2:不幸少年は借金に踊る

『先日未明、小若子市の古井に新しい迷宮が発見され――』


 穏やかな朝。それはそれはいつもよりも落ちついているどことなく静かな時間だった。


 季節は初夏。といってもまだ五月に入ったばかりであり、これからやってくる大型連休を楽しみにするにはちょうどいい時期ということもあり、暑さはそこまで感じない。それどころかヒンヤリとした風がたまに吹き抜けるため心地よさすら覚える。

 そんな爽やかな朝を迎え、睡眠から現実へ戻ってきた俺は大きなあくびを溢し起き上がった。


 そのまま自室を出て背筋を伸ばしつつ階段を降りると、いつもはついてないはずのテレビが起動している。何気にキッチンの奥へ目を向けるとそこには数日ぶりに目にする人物がいた。


「おはよ、お兄ちゃん」

「おはよう、翠」


 俺の実の妹であり唯一の家族である翠が元気よく挨拶してきた。どうやら今日は体調がいいようで、パジャマ姿ではなく白いブラウスと深緑のスカートという見慣れた普段着を身にまとっている。

 俺はそんな妹の姿を見て安心しつつ、大きなアクビをこぼす。すると翠はちょっと心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んできた。


「身体は大丈夫? どこかおかしくない?」

「なんだよいきなり?」

「だって、昨日ボロボロの姿で帰ってきたし」


 俺は翠に言われて何となく昨日の出来事を思い出す。だからこそ安心させるために俺は微笑んだ。


「大丈夫だよ。ちょっと死にかけただけだ」

「全然大丈夫じゃないからそれ! すっごい心配したんだからねっ」

「悪かった。次は気をつけるよ」


 そう言って翠に笑いかける。そんな俺の顔を見て妹は心配そうにしたまま、諦めたように頷いた。

 翠とのやり取りを終え、俺は朝食を取ることにする。そのために冷蔵庫へ移動しようとしたが、それを翠が止めた。なんだ、と思い差された指先に目を向けると、テーブルの上に美味しそうなご飯がある。


 ハムエッグに湯気が立つ味噌汁、ホカホカなご飯と朝食にはありがたいご飯が用意されていた。


 だけどどうしてこんな美味しそうなご飯があるんだ? 翠が用意してくれたのか?

 そんなことを考えているとキッチンから見慣れた人が出てきた。


「ずいぶんと遅い目覚めだな。それでも私の弟子か、新条明志?」


 赤茶色に染まった髪をポニーテールにし、ピンクのエプロンをかけたかわいらしい小柄な女性がまあまあ手厳しい言葉をぶつけてきた。

 俺は反論したくなったがすぐにそんな気持ちを投げ捨て、決まり切ったセリフを口にする。


「すみません、遅くまで迷宮で探索してたもんで」

「あまり遅くまで活動するなと言ってるだろ。お前はまだ駆け出しで修行の身だ。下手なことをしたら私がとても困る」

「気をつけます、仲原さん」

「そうしてくれ。もしお前が死んだら借金を支払ってくれる者がいなくなるしな」


 俺は深々と頭を下げる。すると師匠である仲原さんはやれやれと頭を振っていた。そんな仲原さんを見て、ご飯を作ってくれたのが彼女だと気づく。

 まあ、翠だったら嬉しかったけどまだこんな美味しそうな料理は作れないだろうな。


「何か言ったお兄ちゃん?」

「全然、何にも」


 地獄耳の妹は恐ろしい。

 ひとまず目を逸らしておこうっと。


「早く食べろ。ご飯が冷めるぞ」

「あ、はい。それよりどうしてここに仲原さんがいるんですか?」

「探索していたら倒れているお前を見つけたんだ。ったく、〈限定解除リミットブレイク〉を使って。いつも言っているだろ、最悪な状況は常々想定していろと」

「すみません。今後気をつけます」

「気をつけろ。次は助けないからな」

 

 怒る仲原さんはなかなかにかわいい。でも口にしたら殴られかねないからやめておく。

 一通り説教を受けた後、仲原さんが作ってくれた朝ご飯をいただく。普段食べている携帯食料や適当男飯なんかより遥かに美味しく、それでいて心も身体も温まった。

 もう味噌汁なんて最高だね。出汁が利いてて安い豆腐が最高級に思えるほど美味かったよ。


 朝ご飯に大きな感動を抱きつつ食べ進めていると、師匠がテーブルの向かい側に座った。そしてニュースを眺めながらこんなことを言い放つ。


「成果はあったか?」


 俺は味噌汁を掻き込み、全て食す。少し落ちついてから昨日探索した迷宮での出来事を話し始める。


「ええ、ありましたよ。珍しそうな鉱石にモンスターの落とし物、あとは薬草やら一般品まで手に入れましたよ」

「そうか、ならそれは後で鑑定してやろう」

「ありがとうございます。でもたぶん、今月分には足りないと思います」

「そうだろうな。今のランクだとそもそも目標には届かないだろう」


 俺は仲原さんに多額の借金をしている。その理由は翠を助けるためだった。


 二十年に突如現れた迷宮。そこからあふれ出た様々な未知によって世界は未曾有の大混乱に陥る。その大混乱はどうにか収められたものの完全ではなく、世界には未知の現象が残った。

 その一つとして〈結晶病〉がある。かかれば確実に命を失い、その病症の進行はかなり遅い。じっくりじっくり殺される感覚を味わうと言われる不治の病だ。


 その病気に俺の家族はかかった。親父と母さんは進行が進みすぎてどうしようもなく、翠は初期段階だから助かる可能性がある状態だと医者から言われたのだ。

 選択肢はない。できるのは翠を助けるかどうかだけ。だが、助けるには億を超える治療費が必要だった。

 何もかも諦めるしかない。そう項垂れていた時に助けてくれたのが仲原さんだ。


 だから俺はこの人に頭が上がらない。どうにか借金を返そうと無理矢理返済の約束を交わしたが、それが破綻しかけていた。


 だから俺は仲原さんの指摘に言葉を詰まらせる。そんな俺を見てか、彼女はこんな提案をしてきた。


「お前に頼みたいことがある。それを聞いてくれたら鑑定に味をつけてやるが、どうだ?」

「えっと、頼みたいことですか?」

「ああ、そうだ。内容は私の代わりに依頼を引き受けるというものだよ」

「依頼? 仲原さんに頼まれたことですよね。俺にできますか?」


「もう三つ星に潜っているんだろ? なら大丈夫だ」

「そこまでいうなら……」

「よし、なら任せた。依頼内容は〈霊薬エリクサーを手に入れること〉だ。頼んだぞ」

「え? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

「今月分の借金をどうにかしたいんだろ? 頑張れよ」


 仲原さんはそう言って立ち上がる。そしてパンパンに膨らんだゴミ袋を持って外へ出ていった。

 どうやら依頼に関するヒントはないようだ。


「参ったなぁー」


 俺は頭を抱えつつ、エプロン姿の師匠を思い出す。もしこんな関係じゃなければいい人なんだろう。

 だとしても、あの姿はとてもいい。


「お兄ちゃんの変態」

「は?」

「鼻の下が伸びてる」


 翠が不機嫌そうに文句を言ってリビングから出ていく。一体何に機嫌を悪くしたのだろうか。

 ひとまず、借金返済のためにも頼まれた依頼をどうにかこなそう。


『――また、東京厄災迷宮に挑戦していた探索者が一人亡くなりました。本人の希望で名前の公開はできません。また、回収してきたアイテムは全て迷宮管理庁が保管することになり、ランクによっては提供されることが決定しました。亡くなった探索者の遺体は――』


 テレビから流れてくる情報を流し聞きしつつ霊薬エリクサーの情報を探し始める。ひとまずスマホを手に取り、探索者ご用達アプリ〈迷宮ウォッチャー〉を起動させたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る