


「本当に。どうして俺達が迷惑でやってるなんて思えるのか」


 呆然とする私を真っ直ぐと見つめ、マリアナ告げる。


「私達は嫌々セルリア様に協力している訳ではありませんよ。──私たちが協力したいと思って今ここにいるんですから」


「っ!」


 普段マリアナは真っ直ぐと言葉を告げる人ではない。

 だからこそ、その言葉に私の中から少しの間衝撃が抜ける事はなかった。

 マリアナは少し照れたように笑いながら続ける。


「……言っておきますが、これは計算なんかしてない本心ですからね」


「マリアナ姐さんが真っ直ぐな人なことは知っておりますぜ」


「カイン、貴方は今は黙っていなさい」


 赤い顔でそう言い放った後、改めてマリアナは私の方に向き直る。


「自分に驕り、孤立していた私を商会長に会わせてくれたこと。そのことを私は心から感謝しているのです、セルリア様」


「俺もです。……あの時、セルリア様だけが俺の御者としての能力を信じてくれた」


「ええ。口にはしないでしょうが、それは商会長も同じ気持ちだと思います。だから、今はただ私たちに恩を返させてもらえないでしょうか?」


「マリアナ、カイン……」


 普段であれば、照れくさいことを言わないでよ、とでも私は冗談めかして答えていただろう。

 けれど今、私は感情が喉元に詰まったように声がでなかった。

 何か言おうとするものの、何か言えば感情が爆発しそうでうかつに口を開けない。


 誰かが、私の手を優しく握ったのはその時だった。

 顔を横に向けると、そこにいたのは優しい笑顔を浮かべるマシュタルだった。

 マシュタルは何も言わず、ただゆっくりと頷く。

 それだけの動作が、さらに私の感情を揺らし、私はもううつむくことしかできない。


「ちょっとここでとめさせて貰っていいですかい?」


 カインがそう言って馬車の速度をゆるめたのはその時だった。

 突然のことに、私だけでなくマリアナもその顔に怪訝そうな表情を浮かべる。

 しかし、すぐにその表情は笑顔に変わった。


「あらここね。貴方もなかなか気を使えるじゃない」


「へへ、これも姐さんのご指導のお陰です!」


「……そろそろ姐さんはやめて欲しいんだけど」


 そう疲れたような顔を浮かべながら、マリアナは私の方に顔を向ける。

 そこには悪戯ぽい笑顔が浮かんでいた。


「少し外に言ってみません?」


「外?」


「いいですから!」


 そうにこにことしながらマリアナは扉を開く。

 私はそれにおずおずとしながらついて外にでる。


「……わ」


 ──次の瞬間、私の目の前に広がったのは夕日に照らされ、赤と青の入り交じる満面の海だった。


 潮のにおいと、波の音。

 初めて目にするその光景に固まる私の隣に、マシュタルがやってくる。


「ここ高台で、海と町を一望できるそうですね」


 そう言いながら、マシュタルは海の方へと指を指す。


「あそこが俺達の目的地、港町スペラリカ、海と貿易の街です」


 そこにあったのは、夕日に照らされ赤く染まった数え切れない屋根だった。

 知らない景色に、知らない匂い。

 そして、初めて訪れる街。


 ……もう私はマイリアル伯爵家令嬢セルリアではない。


 そのことを私ははっきりと認識したのはその時だった。

 頬を伝う涙をそのままに、私は隣にいるマシュタルへ告げる。


「マシュタル、ありがとね」


「……はい」


 その後、私もマシュタルも黙って海を見ていた。

 ただ、波の音だけが二人の間にただよっていた。

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