汚穢の街
藤宮史(ふじみや ふひと)
1話目
何もしたくなかった。ジッと息を殺して、人生を
三十三歳の私は、とうとう便器を相手に生きてゆくことになった。清掃の仕事なら他人と争わずに、人と接することも無いだろうと思っていた。
ウスロロは精神薄弱者だった。二十代前半ぐらいの年齢だろうか、そのウスロロが、
たしかに難しい仕事ではない。駅高架下の商店街の床と、高架下の共用の通路の
他人と接しない、関らない
そして、私は
私の、阿佐ヶ谷の三畳ひと間のアパートの二階の部屋から乞円寺の現場までは自転車で10分ぐらいである。遠くもないが、近くもない。
六月中旬の
警備員と目を合わせずに、気持ちのない朝の
細長く幅の狭いスチール製のロッカーからは、嫌な臭いがした。汗の匂いや足の匂い、または黒く
息を止めるようにして、手早く作業着に着替えて外に出る。部屋のなかと外では、文字通り雲泥の差があった。控室を出ると、まるで草原にでも放たれたような清涼感がある。深呼吸をする。あの悪臭のなかに一日中坐していなければならぬ不運とは、いったい何であろうか。
半地下の階段の下には、食堂街の店舗が出した生ゴミがあった。青い大きなポリ容器が4つ、卵の緩衝材の古紙の束、段ボール紙の束があった。ポリ容器は、ひとつが少なくとも40キロ以上の重量があり、階段を上がって行くのに、柔道の技でもかけるように腰にポリ容器を乗せ、両手で容器を引くように持ち上げる。ズボンには、生ゴミの甘いような酸っぱいような汁の腐臭が
それから、リアカーの置場であるが、ゴミ出しの商店街から西に約百五十メートル行ったところに、コンクリートブロックを積上げた造りの、ひとつが八畳間程の小屋が三つ並んでおり、その鉄扉のなかにリアカーを仕舞っていたが、朝の、仕事の一番目は、控室からそのリアカー置場まで歩いて行き、そして、リアカーを
ゴミの収集車は、ゴミの内容によって回収する曜日がちがい、その曜日に合わせて収集車が来る時間までにゴミ置場前に出して置かなければならず、急な病気や
ゴミ出しにはルールがあり、ゴミを出す事業主は、事前に料金を払って70リットル、45リットルのゴミ出しのシールを買い、それをゴミ袋に貼ったうえで出すことになっている。
ゴミ出しが終ると、今度は半地下の食堂街と地面を
そして、その高架下商店街を取り囲んでいる高架下の通路と商店街と隣接する一般道路の一部も清掃範囲として指定されていて、ひとりで徘徊して、
また、これこそが、この現場でのメインの清掃業務で、皆がとっておきの
一日の清掃業務は、朝一番のゴミ出しと店舗の共用通路の
人は、人を決して尊敬しない。掃除の仕事をしていると、そのことが
また、私が清掃を担当する商店街ではない共用通路の外側の喫茶店「ブチ」の七十前の店主は、
つまり私の
「ブチ」店主にとって清掃員である私の存在は、私に直接料金を払わずに無償で使い捨てにできる存在で、また使い捨てにしてもいい存在なのだろう。つまり、私が怪我をしたり死んだとしても「ブチ」店主は勿論、商店街の者たち、警備員たち、鉄道共〇会の者たちも、または客として商店街にいる誰ひとり気に掛ける者はいないだろう。実際、私は「掃除の人」と呼ばれたこともなければ、一度たりとも私の名前を訊いて、名前を呼んだものが一人もいなかったのである。私は、この場所においては、ひとりの人間ではなく、名もない清掃員で、清掃員は清掃員としても存在を黙殺され続けていた。目立つ清掃員の服装であったが、これが不思議なぐらい商店街のなかでは透明になってゆき、私は居て、居ない存在になっていた。
青シャツ、喫茶店店主は、私との直接的な雇用関係がないと言っても鉄道共〇会からみれば店舗スペースを借りて貰っている賃貸関係で直接的な利害関係があると言える。その鉄道共〇会から仕事を貰っている清掃会社から、更に仕事を貰っている孫請けの清掃会社に勤めている私は、まわり廻って遠くの方で青シャツ、喫茶店店主と
電気椅子の婆さん連は、二人組であった。歳のころは、とうに六十は超えているだろう。もしかすると七十過ぎかもしれない。婆さん連は、商店街の一階の一劃をしめる胡散臭い電気椅子店の客であった。電気椅子は、正式名称をなんと云うのか知らない。ただ、電気で磁気だか
併し、問題は金銭問題だけに留まらず、精神問題にまで波及している具合である。つまり、電気椅子に日参してくる連中は、きまって精神に異常を来しているようで、もっとも、まともな神経だったらはじめから電気椅子の世話にはならぬが、そう云った精神異常者までもが、私の清掃業務にまで干渉してくるのは
その心にこたえる最たる事件が、五百円玉事件である。私は、清掃員であるが、社会のなかで低い存在、蔑まされる存在、
清掃業務のなかでも、特に便所、ビルのテナントの使用者が限定されている便所ならまだしも、公共の誰でも使える便所となると、
その最底辺の賤業に、私が従事しているからと云って、皆お墨付きを得た
私は、いったい何者であったのか? 最底辺の清掃員とはいえ、一定の
私は、いったい何者であろうか? 清掃員の筈であったが、私はまるで本物の聖職者(実在しているのか不明)の
中古レコード店店員、アジア雑貨販売店店員たちはともに私を蔑視していた。彼らは二十代の若年者故に洋装店や宝石店、靴修理店の店員のように一見判りにくい蔑視ではなくて、彼らの社会における不満、日々の暮らしの
なかでも不思議な蔑視もあった。これは実際には蔑視でないかもしれないが、極めて蔑視に近い感覚のものであった。
半地下食堂街にある食堂の「クロンボ」は店名も差別的であったが店の親爺も差別的な人間であった。最下層の清掃員の私から見ると、「クロンボ」の親爺は鉄道共〇会の上の存在、高円寺商店街の階級的社会のなかでは最上層階級であり、王である。
併し、ここで私が親爺の店に行き、カレーライスなどを頼み、食って金銭を払うと、親爺は好むと好まずに係らず私にたいして「ありがとうございました」と挨拶をしなくてはならない。この立場の転倒はすさまじい。親爺自身も自分で「ありがとうございました」と言いながら釈然としないものがあるらしく、私がはじめて店を訪れたときは、私だとはっきり気がつかずに挨拶をしてしまい、自分の言葉の意味に戸惑っているようであった。そして、何度か店に行くうちに「ありがとうございました」が「ありがとう・・・」と言葉の終わりが不明瞭になり、次第に「ありがとう」の言葉ですら不明瞭に、感謝の挨拶をしているのかも判然としなくなり、仕舞いには金銭を払っても、私には挨拶をしなくなった。親爺のなかで清掃員の私への蔑視の気持ちと、客である私への感謝の気持ちが
「クロンボ」同様に、中古レコード店でも私にたいして親爺同様の対応が若い者にも出てきた。併し、若い者のほうが親爺にくらべて
くだらない、価値のない世界が眼前に広がっている。
テナントの入っている西側の出入り口では、若い男女が、手洗い用の小さなシンク台の上で性交している。まだ、午後五時まえである。外は明るく、陽も高い。シンク台の所も、物陰になっていない。ひと通りが少ないとはいえ、天井には蛍光灯がともり、よく見える。男女は、普通じゃない。酒で酔っているのか、薬物で酔っているのか判らないが、ひと目を気にせず、性交している。
汚穢の街 藤宮史(ふじみや ふひと) @g-kuroneko
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2011.6.5~10.27/藤宮史(ふじみや ふひと)
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 64話
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