第2話 上京2日目、蜘蛛の糸

 天気のいい朝だった。もう少し寝ていてもいいのだけれど、朝日が眩しくて目が覚めた。

 カーテンは、もちろん取り付けられなかった。色々と遮るには小さすぎるが、ダンボールをついたて代わりに一晩過ごした。部屋の半分も隠れていないけれど。


 あの後、ダンボールに乗ってみたがすぐ潰れたし、ロフトの梯子は固定してあって取れないし、いっそ冷蔵庫に乗るかと動かそうとしたけれど、部屋の入口が狭くて通らなかった。

 こんなに椅子が欲しいのに、近くにイオンもホームセンターもない。都会は不便だ。なんでもあると思っていたのに。


 窓が大通りに面していないのが不幸中の幸いだったが、目と鼻の先には向かいのアパートのベランダがあった。住人にはいい迷惑だろう。心の中で謝罪会見をしながら、食パンを頬張る。


 そうだ、今日は都会に行くからオシャレしないといけない。友達と会う約束がある。都会の大きな駅でランチするのだ。ひとまず問題を先延ばしにした。


※※※


「ハル~! 久しぶり! 元気だった?」


 桃華ももかはそう言って、手を振りながら駆け寄ってきてくれた。


「元気だったよ! 桃華ももかも元気そうでよかった」


 彼女とは幼稚園からの幼なじみだ。高校からは離れてしまい、なかなか会う機会が無いまま、先に桃華ももかが進学で上京した。3年ぶりくらいだった。

 前に会ったのはいつだったか、家族は元気か、そんな取り留めのない話題から始まって、会話に花が咲いていく。心細い都会に彼女が居てくれたことがシンプルに嬉しかった。


「ねぇ今日さ、すぐそこの水族館行こうよ。チケットあるから」

「ええ?いいけど、どうしたの。急だね」

「猛毒展やってるのよ。平日のお休みって貴重だから」


 そう言って歩き出す。ハルもペンギン好きだからいいでしょと、笑っていた。こういう時だけのぞく子供っぽい笑顔がキラキラしている。気分屋な彼女の提案はいつも急だ。


 子供の頃は私の方が背が高かったのに、いつの間にか見上げるほどの差がついた。

 なつっこくて、キラキラしてて、背も高い。2人で並んで歩くと姉妹みたいだ。言ったことは無いけど、私の憧れだった。


 道中チケットの値段を聞いても、私が勝手に買ったから気にしないでと、教えてもらえなかった。

 デートみたいな誘い方してくるじゃんと、茶化しながらついて行った。



 水族館に入ると、一面のクラゲ水槽が迎えてくれた。一見地味なクラゲだって、こうやって七色の光を浴びて泳いでいると綺麗なものだ。開館してすぐだったので、人もまばらだった。都会の水族館はオシャレだね、なんて話しながら進んでいく。

 愛らしいカワウソに、化石のようなグソクムシ。色とりどりの魚たち。

 エイの顔真似をしてたら写真を撮られたし、タカアシガニのどんくさい喧嘩も見た。泳ぐアシカ達に合わせて一緒に走ったし、極めつけは大興奮のペンギンショー。これ以上ないほど楽しんだ。


 もちろん猛毒展も見た。奇抜な色のカエルやトカゲが所狭しと展示されていた。

 イカを見て美味しそうと言ったら「毒だよ。死ぬよ」と冷静に諭されておかしかった。死んだわ。


 最後のお土産ショップの隅々までしっかり見て、今はオムライス専門店にいた。2人して満足気な顔で、ふわふわのオムライスを前にして座っている。


「そういえば、新居はどう? 引越し昨日だったんだよね?」

 桃華ももかが卵を頬張りながら聞いてくる。わ、美味しいと嬉しそうだ。


「カーテンで手間取ったよ。ちょっと高いところにつけないといけなくて」

「はは、そっか。コンビニとか近いの?」

「コンビニはひとつだけ。後はまだ来たばっかりだからよく分からないなぁ。周りの探検もできてなくて」

「そっか。昨日手伝いに行けたら良かったんだけど、ごめんね。バイトあってさ」

「大丈夫大丈夫。もうちょっと様になったら、また招待するよ。ありがとね」


 カーテンのことも言ってしまおうか。本当はもうちょっと大人ぶって、何も問題ないですって顔をしていたかったけど。

 桃華ももかなら、頼めば快く助けに来てくれるだろう。家はどの辺って言ってたっけ。うちに来るとしたら、遠いのかな。でも、桃華ももかくらい背が高くても踏み台がいるかな? 背が高くなったことが無いから分からない。結局椅子的なものを買うのなら、わざわざすぐ来てもらわなくても大丈夫な気がするし。


 もたもた迷っていると、桃華ももかが先に話を始めた。


「――そういえばさ、ハル。今日の夜時間ある?」

「ん、今夜?」

「そう、今夜。会わせたい人がいてさ」


 唐突な提案に、面食らった。桃華ももかは嬉しそうに話を続ける。


「5歳年上の男の人なんだけど、上京してからその人が色々教えてくれてさ。ハルとも絶対気が合うと思うんだよねぇ」

「彼氏?」

「違うよ、私がめちゃくちゃ尊敬してる人なの」


 一応確認したが、違った。どこかで聞いたことがあるようなセリフが並んでいる。嫌な予感がした。

 言葉を選んでいると、気の利いた返事が思いつかなかった。ええと、と歯切れの悪い言葉が漏れる。


「でね、その人が今夜セミナーやるの。セミナーって言ってもそんな難しいやつじゃなくて、ちょっとしたレクリエーションみたいなやつで」

「待って、桃華ももかさ、それなんか怪しくない?」


 言葉を選んでいられなくなり、思わず遮る。


「あ! 怪しいヤツじゃないよ! ネットで名前検索するとマルチだって出てくるんだけど、合わなかった人達が勝手に言ってるだけだから大丈夫! 安心して!」


 どう考えても怪しいヤツマルチだ。

 私は知っていた。一度こうなったら桃華ももかは、自分から目が覚めるまで話を聞かない。ため息が漏れた。


「…私はまだ部屋の片付け終わってないから、今日は帰るよ。また今度ね」


 桃華ももかが残念そうに、そっかぁとつぶやく。

 気持ちの整理がつかないまま、ただただオムライスを頬張った。なんだか味がよく分からなくなってしまった。


 桃華ももかは、男に騙されやすかった。


※※※


 店を出てすぐ、お礼を言って桃華ももかと別れた。椅子が売っているかもしれないし、探して歩いても良かったけど、そんな気力は残っていなかった。


 ただ無気力に、帰りの電車に揺られた。都会って怖いな。

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