君が嘘をついた

 優と別れてから少し考えていた。彼女は昔からの知り合いだがテレビで流れる恋愛ドラマのような関係でもない。

 どうしても理由が知りたくて、考えるのを辞めて急いで学校へと戻った。 走り出した僕は昔のことを思い出そうとして、彼女との過去を必死に探した。僕たちがまだ幼くて、右も左も分からない頃……


「ねぇねぇ、大きくなったらなにをしたい?」

「ぼくはね、大きくなったら本をかきたいんだ」

「れな、本よみたい!」

「ぼくが大きくなったらみせてあげるよ!」

「やった! たのしみにしてるね!」

「うん!」


 いつの記憶だろう。朧気な記憶を辿って思い出した会話だ。

 僕は玲菜のことが好きだった。小さい頃は毎日遊んでいたし、色んな話をしていた。

 でも、その関係も中学に上がってからは途切れてしまった。

 中学一年の春。僕はクラスに馴染めなくてずっと独りだった。

 その理由は、入学して最初の自己紹介だ。

「将来の夢は本を書くことです」

 僕の言葉を聞いたクラスの人達はどこか馬鹿にするように笑っていた。

「本を書くなんて子供みたい」「もっとマシな夢にしろよ」

 そんなささやき声さえも僕の耳には鮮明に届いた。まだ生き方を知らない中学生の僕にとってはどうすることも出来ず、その場で泣いてしまった。 

 その時から、僕には居場所がなかった。教室にいても誰も話しかけようとしない。気がつけば僕はいじめの対象になっていた。机の中に虫を入れられたり、写真を撮られて黒板に貼り付けられたりもした。

 そんな僕を見て、玲菜は何も言わなかった。僕が教室で馬鹿にされている時も、彼女は友達の輪の中で話していた。

 きっと怖かったのだろう。中学に入って間もない頃にいじめられている僕なんかをかばいでもしたら自分さえもいじめられる。もし、僕が彼女の立場だったら同じ行動をしていただろう。 

 でも、あの頃の僕にとっては彼女が僕を見捨てたとしか思えなかった。それがきっかけとなり、僕たちは疎遠となってしまった。

 更に、二年と三年ではクラスが離れたこともあって関わることは全くなくなってしまった。

 中学を卒業する頃、僕は一つ心のなかで決めた。

 自分の想いを言葉にしなければ、傷つくことはない。だから、高校では自分を殺して生きていこう。

 そう決めた僕は卒業式の後の賑やかな教室を後にしようとしていた。その時だった。中学三年間の中で全く話してこなかった彼女が僕のところへやってきたのだ。

「ごめんなさい、私……」

 何か話そうとする彼女の言葉を遮り僕は、

「気にしてないから。それじゃ」

 僕にとっての精一杯の言葉だった。そう告げた僕は逃げるようにしてその場から離れた。彼女はそんな僕を見て立ち尽くしていた。

 廊下を歩く僕はとても惨めだった。周りでは卒業を喜んで写真を撮ったり、友達と高校が違うことを悲しんで号泣している人もいた。その中を僕は変わらない表情のまま外に出た。

 するとそこには桜が咲いていて、とても儚い景色だった……

 高校へ入学してからは上手くやっているつもりだった。自分を表に出さずに周りのことを気にして過ごしてきた。玲菜も僕と同じ高校に進学していたためクラスは同じだったが話すことはなかった。それなのに……

 どうして彼女は今になって僕のことを気にし始めたのだろう。その答えが知りたくて僕はがむしゃらに走った。水たまり入って靴が濡れることすらも気にならないくらい必死に。

 学校に着く頃には、雨は止んでいた。汗と雨で濡れた額をこすり、僕は大きく息を吸う。答えを、見つけるんだ。

 校内に入ると彼女を探し回った。補習や課外で残っていた生徒以外はみんな帰っていた。彼女が学校にいるかも不確かなのに探すことを辞めなかった。

「長谷川!」

 背後から僕の名前が呼ばれた。振り向いた先には先生がいた。

「すまない長谷川。お前のこと何も考えてやれなくて」

「先生、僕の方こそ急に飛び出してしまってすみませんでした」

 僕の言葉に先生は安心したかのように顔を緩めた。 

「お前が飛び出していった後、皐月が来てな」

 玲菜が? 先生に何をしに来たのだろう。

「皐月は俺のとこに来てからお前のことを話してくれたよ」

 先生の話を聞くとどうやら彼女は、僕が飛び出していったのを目撃した後先生の所へ来て僕のことを説明したらしい。  

 僕に夢があったこと。中学の時にいじめられていたこと。

 そして、彼女自身が僕を助けられずにずっと後悔していたこと。

 先生の話から全てを悟った僕は、彼女が今どこにいるのかを聞いた。どうやら彼女は「あの日の場所」と、先生に告げたらしい。

 そう言われて思いつくのはあそこしかない。その場所へ向かおうとしたとき、先生は僕に言った。

「長谷川、お前ならきっと大丈夫だ。自信持って行ってこい」

 強く頷いた僕は先生にお礼を言ってその場を後にした。

「あの頃の場所」

 それはきっと、僕たちが昔よく遊んでいたひまわり畑のことだと思う。小さい頃、いつもその場所で遊んでいた。夏になるとひまわりが咲き、幼い僕たちの背丈よりも大きいひまわりの中で遊んでいた。

 彼女と僕の思い出の場所と言えばそこしかない。何年も行っていなかったはずなのに真っ直ぐにそこへと向かった。

 何故かは分からないがそこへ行かないと彼女と話すことはないと思った。この不安が何なのかまだ考えられない。今すぐ彼女にあって話がしたい。どうして僕のことを……

 走り出してどれくらい経っただろうか。夕暮れの空は夜色に染まろうとしている。そんな時だった。

「あった……」

 僕の目には下を向くひまわりの花畑が広がっていた。そのひまわり畑の中に彼女はいた。

「玲菜! やっぱりここにいたんだね」

 嬉しかった。あんなにも彼女のことを遠ざけていたのに。

「玲菜をずっと探していたんだ。どうして、僕なんかのことを」

「僕なんかじゃないよ。 長谷川君は、誰よりも優しくて、しっかりしてて、本当に大切な人」

 予想外の返事だった。彼女が僕のことをそんな風に見ていたなんて。

「私、ずっと謝りたかった。中学の時、いじめられていたのを見ていたのに私は助けてあげられなかった」

「もう昔のことはいいんだ」

「良くないの。本当は助けてあげたかった。でも、怖かったの」

 彼女の目には涙が浮かんでいた。それは頬を伝い、雨上がりの地面へと落ちていく。

「玲菜が気にすることはないよ。いじめられている人を助けるなんてそんなに簡単じゃないし」

「でも、でも!」

「玲菜が昔のことを後悔しているのはもう十分伝わったから。それに、君は僕のことをずっと気にしていたのも知ってるから」

 僕の言葉に嘘はなかった。昔は嫌いだった彼女のことも、今ではそんな気持ちは消えていた。僕のために必死になってくれていた彼女を見ると、恨む気持ちは消えていく。

「だからさ、もう一度僕と向き合ってほしい。前みたいに同じ時間を過ごしていたい。ダメかな?」

「……ダメじゃないよ。私だってちゃんと向き合いたい。許してくれるかわかんないけど、それでも、私は一緒にいたい!」

 その瞬間僕は気付いた。自分の気持ちに、彼女への想いに。

「玲菜、この先ずっと笑い合っていたい。僕が自分勝手なのは分かっている。玲菜を遠ざけてしまったことも全部、ちゃんと償っていく。もう悲しませたりしないって約束するよ」 

 心臓が飛び出そうな程に僕は緊張していた。君へ伝えたい想いを言葉にしたい。君に届けたい。その考えは自然と言葉になっていた。

「僕は、玲菜が好きだよ」

 閉じ込めてきた想いをこれ以上溜め込まなくていいんだ。自分の心に正直になっていいんだ。そういえば、僕の名前はそんな意味が込められていたっけ。

 長谷川 想心。僕の名前だ。

 ちゃんと伝えられたから後は答えを持つだけ。

 息が苦しくなる。彼女の答え待つ時間がとても長く感じる。君の答えは、

「私も好き。もう離れ離れになんてなりたくない。だから、よろしくお願いします」

 震え混じりの答えは僕の心を満たしていく。ずっと隠していた想いを彼女は受け止めてくれた。昔の苦しさも気にならないくらいに僕は彼女が好きみたいだ。優しく笑う彼女を僕は気付けば抱きしめていた。

「何があっても僕は玲菜を離したりしない。ずっと一緒にいよう」

「うん。ずっと一緒だよ」

 華奢な体からは温もりを感じる。抱き合ったひまわり畑の空には満開の星々が咲き誇っていた。 

 

 数日後、僕は知った。あの日、玲菜が嘘をついたことを。

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