必要悪な死神

森本 晃次

第1話 苛めの経験

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和四年一月時点のものですが、今回の小説は、時代物の架空小説となりますので、存在する人物や事件、架空の人物や事件が混在します。さらに、実在する歴史上の人物であっても、話として架空の話もありあすので、ご了承ください。


 今年、五十歳になる塚原慎吾は、最近夢を見るのは、いつも昔のことであった。大学時代が一番多かったが、中学時代も結構多かった。小学生時代というと、何か思い出したくない思い出だったこともあって、それまではあまり見なかったのだが、五十歳になるかならない頃から、急に見るようになった。

 夢というものが、曖昧だということもあって、子供の頃の夢を見たとしても、見たのはいつ頃だったのかということが、日がたつにつれて、忘れてしまうのだった。

 昨日のことなのか、一週間前のことなのか、はたまた一か月前のことなのか、それすら分からないくらいだったのだ。

 だから、当然、時系列もバラバラで、ただ、分かるとすれば、二日以上続けて夢を見たとすれば、その意識を忘れることはなかったのだ。

 とはいえ、

「子供の頃っていつまでのことなんだ?」

 と思った時のことであった。

「中学時代まで? 高校時代まで? はたまた大学卒業するまで?」

 と考えるのだ。

「中学時代まで」

 ということであれば、義務教育という観点からの発想であろうか?

 いや、それだけではなく、

「子供料金と大人料金の違い」

 という意味でも中学生までが子供と考えるのが妥当だろう。

 交通機関の運賃、イベント会場への入場券、その辺りは大体が、中学卒業までが子供料金になっていることだろう。

 では、高校時代までというのは、どういう考えであろうか。

 令和四年になると、法律が改正になり、

「十八歳未満を未成年」

 とすることになるのだが、それまでは、未成年は、二十歳未満であった。

 だが、高校を卒業すると、就職する人、進学する人に分かれる。それまでの友達との道に大きな隔たりがあることを考えると、

「高校時代までを子供だ」

 と考えることもできるだろう。

 大学卒業までと考えるのは、あくまでも、大学に進んだ人の考え方である。

「逆に大人になるのがいつなのか?」

 と考えると、その時は人によってバラバラになってしまう。

 要するに、

「始まりがバラバラであるから、終了をそれに合わせるのか、それとも、終了が一つになるから、始まりが一つになるのか」

 ということであり、

「いつからが大人なのか?」

 という考えはナンセンスであり、

「いつからが、子供なのか?」

 という考えに従う方が、考え方としては、正当ではないかと考えるのだった。

 塚原は、子供の頃は、

「中学生までが子供だった」

 と感じていたが、最近では、

「大学生までが子供だ」

 と、途中のどこかで変わっていた。

 理由は分からないが、年を取り、中学時代までと大学卒業までの間がそんなに長く感じられなくなったからではないかと思ったが、この発想には、逆もあるのではないかと思うようになっていた。

 どちらにしても、高校時代までという選択肢は、ほとんどか感じたことはなかったのだった。

 子供の頃というくくりの中でも、塚原は、小学生までと、それ以降では違っているという感覚を持っていた。特に小学生の頃というと、相当昔のことのように思える。その理由は、いじめられっ子だったということだった。

 その頃の苛めは、今のような陰湿なものではなかったが、苛められている側とすれば、たまったものではない。教室に行くと、入り口のところで待ち伏せをされていて、入ってくるなり、腿の外側に、相手が膝を入れてくる。

 ツボがあるので、ツボに入った時はものすごく痛い、ひどい時は、半日くらい痛みが残ってしまうことがあるくらいだ。

 何度も同じ目に遭っているうちに、次第に教室に入る時に警戒するようになり、誰もいないと確認できたとしても、入る時、腿の外側を抑えて入る癖がついてしまった。

 これは、ただの一例にすぎず、毎日同じようなことをされていると、慣れてくるどころか、怖くて仕方がなくなってくる。

 人間というのは、一度酷い目に遭うと、そこから先は、常に最悪ばかりを考えるようになる。ネガティブになってくるということなのだろうが、そんな状態を、

「トラウマになる」

 というのだろう。

 塚原が子供の頃には、ネガティブなどという言葉も、トラウマなどという言葉もなかったような気がする。

 もちろん、なかったわけではなく、使われなかったというだけで、

「英語だから、意識しなかっただけなのか?」

 と考えたが、そうでもなかったような気がした。

 学校では、先生は塚原が苛められているという事実を把握していたのだろうか? 塚原が苛めを受けていたのは、小学四年生くらいから、六年生までの間だったが、そのうち、五年生から六年生までは同じ担任だった。

 その先生は、見ていて、生徒には人気があって、絶えず生徒に寄り添っているような先生だったので、塚原が苛めを受けていることを知らなかったというのは、ないだろうと、塚原は思っていたが、本当にそうなのだろうか?

 苛めっ子の中には、先生と仲のいい生徒もいた。媚を売って、苛めの事実を隠しているのかと思ったが、塚原自身が苛めっ子だったら、そんな両面を持っているのに、片方だけしか見せないなどということはできなかった。

 ひょっとすると、

「苛めている連中には、苛めをしているという意識はないのかも知れない」

 と感じていた。

 まさか、友好の気持ちの表れだなどと思っているとすれば、

「狂っている」

 としか思えない。

 自分には絶対にできないことであるが、自分が苛められている腹いせに、他のもっと弱い連中を苛めているとすれば、この感覚も分からなくはない気がする。

「感覚がマヒしてしまっているのだろうか?」

 普通であれば、自分がされることを他の人にするのは、

「絶対にできない」

 と思うだろう。

 自分が受けた痛み以上の苦痛を相手が味わうことになるという思いが塚原にはあるからで、相手がどう感じるかというよりも、自分が相手に自分の苦しみを与えることで、却って自分に同じ、いや、

「もっと激しい苦しみが返ってきたらどうなるだろう?」

 と考えてしまうのだ。

 それが、

「ネガティブに考えてしまう」

 ということであり、それによって、まるで螺旋階段を下りたり、グルグル回る滑り台を下りて行く時のような、目が回りそうな感覚に陥ることで、底なし沼に嵌まり込んで抜けられなくなる自分を想像し、恐ろしくなるのだった。

 そんな状況を、

「負のスパイラル」

 というのだろうか?

 塚原は、苛めを受けるうちに、次第に何もかもがいやになってくるのだった。

 それでも、そんな毎日を過ごしていると、慣れてくるというのか、何も考えないという気持ちになっていった。

――あの時、俺は何も考えないようにしていたんだ――

 と後になって思い出そうとするのだが、そもそも、思い出しているという行為は、

「何も考えていなかった」

 という考えに矛盾するものではないだろうか。

 思い出すということは、忘れていたわけではないから思い出すわけではない。忘れようとしたわけではないから、思い出そうと思うのだ。つまり。忘れていたという意識があったとしても、潜在的な意識でしかないものではなく、ハッキリと意志というものを持ったものでなければいけないということだ。

 では、同じ音であっても、若干意味が違う、

「意思と、意志」

 では、どう違うというのだろうか?

 言葉が似ていて、しかも、音が同じであることを考えると、実に曖昧なものに見えてくる気がするが、この二つには、れっきとした意味があるのだ。

 そもそも、意味もないのに、二つの言葉が存在するというのもおかしなことで、混同して使っていたり、しょせんは同じものだと考えて使っている人もいるだろう。

 まず、

「意思」

 というものであるが、これは、

「思考、気持ちの意味」

 というものであり、考えることが、一番の主旨だといえるだろう。

 では、

「意志」

 の場合は、どういうことかというと、

「考えたことを目標に据えて、その目標に向かって、どのように達成すればいいかという行動を伴い、考えたことの次に起こすアクションのことだ」

 といえるのではないだろうか。

 こうやって考えると、意思というものは、考えることがすべてであり、潜在意識も、一種の意思になるのではないだろうか。その裏付けとして考えられるのは、

「潜在意識を本能のようなものだ」

 と考えるとすれば、それが、証明になるのではないかと考えることである。

 そして、意志というのは、言葉に、

「志す」

 というものがあり、目標という意思の結果に向かって進んでいく過程というものが、意志だと考えると、分かりやすいのではないだろうか。

 しかも、意志を持って進んでいる間にも、さまざまなことを考えてしまう。それが思考であり、その中には、意思というものが存在しているとすれば、

「意思が束になったものが、意志として存在している」

 と考えるのは、無理があることであろうか?

 確かに小学生の頃、苛められていたことで、

「こんな思いをするくらいなら、学校なんか行きたくない」

 と思ったものだが、それでも。学校を休むことはなかった。

「学校を休むと、どうなるか?」

 ということが頭に浮かんでくる。

 まず、親から怒られるのは必定であり、それによって、それまで楽しかった家での暮らしまでもが、ぎこちなくなってくる。せっかく学校での辛さを、家で紛らわせようと思っていたのに、それができなくなるのはきつかった。

 だが、果たしてそうなのだろうか? 学校での嫌な思いを引きずって家庭にいても、何が楽しいというのか、自分の本心を隠してまで家で笑っているのは、まるで皆を騙しているようで嫌だった。

 一日だけだったら、それでよかったのかも知れないが、それが毎日になってきて、そして、

「これが、半永久的に続くのだ」

 と思うと、辛さが最高潮になり、一度は、

「なるべく考えないようにしよう」

 と思うようになり、そう思えてくると、自分が、考えることから逃げていると感じるのだ。

 そこには、意志はなく、ただ、意思が存在しているだけだったのだ。

 そんないじめられっ子だった塚原だが、苛められている時に感じたのは。

「どうして、周りは誰も助けようとしてくれないのだ?」

 ということであった。

 どうしても、助けてほしいという思いはなかったのだが、それでも、一人くらいは庇ってくれようとしてもいいものではないか。そのことを考えていたのだが、本当に助けてくれない理由をその時は分かっていなかった。

 もっとも、最初は助けてほしいなどと思ったことはなかった。むしろ、

「放っておいてほしい」

 とすら感じたほどで、その理由は、中学生になって足が攣ることが多くなって分かったことだった。

 足が攣る時というのは、事前に分かるものだった。筋肉痛になった時など、足が攣る可能性が高くなってくる。それも、寝ている時だったり、眠りに入りかける時の、ウトウトした時などに多かった。

「あっ、ヤバい」

 と感じた時には、時すでに遅く、身体全体が硬直してしまうのだった。

 その時、痛みを身体全体で分散しようという意識が働くのか、気が付けば、身体がピンと張ってしまっているのだった。

 その瞬間に感じることとして、

「誰もいなくてよかった」

 という感覚であった。

 誰かが、そばにいると、集中している気持ちが分散してしまうのだ。

「痛みは、分散させたいが、痛みにこらえている意識は、集中させたい」

 と感じたのだった。

 だから、痛みをこらえている様子をまわりの人に知られたくないという思いが働き、誰もいないことに安心して、痛みに耐えることができるのだった。

 だから、もし、まわりに誰かがいたとすると、痛みが来たことを人に悟られなくないという思いから、必死にこらえるのだろうが、そういう時こそ、相手に悟られてしまい、

「こんな時こそ、放っておいてくれよ」

 と思うのに、まず、放っておく人はいないだろう。

 人というのは、人から心配されたりすると、痛くないことでも痛いものだと感じるもののようだ。しかも、心配されることで、どこかに安堵があるのか、緊張が途切れてしまうようで、そのために、放っておいてほしいと思うのだった。

 それなのに、気づかれてしまうというのは、自分の不覚なのか、相手は悪いわけではないので、怒るわけにはいかない。せめて、

「察してくれよ」

 と、思うにとどまるだけであった。

 だから、相手が何かを必死に隠そうとしているのが分かると、わざと触れないようにしている。人によっては。

「相手が触れてほしいと思っている」

 と感じるのか、敢えて触れてしまうのだ。

 相手が、苦虫を?み潰したような表情をしているので、

「しまった」

 と感じるのだろうが、触れてしまった以上、もう、後戻りはできなくなってしまう。

 そうなると、相手に対して、いかに気を遣おうが、そこで後戻りをしようとすると、却ってぎこちなくなる。

 相手は、もうどっちでもいいと思ったとしても、自分の方が、後戻りできないと思う以上、前に進むしかない。

 その時にどのように対応するかは、その人の性格にもよるのだろう。

 照れ隠しからか、自分を取り繕うとして、言い訳っぽくなってしまう人もいるだろうし、後ろばかりを気にして話をしているので、相手の方が気を遣って、どちらが、最初に気を遣ったのかが分からなくなってしまいそうで、お互いの距離が微妙になってくることだってあるだろう。

 そんなことを考えていると、

「足を攣るのが、寝ている時は、眠りに就こうとしている、誰もいないところだというのは、本当であれば、都合のいいことなのかも知れない」

 と、感じるのだった。

 それなのに、

「苛められているのを、誰も助けてくれない」

 ということにこだわるのは、どこか矛盾しているような気がする。

 逆にそれだけ、よく言われているような、

「苛めに参加していない連中が黙っているのは、実は苛めをしているのと同じで、一番卑怯なのではないか?」

 ということであった。

 そういう関係は、えてして苛めの世界だけではなく、他の世界でもあることなのではないだろうか。しかし、それを感じないのは、

「苛めに対してのイメージが強い」

 からなのか、それとも、

「他のイメージがあまりにも低すぎる」

 ということからなのか、よく分からないでいた。

 なぜなら、苛めに対してのイメージが強いのであれば、もう少し苛めに対しての問題が、違った形で解決に近づいてもいいはずなのに、相変わらずの、八方ふさがりにしか見えないからだった。

 苛めというものが、

「ひょっとすると、必要悪なのではないか?」

 と言っている人がいるというが、苛めがあることで、他に何か大きな問題になりそうなことが起こらずに済んでいるのだとすると、苛めに遭っている人には申し訳ないが、

「大きな問題のためには、多少の犠牲は仕方がない」

 などという考えがあったとすれば、それこそが、社会的に問題なのではないかと思うのだが、違うだろうか?

 それこそ、まるで民主主義のような考えであり、

「民主主義の原則は、多数決だ」

 と言われるが、苛めている方が多数であれば、苛められている人間は少数派ということで、

「苛められている方が悪なのだ」

 ということになり、それが本当に民主主義の理念だとすると、

「なるほど、貧富の差などの不公平が出てきても当たり前だ」

 といえるだろう。

 そういう意味で、かつて、世界的な伝染病が流行った時、諸外国などでは、ロックダウンなどという言葉のいわゆる、

「都市閉鎖」

 を行った。

 自由を制限し、違反すれば罰則があるというものだが、そのために、国家が見返りとして、保証は十分に与えていた。

 しかし、日本の場合は、憲法の、

「基本的人権の尊重」

 と、

「平和主義」

 という問題から、ロックダウンや戒厳令のような、法律が個人の権利を制限することはできないのだが、

「お願い」

 という形で、時短営業や、最悪な場合は、一時期の閉店を命じた。

 その時に、政府が出した協力金というものが、実にドケチなものであり、しかも、

「スピードが求められる」

 ということで、実に不公平な出し方をした。

 一部の業界にだけ支援金を出したり、普段儲かっていない店と、普段から売り上げがあるが、その分支出という出費も大きいというお店と、ほぼ同額の支援金を出しているのだから、不平不満が出ても当然というものだ。

「だから、民主主義だと、貧富の差は埋まらないんだ」

 ということで、考えられた社会主義だったが、これも結局、

「ソ連の崩壊」

 という事実があって、結局、民主主義国家が多くなったのだ。

 ただ、同じ民主主義といっても、ピンからキリまであり、日本における民主主義というのが、形だけのものでしかないように思えてならないのだった。

 それを思うと、

「こんな形ばかりの民主主義の中で、苛めの問題が解決できるわけはない。結局、民主主義の行きつく先は、原点である多数決でしかないのだから」

 というようなことを話している専門家がいるが、

「確かにそうだ」

 としか思えない。

「日本という国が、いや、世界全体で理想とする民主主義というのをどこに求めていけばいいというのだろうか?」

 その答えは、とてもではないが、誰にも分かるはずはないだろう。

 出ているくらいなら、もっと早く、理想の国家が出来上がってもいいはずだからであった。

 そんな苛められていた塚原だったが、

「俺がどうして苛められなければいけなかったのか?」

 ということが分かったのは、中学に入ってからのことだった。

 自分を苛めていたのは、元々友達だと思っていたやつが中心にいて、その取り巻きが苛めてきたのだったが、ある意味、皆友達だった連中だといってもいいかも知れない。

 あれは、四年生の頃だっただろうか、実は三年生の頃から気になっている女の子がいて、そのうちに話をしてみたいと思うような子だったのだ。

 もちろん、小学三年生というと、

「異性として意識していた」

 というわけではなかった。

 思春期は、中学生になってから、自分でも意識できるくらいに、意識が変わった瞬間が確かにあったのだった。

 その子と、仲良くなれたのは、何がきっかけだったのかということを覚えていないのだから、それだけ自然と話ができるようになっていたという証拠だったに違いない。

 だが、しょせんは、お互いに小学生であり、異性として意識していないので、彼女からすれば、母性本能のようなものだったのかも知れない。

 そこか、相手が自分を上から見ているようには感じていた。これが相手が男だったら、少しムッとした感覚になったのかも知れないが、女の子だったことで、それも嫌ではなかった。

 母親から、上から目線で見られるのは、嫌だったのだが、その理由は、

「いつまでも、子供扱いにするんじゃない」

 という思いからだったのだが、まわりの同級生の女の子であれば、子供扱いにされたとしても、それまでずっと対等だと思っていながら、話もできなかったことを思えば、逆に、上から見てくれることで、距離が近づいたのだと思うと、嫌ではなかったのである。

「早く大人になりたい」

 という思いがあったのは事実で、ただ、それが背伸びでしかないというのも分かっていた。

 背伸びが悪いことだとは思わなかったので、気になる女の子から、背伸びして見られるのは嫌じゃなかったという理由になるであろう。

 小学生の頃というと、女の子の方が背が高く、

「成長は一般的に女の子の方が早い」

 と言われるが、まさにその通りだったのだ。

 ただ、小学四年生というと、すでに初潮が始まる子もいるというくらいなので、

「昨日までと、まったく雰囲気が変わった」

 と感じる子もいたりした。

 そんな子に対しては、逆に上から見られるのは嫌だった。実際に上になった人から、あからさまに上から見られると、嫌な気がするのは、

「それだけ自分の性格が、天の邪鬼だからではないか?」

 と感じるのだった。

 だが、彼女にそんなことを一切感じなかったのは、

「普段から、いつも変わらぬ雰囲気でいてくれる」

 ということが嬉しかったからに違いない。

 その思いが、好きかどうかという感覚も分からないままに、

「一緒にいるだけで嬉しく感じる相手だ」

 と思うことが嬉しかったのだ。

 だが、あれはいつのことだっただろうか? 塚原は、急に彼女に対して冷めてしまった気がした。

 それは、彼女が髪を切ってきた日のことだった。それまで、肩くらいまであった髪の毛を、少しショートボブのようにしていたが、明らかに、おかっぱ頭を思わせる髪型をしてきたのだ。

 一瞬、

「誰だっけ?」

 と思ったほどに、イメージは変わっていた。

 それを思うと、それまで、彼女と一緒にいて楽しそうにしている自分を、外から見ているのが楽しいと思っていたにも関わらず、何と今度は、

「一緒にいるのを見られるのが嫌だ」

 と自分が感じていることに気づいたのだった。

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