全然意味のない話集

小山 夢生(こやま ゆな)

僕らがもう一度再会する方法

ある日の夕方。公園の小屋にて。

当時4歳のハルキは、当時8歳のお姉さん、ヒナタによく遊んでもらっていた。

幼稚園で流行っていた、結婚の約束。子供だましなその口約束を、ハルキもしようとしていた。

幼稚園の教室で作った、小さなモールを輪っかにしただけの指輪をヒナタの左薬指にはめ込んで、

「ヒナタちゃん、大きくなったら、僕と結婚して!」

「うん! 約束ね!」

そう、約束をした。


あれから7年後…。お互い疎遠になってしまった二人の元に、ある偶然が、訪れる。


7月2日 ヒナタ 15歳。

期末試験前の放課後。家での自主勉強に耐えられなかった私は、近所の公園までやって来た。

公園の最深部。フェンスを越えたその先に、小さな小屋型の遊具がある。

幼いころ、この小屋で遊んだ。今私は、その場所を勉強に使おうとしている。

コンビニで買ってきた、何の変哲もないただのノート。

臨時で買ってきたそのノートに、名前を書くこともせず、ページにシャーペンを走らせる。


勉強を始めて、2時間ほど経っただろうか。徐々に暗くなっていく空。

ぽつぽつと、屋根に音がしたと思うと同時に降り始める夕立。雨から逃れるように、急いで鞄で頭上の雨を防ぎながら、公園を後にした。

その時、小屋にノートとシャーペンを置き忘れてしまったことを知らずに。



7月3日 ハルキ 11歳。

夏の僕らは、学校から帰ると必ず、近所の公園に集合する。同じクラスの男子5人組で、日が暮れるまで遊ぶんだ。

昨日はサッカー。一昨日はドロケイ。毎日

「今日は何する?」

とみんなで決めて、その日、その時に遊びたい遊びをする。

1人が、持っていたサイダー缶をコンッとベンチに置き、得意げに話し出す。

「缶蹴りしようぜ。」

皆、面白そう。とその案に乗り、言い出しっぺが鬼になった。

鬼が数えている間に、僕たちは急いで鬼から離れ、隠れ場所を探した。

僕は、奥へ、奥へととにかく進んだ。破れているフェンスの間を通り抜けて、古い小屋型の遊具まで辿り着いた。

今よりももっと小さい頃、ここでよく遊んだ。今は古くなってしまって、使われなくなってしまったけど。とにかく、ここまで探しに来る人はいないだろう。

小屋の中に入って、しゃがみ込んで身を潜める。

ジリジリと、靴と、砂が積もった床をこすりつけていると、かかとに何かが当たったような感覚がした。

後ろを向くと、ノートとシャーペンが落ちていた。誰かの落とし物かな。とも思ったけど、なんとなくノートの中身が気になってしまって、ページをめくってしまった。

書かれていたのは、社会の歴史。教科書を丸写ししたような長文が書かれていた。

ここで勉強していたのかな?

でも、そのページに気になるところがあった。

産業革命の命の字が、「いのち」ではなく、「明るい」の「明」になっていたのだ。

「え、ここ、違う…?」

僕は迷ったが、置いてあったシャーペンで、その漢字を訂正した。そしてその横に

「漢字間違ってますよ!勉強頑張って下さい。」

と、メッセージを残した。余計なお世話だったかな…?と思ったけど、「まあ、いいか。」と思い直して、ノートをもとの場所に戻した。


それから5分後。

「あ、やっと見つけた。」

「どこ隠れてるんだよお前~。」

僕以外の全員が、僕を見つけに小屋のドアを開けた。どうやら、僕の姿がどこにもなかったので、全員で探してくれていたらしい。

「ごめん、ごめん。」

そう言って、僕は小屋を後にした。


その日の18時頃。私、ヒナタは例の小屋に訪れていた。

「やっぱり、昨日置いて行っちゃったんだ…。 よかった、まだあって。」

ノートを忘れたことを思い出して、取りに戻って来たのだ。

それとなく、パラパラとページをめくってみる。間違いなく、私のノートだ。

「…あれ?」

私の書いた覚えのない字があった。筆跡も違う。

「漢字間違ってますよ…? !ほんとだ…恥ずかしい…。誰かに見られてたんだ…。」

恥ずかしさのあまり、私は顔を抑えて、その場でうずくまった。

「…でも、勉強、頑張ってください……か。」

私はそのメッセージの横に「ありがとうございます。」と書いてみた。

「うーん、何か、味気ないかな…?」

その後も、悩みながら、知らない相手へのメッセージを考えた。

「…あ、もう真っ暗じゃん。夕飯に遅れちゃう。」

今日は、わざとノートとシャーペンを置いていった。自分でも何を考えているんだろう。でも、何かが始まる気がして、ワクワクしていたんだ。



7月4日 16時 ハルキ

何故か、足を運んでしまった。あの小屋に。忘れ物のノートとペンは、持ち主の元に戻ったのかな?それとも、昨日と同じで、まだ置いてあるのかな?

ドアを開けると、それはまだそこにあった。

「このノートたち、忘れられちゃったのかな?」

そう言いながら、ペラペラとページをめくる。

忘れられているわけじゃなかった。僕が書いた漢字の訂正の横に、「ありがとうございます。」と書いてある。さらに、新しいページに文字が書かれていたのだ。


「このノートを見た方。はじめまして。

漢字の間違いを教えてくれて、ありがとうございます。

私はこの小屋で、テスト勉強をしていました。

勉強は嫌いです。バレーボールとお好み焼きが好きです。

あなたは何が好きですか?」


歴史の勉強ではなかった。ノートの持ち主が、僕に向けて書いた文章だった。

会ったこともない人、知らない人。そんな人からのメッセージはどこか特別なものに感じられた。僕は怖さもあったが、好奇心が抑えられず、ノートに返事を書いた。


同じ日の18時 ヒナタ。

「お返事、来たかな…?」

緊張しながらページを開くと私の書いたメッセージの下に、新しい文が。


「はじめまして。

勉強はどうですか? 僕は勉強、好きです。知らないことが知れるのは楽しいです。

あと、植物が好きです。小屋の外に咲いてる青い花は、オオイヌノフグリと言います。

小さくて、可愛くて、好きです。」


返事が返ってきた。素直に嬉しかった。

「男の人なのか…。」とか呟きながら、また返事を書いた。


「植物が好きなんですね。あの青い花、私も可愛いなって思ってました!オオイヌノフグリっていうんですね。

勉強好きなのいいな~。私も好きになれるように頑張ります。」


7月5日

「あの花、可愛いですよね!勉強、覚えなきゃいけないものが多くて、大変ですよね。

僕は逆に、運動はあまり得意じゃないです。すぐ疲れちゃって…。バレーボールは、やってるんですか?見るのが好きとかですか?」


7月6日

「バレーボールやってます!楽しくて大好きです!

運動が好きで、将来の夢は体育教師になることです。だから、勉強もっと頑張らないと…!」


7月7日

「運動が得意なんですね。羨ましいです。

体育教師、素敵ですね。僕も運動頑張るので、あなたも勉強、頑張ってください!

今日は七夕ですね。晴れだから、奇麗な星が見えそうですね。」


7月8日

「昨日の夜、曇ってて星、見れませんでしたね…。

来年は晴れますように!

あの、質問なんですけど、数学、出来ますか…?

連立方程式が、分からなくて…。この問題がどうしても解けないんです。」


「連立方程式か…。前に参考書でやったな。えっと……。」


7月9日

「連立方程式ですか。上の式と下の式を、筆算みたいにすると説きやすいですよ。

この問題だと、こんなふうに…。

2x+y=7

3x-y=3

だと、先に「2xと3x」、「7と3」足して5x=10

5に2をかけると10になるので、x=2となります。

あとは上の式に数を代入して…2×2+y=7

4+y=7

7-4=3 y=3

なので、x=2。y=3になりますよ!」


7月10日

「ありがとうございます!凄い!

全然わからなかったのに、このやり方でやったら、全問スラスラ解けました笑

また、分からないことがあったら聞いてもいいですか?」


7月11日

「分かりやすいと言ってもらえて嬉しいです。

僕もこの前やったばかりだったので、人に教えられてるか不安でした。

もちろん、分かることなら、ぜひ、聞いて下さい。」


「この前やった?同い年くらいなのかな…?

もっと、高校生くらいの、年上の人かと思った。大人っぽいな…。」


7月12日

「ありがとうございます。今テスト期間中なんです!

もっと早く、あなたに出会ってれば良かったのに…。

テスト勉強中はいつも、音楽を聴いてるんです。“He Is SENTIMENTAL”っていうバンドが好きなんです。知ってますか?」


7月13日

「“He Is SENTIMENTAL”、僕も好きです! ”朝焼けに贈る詩“とかいいですよね!

邦ロック好きなんですか? 僕、他にも“GREEN ROOKIE”とか、“やがてレモネードに染まる”とかバンド聞いてます!」


7月14日

「“朝焼けに贈る詩”、めちゃくちゃマニアック笑笑

私も好きです! “僕らはみんな放浪中”とかも好きです!

“やがてレモネードに染まる”いいですよね! 最近だとめっちゃ有名ですけど、“星屑を嚙み砕く”とかよく聞いてます! 邦ロック好きなんです!」

「そっか、邦ロックが、好きなんだ…。へえ。」


そうやって僕たちの交換日記は、約2か月間続いた。

僕が勉強を教えたり、2人がお互いの好きなものを語ったり…。

雨の日を除いて、一度も途切れたことがなかった。

僕は自然と、彼女と文章で何気ない会話をすることが、当たり前で、この時間が、特別になって行った。

おそらく、好き、なんだと思う。

なんて言って。本当は彼女の中身がおじさんかもしれないのにね。


ノートの中にいる彼女に思いを馳せながら会話を続けていたある日、彼女からのメッセージに胸が高鳴った。

これが、二人の関係を変える重大な文。


「あの、私たち、会ってみませんか?直接。

もし会ってくれるなら、今週9月27日土曜日、15時に、この小屋で、待ってます。」


僕たちは、約束をして、会うことになった。



約束の日。約束の時間。

いつもの小屋の前にたどり着いた僕は、緊張を抑えるように深呼吸して、小屋のドアをゆっくりと開けた。


「あの…いつも、交換ノートをしている……え?」

「え、ハルキ…?」


そこにいたのは、見慣れた…見慣れていた、幼馴染のお姉ちゃん、ヒナタちゃんがいた。


「……。」

「……。」

「あのさ…」

「ま、まさか、交換ノートの相手がハルキだなんて思わなかったよ!

全然気づかなかった!! あはは、凄いねハルキ、まだ小学生なのに、中学生の問題とか解けるんだ!」

「あ、うん…。家で、自分で勉強して……。」

「凄いね!私なんて全然なのに…。」

「こういう話、最初の頃ノートでも話したよね。」

「あ、そうだね……。」

「…。」

「…。」

「僕もまさか、ヒナタちゃんと交換ノートしてるなんて、思ってなかった…。」

「だよね!会ってみたら、知り合い⁉ってなるよね!」

「ヒナタちゃんはさ。」

「え、何?」

「僕が、交換ノートの相手だって知って、嫌だった?」

「い、嫌じゃないよ、全然…。」

「そっか、よかった。」

「ハルキは…?」

「え?」

「私が相手で…。」

「嬉しかったよ。」

「そ、そっか…。

あ、私、そろそろ帰らないと! またね、ハルキ!」

「あ、うん。また…。」



「また」と、ヒナタちゃんは言っていたが、その日を境に、交換ノートをすることは無くなってしまった。

ヒナタちゃんに会った次の日、あの小屋に行くと、いつもあったノートとペンが無くなっていた。もうヒナタちゃんは、僕と交換ノートをする気がないのだろう。


これでいい。

僕はヒナタちゃんにふさわしくない。4つも年下の僕が、君に釣り合うわけがない。

ヒナタちゃんが僕と関わらない方が幸せになれるなら、これが一番いい。

…でも、寂しいな。


あれから私は、ハルキとの交換ノートを辞めてしまった。

気になっていた相手が4つも年下だったことの気まずさとか、年下に勉強を教えてもらっていたという恥ずかしさとか、色々と重なってしまい、これ以上交換ノートを続けるのが、怖くなった。

急にやめて、あの子は戸惑ってるかな?寂しいって少しでも思ってくれたら、嬉しい…けど。

なんて。私って嫌な子だな。


それから2人の関りは途絶えた。

お互い近所だから、何をしているのかは、少しくらい知ってはいたが。

ハルキが小学6年生になる頃には、ヒナタは高校生になり、さらに距離が生まれた。

それから4年後には、ヒナタは大学へ行くために上京し、ハルキは中学3年生の受験生に。

大人になってヒナタは教員試験に合格して、体育教師になった。

一方ハルキは、海外の大学に留学し、卒業後は日本の大手企業に内定が決まった。


そんな彼らの、あの青春から14年後。

ハルキ 25歳。ヒナタ 29歳。


「ただいま。」


年末、久々に実家に帰って来た。就職してから、忙しくてまともに時間がなかったから。

玄関の前で両親が2人揃って、温かく迎えてくれた。僕の分の昼ご飯も用意してあって、数年ぶりに家族3人で食事をした。その時、積もる話もたくさんした。

父も母も、僕が大手企業に勤務していることが誇らしいと言ってくれた。


少し時間があったので、僕は地元を散策することにした。

久しぶりに見る地元の景色は、子供の頃の記憶を思い出させる。昔とほとんど変わらない。

近所の公園を通りかかったところで、ふと、歩みが止まった。

小学生の頃はここでよく遊んだ。そして、ヒナタちゃんと交換ノートをした。懐かしい。

そんなことを思い出して、再び足を進めようとすると、反対側から歩いてきた女性と目が合った。面影がある。

「ヒナタちゃん?」

「ハ、ハルキ? 久しぶり…!」

「うん。久々に帰って来たから。」

「わ、私も、両親のあいさつに…。」

「……。」

「私、今年結婚するの。 この人と。」

「あ…。」

ヒナタちゃんに再会したことが衝撃すぎて、隣にいる男性にちっとも気づかなかった。

背が高くて、細身で、僕から見てもかっこいい見た目をしていると思う。

そっか、やっぱり、彼氏、いるよな…。

「こ、こんにちは、前に近所に住んでた、ハルキです。」

「あ、ども。」

不愛想に挨拶をした男性。彼はそのままヒナタちゃんの方を向き、

「なあ、早く帰ろうぜ。お前の両親の前で、気、遣って疲れたんだけど。」

「あ、そうだよね。ハルキごめん、私たち帰るね。」

「分かった。 お幸せに。」

「ありがとう。」


そうして、二人は路地を曲がって見えなくなった。僕はその場に立ち尽くすだけだった。



私とジュンは、大学生の時に出会った。

大学1年の夏、友達の付き添いで行った合コンがきっかけだ。

私と同じでまだ未成年なのに、お酒に強そうで、タバコも吸える彼を不思議に思いながらも、当時は少し大人っぽく見えた。

声をかけてくれたのは彼から。

初めてのことで、どうしていいか分からなかった私は、そのまま流されるような形で彼と会い続け、3回目のデートの時に告白され、お付き合いすることになった。

彼とは10年くらい付き合っている。長い方だと思う。

大学を卒業してから同棲を始めた。私は体育教師になったけど…。

彼は、

「給料が変わらないなら正社員もフリーターも同じだ。」と、就職をせずに、学生の頃と同じようにコンビニバイトを続けている。

給料も私の方がいいし、家事も大体は私がしている。

東京の男性はそんなもんなのか。と思っていた5年前の私が懐かしい。

でも彼は私を愛してくれている。最初から、今までずっと。初めて向けられた異性からの愛情を逃したくない。

それに、私ももう29だ。彼との結婚を逃したら、これから先もうこんな機会は訪れないかもしれない。

そう思うと、口を出せずにいた。

結婚したら幸せになれるって、信じていたから。


でも、結婚式の1ヶ月前。

ジュンの浮気が発覚した。

しかも大学時代から、私以外にも5人もの人と付き合っていたらしい。所謂、二股?いや、5股と言った方が正しいかな?

とにかく私はこのことがきっかけで、彼と別れた。


実家の両親は、帰ってきていいよって言ってくれた。

私は一度休職して、実家にもどった。

実家に帰って1ヶ月後、ずっと家に引きこもっていた私だが、この日は久しぶりに、外に出てみることにした。


家から外に出て、しばらくのんびりと歩き続けた。

でもあの公園の前を通ろうとした時、何故か止まってしまった。

そして何を考えたのか、そのまま公園の中に入っていく私。

ズンズンと置くまで歩いて、大の大人が膝を砂だらけにして、古いフェンスの隙間をくぐり抜けた。

その先にあるのは、あの時と変わらない、昔から変わらない、小屋の遊具。

建付けの悪いドアを開ける。


中に入ると、中学最後の夏の思い出が蘇る。

顔も知らない男の子と、毎日毎日、交換ノートをしたこと。

お互いの話をして、文の中でも彼と通じ合ったこと。彼に想いを寄せていたこと。

彼と直接会ったら、幼なじみのハルキで、気まずくなって、そのまま距離を開けてしまったこと。

そして、小さい頃、この小屋で、ハルキに指輪をもらったこと。


ここで過ごした思い出全てを思い出す前に、堪えていた涙が溢れ出していた。


「はあ、結婚する前でよかった…。

……昔は、幸せだったな…。」


そのまましばらくの間泣いたあと、小屋を後にした。

でも、まだ家に帰る気にならなくて、公園の入口にあるブランコに揺られていた。

下を向いて、漕ぐ気もなく、ただただブランコに乗ってるだけ。

そんな私を見つけて、外の歩道から誰かが声をかけた。


「ヒナタちゃん!?」

「……ハルキ…。」


「何でこんなところに?結婚して、もう家を出たんでしょ?」

「あ、いや、えっと…。」


そう言って駆け寄ってくる君。

そのまま私の前にしゃがみこんで、私の顔を見上げる。


「下向いてたから。何かあったの?」


彼にそう言われた瞬間、もう治まっていたはずの涙腺が急に緩み出して、また、涙がとめどなく溢れだした。

そんな私を見て、彼は慌てる。


「え!?えっと、大丈夫!?旦那さんと喧嘩したの?」

「違うの…。ハルキ、私、結婚してない…。」

「……え?」

「結婚、出来なかったの…。」

「…何かあったなら、聞くよ?」

「結婚する前に、彼がずっと、私に隠れて、浮気してたの…私全然気づかなくて……。

馬鹿だよね。ずっと一緒にいたのに、なんで気づけなかったんだろう…。

私、彼と幸せになれると思ってたのに…。これからもずっと一緒にいれると思ってたのに…!」


泣いてる彼女を見ても、抱きしめることも、手を握ることもできない。この人を幸せにできるのは、僕じゃないから。彼女に伸びた手を戻し、悔しくて、虚しくて、拳を握りしめた。


それから1時間くらい、彼女の話を聞いていた。

僕にできるのはそれくらいだから。

涙が止んだヒナタちゃんは、目を赤く腫らしながら、笑顔で僕に話しかける。


「ハルキは、昔からずっと、優しいよね。

何も言わず、私の話を聞いてくれるし、中学生の頃もそう。全然知らないノートの中の私の話を聞いてくれて、質問にも毎回答えてくれて…。」

「僕は別に、優しくないよ。」

「ううん。

あのね私、覚えてるんだよ。私たちが本当に小さかった頃した、結婚の約束。」

「……。」

「あの時ハルキがくれた、モールの指輪。まだ私、持ってるんだよ。今でも机の引き出しに入ってる。」

「……。」

「ずっと、私と仲良くしてくれて、ありがとう。」私がそう言い終えるのと同時に、私の体が急に何かに引き寄せられた。

ハルキの腕の感触が、私の背中に伝わる。

僕は気がついたら、ヒナタちゃんを抱き寄せていた。真っ赤な顔を彼女の肩に埋めて隠しながら、口を開く。

「僕が君に優しいのは、君が好きだからだよ。」

「え…?」

抱きしめていた彼女を離し、彼女の目を見つめる。

「その…、小さい頃の約束は、気にしてないんだ…。でも、今でも持ってくれてるなんて思わなかった…指輪。」

「う、うん。」

「あのさ。」

「うん。」

「交換ノートをしてた時からずっと、君が好きだった。今も、ずっと、僕にはヒナタちゃんだけだ。」

また、泣きそうになる。私のことをそんなに長い間、好きだって言ってくれている人がいるなんて、思わなかった。私にとっては遠い過去の懐かしい記憶程度にしか思ってなかったのに、彼は、ずっと私を想ってくれていた。

「私、あの時ハルキに酷いことをした。急に何も言わず、交換ノートを終わらせちゃった。」

「酷くないよ。」

「ずっと避けてた。恋愛じゃないと思いたかった。でも私もあの時、ハルキが好きだった。」

「ヒナタちゃん。僕がヒナタちゃんを幸せにします。僕と、結婚を前提にお付き合いしてください。」

「よろしくお願いします。」


こうして僕らは、14年越しに想いを通わせた。



それから数か月後。

Lineの文を書いては消して、書いては消してを繰り返す男がいた。

ジュンだ。




俺がヒナタと出会ったのは大学生の頃。

合コンに来てた芋くさい女。それが俺があいつに抱いた第一印象だった。

男子たちの間で決まった罰ゲーム。「あの子に告白してこい。」

俺はそれを実行するために、ヒナタに声をかけた。

3回目のデートで告白したら、あっさり付き合えた。その時に、実は嘘でした~と、ネタバラしをする予定だった。

だけど会うたび、彼女がいい子だと気づかされ、そのまま付き合っていくことにした。

いい子…いや、「俺にとって都合のいい子」だと思っていた、当時は。

俺を立ててくれるし、わがままも言わない。俺の言うことをハイハイ聞いてくれる。

そんなところが、最初はよかった。扱いやすかったから。

俺が初めての彼氏らしいし、別に俺が他の女と付き合っててもバレないだろ。今までもそうだったし。と、思っていた。ヒナタとの結婚直前まで。愚かな俺はそう思っていたんだ。

だけど結婚直前で、俺の浮気が彼女にバレた。そのまま降られた。

でもあいつのことだから、すぐに俺の元に戻ってくると思ってた。でも、いくら待っても帰ってこない。

俺は気づいたら、他の女とヒナタを比べていた。

「ヒナタだったら」、「ヒナタなら」、「ヒナタだったら良かったのに。」

俺は彼女と別れてから、彼女を本気で好きだったことに気づいた。あんなに優しくて他人思いで、素直な子はいない。もう一度、会いたい。もう一度…。


残しておいた彼女のlineに、メッセージを送信しようとする。でも、直前で止まって、書き直そうとしてしまう。何を言っても、彼女がもう戻って来ないような気がして。

俺は、彼女に直接会いに行こうと決めた。



それは、ハルキとヒナタのデート帰りに起こった出来事。

ヒナタの帰りを待ち伏せしていたジュンが、2人の前に立ちはだかった。


「ヒナタ、待ってくれ!」

「……ジュン?」

「ヒナタちゃん、行こう。」

「ヒナタ、話を聞いてくれ。」

「今更私に何の用?」

「ヒナタ、俺は、お前が本当に大事だ。今になって気づいたんだ。

今までたくさん傷つけてきた。本当にごめん。」

「……。」

「俺、もう一度ヒナタと一緒になれるなら、今度こそ、ヒナタを幸せにする。

もう、ヒナタを悲しませたりしないから、だから…」

「あんた、私に最後なんて言ったか覚えてる?

『お前みたいな貧乏くさい女に、本気になるわけねえだろ。』って言ったの。

私、絶対許さないから。」

「頼む。もう一度だけ、チャンスをくれ。俺、変わるから。絶対幸せにするから!」

ヒナタをかばうように、ハルキは一歩前に踏み出した。

「ジュンさん。もう遅いです。何を言っても、今までしたことが無くなるわけじゃないです。

僕は、大切なヒナタさんを傷つけたあなたを、許しません。大事にしたくなければ、帰ってください。」

「お前、何様なんだよ!」

「僕は、ヒナタさんの彼氏です。」

「お前、何で俺と別れてまだ1年も経ってないのにもう彼氏がいるんだよ!

お前も、浮気してたんだろそいつと!」

「そんなことしない。」

「嘘つくな! このくそ女!」

そう言って私に掴みかかろうとするジュンの腕を、ハルキは、はらってくれた。

「ヒナタに触るな!」

「くそ!ふざけんな!」

ジュンはそう吐き捨てて、消えていった。


「あ、ありがとう、ハルキ、びっくりした…。」

「いや、僕も大声出しちゃって、ごめん。」

「それよりもさ、さっき、ヒナタって……。」

一気に顔が赤くなっていくハルキ。

「わ、忘れて…。」

「ううん。これからそう呼んでよ。ヒナタって。」

「ヒ、ナタ…。」

「うん、こっちの方が恋人らしい。」

「そ、そうかな…?」

「うん。ありがとう、ハルキ。 私と一緒にいてくれて。」



こうして、二人の仲はますます深まっていった。




これから数年後、彼らは末永く結ばれるのだが、それはまた、別のお話…。

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