第10話
止まったはずの涙が、頬を伝っていた。
その涙に、どうしようもなく私は気づかされる。
……ここまでされても、私はまだ未練を断ち切れていないことに。
──いつか、君の両親も認めてくれるよ。その手伝いになるなら、僕は本望だよ。
──何か言いたいことがあるなら、僕が聞くよ。
かつて、ネパールが私に告げた言葉が頭によぎる。
それが本心からの言葉だったのかさえ、今の私には判断が付かない。
それなのに、私はその言葉にすがりついていた。
そんな自分に、私は泣きながら笑う。
もう胸は痛まなかった。
それを越えて、ただおかしかった。
「ねえ、マシュタル。これで私が公爵家の怒りを抑えたら、今度こそ皆私のことを認めてくれるかしら?」
「……お嬢様」
それしかいえないマシュタル。
その様子こそが何より雄弁に、マシュタルの思いを語っていた。
すなわち、それでも私が認められることはないと言う。
自分が知っているからこそ、私はその思いをすぐに理解する。
しかし、それを知った上で私はさらに問いかける。
「これで、私が公爵閣下の怒りを買ったら、皆私のことを思って一滴ぐらいは泣いてくれるかな?」
そう言いながら、なぜか私の涙は止まらなかった。
心の中はおかしくておかしくて、たまらないのに。
「良い婚約者だったて、ネパールも……っ」
「もう、いいでしょう……!」
気づけば、私はマシュタルに抱きしめられていた。
想像もしない事態に、私の身体は一瞬硬直する。
しかし、すぐに私は身体から力を抜く。
……今はただ、こうして安心できる人間の側にいたかった。
しかし、すぐにマシュタルは私から身体を離す。
その目を見て、私は呆然と立ち尽くすことになった。
怒りに燃えたその目を。
どうしようもなく、怒りを買ってしまったのではないかと、そう思って私の胸に恐怖が宿る。
「俺の為に公爵家に行くと言うなら、今すぐ撤回して下さい」
「……え?」
「俺は貴女に守って欲しいから側にいる訳じゃない。──貴女を守りたいと思ったから側にいるんだ」
けれど、違った。
私がそのことを理解したのは、その瞬間だった。
「ずっとお嬢様が、ずっと当主様達に価値を認めて欲しいと思っていたことを俺は知っています。そのために努力を重ねてきたことを」
そう告げるマシュタルの目に宿る怒りの先にいたのは私ではなかった。
その矛先が向けられているのは、両親達だった。
真っ直ぐと、私を見ながらマシュタルは告げる。
「隣で見てきたからよく、俺も理解しています。……でも、その価値を認めるのが俺では駄目ですか?」
「……え?」
それは想像もしない言葉だった。
でも、マシュタルは止まらなかった。
「お嬢様の価値を一番理解しているのは俺です」
そう言いながら、マシュタルは私の方へと手を伸ばす。
そこにあったのは、信じられないような決死の表情だった。
「邪魔だと言うなら、もう良いではないですか!」
「……マシュタル?」
「──もう、お嬢様は自由になっていいじゃないですか!」
ずっとずっと私が両手で大切に抱えていた何か。
重荷だと理解しながらその手から離せなかったそれが、ごとりと動き出したのはその時だった。
そうだ。
私は昔、ずっとこんな家から出て行きたかったのだ。
なのにいつからだろうか。
……その考えを頭に浮かべることさえなくなったのは。
呆然と考える私に、なぜか泣きそうな顔をしてマシュタルが告げる。
「俺が幸せにします。俺と一緒に世界を見に行きましょう! だから……」
そこで一瞬、言葉に詰まった後マシュタルは私に手のひらを向ける。
「この手を取って下さい……」
絞り出すようにマシュタルが告げた言葉。
なぜかは分からない。
けれど、それを聞いた瞬間私の目からも涙があふれていた。
「私は」
「……おじょう、さま」
「私も、マシュタルと一緒にいたい」
もう、私の腕の中に重荷は存在しなかった。
◇◇◇
次回から、ネパール視点となります。
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