僕の想いを言葉にのせて
永久
僕の嫌いな日
――――高校二年、七月
いつも通りの日常にうんざりするほどの日差しは隠れることを知らないらしい。
高校に入学してから一年以上経った高二の夏。夏休みまであと数日の今日は僕にとって一番憂鬱な日だ。
校門を過ぎると同時に僕の心は一気に騒ぎ出した。まるで僕を引き帰らせようとするかのようにすくむ足は更に僕の心をざわめかす。
無理やり動かした足で昇降口に行った僕は靴を履き替えて教室へと向かった。
教室へ着くといつもと何も変わらないはずの風景に少し違和感を覚えた。
僕の高校はクラス替えがなく、卒業するまで顔ぶれは変わらない。といっても、去年の十月に問題行動を起こして退学を余儀なくされた人が一人いるため、入学したときから人数は減っている。
その生徒、 山宮 優 は噂によれば現在、建築現場で働いているらしい。せっかく高校に入学できたというのになんてもったいないことをしたのだろう。
そんなこと僕には関係ないが、やはり、退学という大イベントには少し興味は向くものだ。彼が退学した日、クラスの話題はそのことばかりだった。
それはそうだ。普段は明るく成績も良い彼がなぜか退学したのだ。ありえない話にクラスは騒ぎ立てていた。
それから九ヶ月が経った今、この教室は何もなかったことのように不変な日常を演じている。僕だってその中で「いつも通り」を演じている。
しかし、今日だけはそうもいかないようだ。クラスの人達は少しピリついている。今日は、進路を本格的に見据えなければいけない日なのだ。
成績や活動歴、日々の行動について担任から小言を言われてしまうのだからクラスのみんなが落ち着かないのは当然だ。入ってきた時に感じた違和感の正体だろう。
僕が余裕というわけではない。今日を一番嫌っていたのはこの僕なのだから。その原因はまさに「あの日」だ。
先生から呼ばれた六月二五日のあの日。放課後になり、逃げるように教室を出ようとした僕に先生は言った。
「長谷川、この後職員室に来てくれ」
先生に呼ばれるなんて絶対に良い話な訳がない。なんとかして断ろうと頭をフル回転させて言い訳を考える。
「すみません。今日塾があるので帰らないと」
もちろん僕は塾なんて通っていない。学校以外で勉強なんて考えただけで吐き気がする。
「嘘をつくな。勉強嫌いなお前が塾に行かないことくらいお見通しだ」
さすがだ。一年間担任をしていれば生徒のことを理解していないはずがない。僕が浅はかだった。
「分かりました。職員室に行けばいいんですよね」
「そうだ。できるだけ早く来いよ」
聞こえるかわからない声で返事をした僕はため息をつきながら教室を出る先生を見送った後、鞄を持ち直して教室を後にした。
教室を出てから少しして、説教の声が聞こえる職員室の扉の前についてしまった。この雰囲気で入るのは気まずいが仕方ない。テンプレートのように決められた入り方の紙を確認し三回ノックした。
「失礼します。二年一組の長谷川です。三上先生に話があり来ました。入ってもいいですか」
「いいぞ」
典型的な挨拶をした後に職員室に入り先生のもとへ向かった。
「悪いな長谷川。ちょっと確認しておきたいことがあってな」
予想通りだ。どうせ怒られるに違いない。そう思った僕はいやいや口を開いた。
「確認ってなんですか。僕、何かしましたか」
「そうじゃないんだ。来月の七日に進路選択についての面談があるだろう。長谷川は一年の時からずっと進路の話をしてくれなかっただろ。なんで、事前に少し話を聞いておきたいんだ」
最悪だ。どうしてこうも僕はついていないんだろう。
進路のことは入学してからずっと考えないようにしていた。やりたいことも特にない人からしたら、進路なんて言葉も聞きたくない。
更に、唐突に聞かれたものだから僕の心音は急に響き始めた。どうにかしてこの場を去りたかった僕は喉から絞り出したような声で答える。
「七日にちゃんと話すので今日は帰らせてください」
先生も僕の様子を察してくれたのだろう。今日だけは許してくれた。
「だが、お前に時間をかけすぎるわけにはいかない」
「本来なら出席番号順だが長谷川は全員が終わってから放課後に時間を取る。だからその日だけは絶対に帰るなよ」
念を押すようにして先生は僕の目を見つめてきた。
潔く諦めて僕は返事をすると職員室を後にした。
それから日が過ぎて今日は七月七日。僕が一番嫌いな日がとうとう来てしまったのだ。
午前中の授業は何一つとして頭に入らなかった。どう言い訳するべきかを考えているうちに、気付けば午後になっていた。
一番から順番に呼ばれて先生のいる別室へと向かっていく。午後の授業中に呼ばれることがないと分かっていても心拍数は確実に上昇していた。
面談から帰ってきて大きくため息をつく人もいれば、何も言われずに済んだのであろう優等生もいる。それを見るたびに自分が更にみっともなくなってしまう。
何を言われたとしても、逃げている僕からしたら全員勇者みたいなものだ。
将来のことをしっかりと考えている人もなんとなく考えている人も僕よりは自分の未来に向き合っている。
それなのに僕は、目的も理想もなくこの学校に入学してずっと同じ日々を繰り返している。やりたいことがなかったかと言われれば嘘になる。
だが本当にやりたいことなのと聞かれれば上手く答える自信がなく、僕は今まで、自分の想いを閉じ込めてきた。
そんな僕に答えを迫るように終礼のチャイムが校内に響いた。
事前に念を押されてしまったからにはもう言い訳はできない。諦めた僕は放課後の騒がしい教室から重い足を動かして先生の後を追う。
別室に入ると広い教室に椅子と机が置かれ、カーテンの隙間から日が差していた。
先生に言われた僕はうつむき気味に椅子に座り、反対の椅子に座る先生のことを見上げた。そこにいる先生は、少し困った顔をしている。
「長谷川、お前は将来どうしたいんだ。どんなに小さなことでもいいから教えてくれないか」
そんなことを言われても困るのは僕の方だ。
「将来のことは何も決めてません。やりたいこととかあまりピンとこないです」
「そうか。ならどうしてこの学校に来たんだ」
「それは、特に何も……」
僕の返事を聞いて先生は更に顔をしかめる。
「もう高二だろ。もうそろそろ自分の将来のことくらい真剣に考えたらどうだ」
将来のことくらい……。その言葉に無性に苛立った。
僕だって将来がどうなってもいいなんて思っていない。人並みに稼ぎは欲しいし、できればいい仕事に就きたい。
誰だって考えるだろうけど、僕は自分のそんな考えにさえ嫌気が差す。本当にそれが一番良い将来なのだろうか。僕が望んでいることはそんな生き方なのだろうか。そう考えれば考えるほど自分が嫌いになって考えないようにしていた。
それなのに先生は僕に現実を突きつけようとしてくる。先生が話す言葉は僕には何一つとして届かなかった。
終わりの見えない辛さに気付けば目から涙が流れていた。。
「僕がここでやりたいことを言ったら先生は認めてくれるんですか」
きっと反対するに決まっている。これまでがそうだったのだから。
「僕だって少しは考えてますよ。でも、僕の言葉をみんなして馬鹿にするように笑って、否定して……そんなのどうしようもないじゃないですか」
そう言った僕に先生は何も言わなかった。
息をすることも、涙がこぼれていくこともなにもかもが嫌になって僕は教室から走って逃げ出した。
通り過ぎる人たちからは変に噂をする声が聞こえる。遠くからは僕を呼ぶ声が聞こえる。全部に知らないふりをして僕は一目散に学校を出た。
晴れていたはずの空もいつの間にか雨模様だ。空さえも僕を馬鹿にしているみたいで苦しかった。
このまま帰ってもきっと僕の心が元に戻ることはない。だから僕は雨に打たれたままとある場所へと足を進めた。
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