厄神の花嫁は極上の生贄王女〜厄神ではなくて実は幸運の神様でした! これでもかと溺愛されて気がついたら女王になっていました〜
里海慧
第1話 極上の生贄
カレンベルク王国の王女シェリルにとって、塔の最上階にある一室と書庫の本が世界のすべてだ。
王城の奥にある王族の居住区に隣接するように十五メートルの塔が建てられていて、古文書から最新の本や王族しか閲覧できない書籍、書類が収められている。
最上階は特別な存在が過ごす部屋になっていた。
煉瓦が剥き出しの壁には窓が一カ所あり、ボロ切れのようなカーテンがかけられている。
他にあるのは小さなテーブルと椅子、小ぶりなチェストとベッドだけだ。設備は整っているので、食事さえ運んでもらえばこの一室だけで生活できるようになっていた。
ベッドに横たわるとギシギシと音がして、弾まないマットレスはまるで板に寝ているようだった。
眠る前に明日はどんな本を読もうかと考えるのが日課だ。圧倒的にひとりで過ごす時間が多くても、書庫まで下りて本を自由に読むことができたので気にならない。
いつも何冊かまとめて取り出し読んでは返すのだが、十八年間もそんなことを繰り返しているので、すでに三週目に入っている。古代文字の古文書もルーン文字で書かれた魔女の本も、シェリルはすべて読破していた。
もう三度目の読書を終えて、シェリルはポツリと呟く。
「あら、もう読んでしまったわ。冒険の本はいつもあっという間ね」
シェリルは手にしている本をそっと閉じて、唯一の窓へ視線を向けた。外はすでに夕暮れ時で、オレンジ色の空が広がっている。
うっすらと窓ガラスに映るのは、この空と同じオレンジブロンドの髪に、鮮やかな新緑の瞳を持つ少女だ。塔から出ることがないので肌は雪のように白く、スラリと伸びた手足は細い。
目鼻立ちがくっきりとして、唇は小ぶりなのにぽってりと厚みがある。まるで人形のような美貌だったが、シェリルはそれが美しいとは思っていなかった。
「今日はもう誰も来ないのね……残念だわ」
この塔の最上階にやってくる人間は限られている。
幼い頃は礼儀作法や読み書きを教えるための教師が毎日来ていたが、シェリルの覚えが早く十二歳で終わってしまった。
今は食事を運んだり清掃をしたりするメイドと、家族である王族だけだ。メイドは決まった時間に来て、王族たちは気まぐれにやってくる。
それ以外はずっとひとりきりで過ごしていた。
王女であるシェリルがなぜ、このような状況なのか深い理由があった。
それは国を興した時まで遡る。
初代国王は豊穣の神、慈愛の神、海の神、叡智の神からそれぞれ祝福を授かり、さらにもうひとりの神がやってきた。
『俺も幸運の祝福を授けよう』
だがそう言ったのは、見るのも
異形の神は二本の角が生え悪魔のような翼を持ち、瞳は金色に光っている。初代国王は恐れ慄き『お主のような厄神の祝福などいらない』と断り、災いをもたらす神を倒そうとした。
しかし厄神は怒り狂い王国は滅亡の危機にさらされ、その時の王女が汚れなき心で祈りを捧げ神の怒りを鎮めたのだ。
王女は厄神の妻になり、初代国王は娘が生贄になったのだと嘆き悲しむ。王女が妻になってからは王国に平安が訪れ、彼女の死とともに厄神は封印された。
そこへ修道院を建て、今も厄神が復活しないよう王女を生贄として捧げ続けている。
そもそもカレンベルクの王家は、女児の出生率が極めて低い。五十年に一度くらいの頻度でしか王女が生まれないため、歴代の国王たちは生贄として心清らかに育つよう特別な教育を施してきた。
極上の生贄に育てるため、あえて苦難を与えて心を鍛え、二十歳になったら厄神が封印されている修道院へと送るのだ。
シェリルも例外ではなく塔の外側からは鍵をかけられ、生まれた時からここで暮らし苦難を乗り越え心を鍛えている。
カレンベルク王国の東の山奥に『終焉の地』と呼ばれる場所があり、そこに厄神の修道院があった。周囲には村もなく魔物が出る山中にあり、生活することすら困難な地だ。
清貧ををよしとする修道女すら避ける場所で、今では死刑にできない者や、より苦しませて処罰させたい犯罪者を送る流刑地にもなっている。
「もっと頻繁に生贄として鍛えてもらえないかしら」
そう思っていると、バンッと扉が勢いよく開けられた。
「ちょっと、シェリル! なにをボケッとしているのよ!」
「まあ! お義姉様、いらっしゃいませ!」
シェリルはニコニコと笑みを浮かべて、突然やってきた王太子妃のベアトリスのもとへ駆け寄る。
「まったく、いつもいつも、鈍臭いわね。わたくしが来たらすぐに挨拶するのだと言いつけたでしょう? あんたみたいな不細工は素早く動いてわたくしを満足させなければ価値がないのよ! 神々の祝福を受けているわたくしに粗相がないようにしろと、何度言ったらわかるの!?」
「はい、ご指摘いただきありがとうございます。おかげさまで自分の至らなさに気が付きましたわ。さすがお義姉様です!」
「ふんっ、悪いと思っているなら土下座でもして詫びなさい」
「はい、かしこまりました!」
シェリルがすぐさま床に膝をつき、土下座をして「申し訳ございませんでした」と謝罪するとようやく満足したようで鼻を鳴らして出ていった。その背中に聞こえるように大きな声で礼を伝える。
「お義姉様、今日も来てくださってありがとうございます!」
無事に教育を終えたシェリルは、満面の笑みでベッドに潜り込んだ。
「よかった、今日も立派な生贄になるために鍛錬できたわ。これで安心して眠れるわね……」
シェリルの王女としての最大の役目は、極上の生贄となるべく心を鍛えることだ。だから、こうしてわざわざ塔の最上階まで足を運んで、激しく罵倒してくるベアトリスに心から感謝していた。
その他にも心を鍛えるため、食事は質素で硬いパンに野菜くずのスープだし、肉なんてかけらしか見たことがない。
誰かの食べ残しのような時もあるし、寒い時期でも冷え切ったスープを用意され温まらないが、それこそがシェリルの望んでいる苦難だ。
冬の寒さに凍え、夏の暑さで動けなくても、麻布で作られたゴワゴワしているワンピースを身にまとい、すべて笑顔で受け入れ鍛錬に協力してくれる相手に感謝している。
(そういえば、この前のお父様の叱責も素敵だったわ……)
シェリルは国王である父が言った言葉を思い返した。
『いいか、お前はたまたま手をつけたメイドが産んだ不要な子供なのだ。それが女というだけで役に立つのだから、私に感謝するのだぞ』
『はい、お父様のおかげで不要な子供である私にお役目ができました! ありがとうございます!』
『私を父と呼ぶな! 不愉快極まりないわ!』
『国王陛下、大変失礼いたしました!』
心の中でまたお父様と読んでしまったと反省しつつ、義母である王妃の言葉も思い出す。
『母親が泥棒猫なら娘も
『お義母様、申し訳ございません。こちらの書類は初めて処理する者だったので、やり方を調べていたら遅くなってしまったのです』
『なによ! 言い訳する気!? この書類は今日の午後に必要になるのよ! どうしてできていないの!? それに母と呼ばれると虫唾が走るからやめてちょうだい!』
『王妃様、大変失礼いたしました! 今すぐ終わらせます!』
あの時はいつもと違う書類の処理を王妃から頼まれてシェリルは困惑していたが、これもすべて立派な生贄になるための鍛錬だと思うと喜んで取り組むことができた。
(あ、そうだわ。お兄様にはもう少し厳しくしてもらうようにお願いしないと……)
前回、兄である王太子クレイグがやってきた時は奇妙な空気になって、鍛錬できているのか疑問だった。
『シェリル、僕の時は王太子殿下ではなくクレイグ兄様と呼べと言っただろう。命令が聞けないのか?』
『も、申し訳ございません……あの、クレイグ兄様、こんな格好が私の心の鍛錬になるのでしょうか?』
『当然だ。特別仕様の王立学園の制服を着たシェリルが恥ずかしい思いをして、それを耐えるのも十分鍛錬になるんだ。黙って僕のいうことを聞け』
『はい、私のことを考えてくださってありがとうございます!』
王立学院の制服はシャツのボタンが胸元から下にしかなく、角度によっては胸の谷間が見えてしまうし、スカートも膝より上でとても短い。そんな制服を着るのが恥ずかしく、さまざまなポーズをさせられ変な汗をたくさんかいてしまった。
『くそっ、いっそ血が繋がっていなければ、僕の好きにしたのに……』
『なにかおっしゃいましたか?』
『なんでもない。次のポーズはこうだ』
それだけで終わってしまったので、シェリルにとっては物足りない鍛錬だったのだ。もっと厳しい言葉や態度で接してほしいと頼んでみようと思いながら、目を閉じる。
シェリルは生贄として厄神の修道院へ送られ、そこで生を終えるのだと理解している。生贄としてすべてを捧げることがシェリルの存在意義なので、その時を心待ちにしていた。
(生贄として立派にお役目を果たしたい……その時は、この塔から出て初めて外の世界を見れるのよね。ワクワクするわ……!)
塔から厄神の修道院までは、書庫にあった資料によると移動だけで二週間ほどかかるらしい。
この塔の中しか知らないシェリルは、外の世界に憧れがあった。数々の本を読んできたが、外の世界はシェリルが想像もできない世界が広がっているに違いない。
図鑑で見た植物や、本で読んだ街の風景や、小説に出てくるような冒険者だっているだろう。死への旅路ではあるが、最後にわずかな時間だけ自由が許されるのだ。
(最初で最後の旅だもの、いろんなものを見れたらいいなあ。それに、この旅こそが最大の鍛錬よね)
本当はシェリルだって死ぬのが怖い。
死んだ後どうなるのか書庫中の本を読み漁ったけど、どこにも答えは載っていなかった。
それでもなんの役にも立たないまま、不要な存在として生きていくよりはマシだと思える。
それに、ここまで鍛錬を重ねてきて、あらゆる苦難に打ち勝ってきたシェリルなら、死に向かうだけの旅でも笑顔を絶やさずこなすことができるだろう。
(きっと命を捧げるその瞬間まで笑顔でいられたら、最高の生贄になれるわ。そうしたら、こんな私でも国の役に立てるのよ)
極上の生贄としての教育は、シェリルの中で大きな実を結んでいた。
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