汚穢の街

藤宮史(ふじみや ふひと)

1話目

          

 何もしたくなかった。ジッと息を殺して、人生をり過したかった。しかし、現実は、私をほうっておいてれず、何時いつもかまいにくる。

 三十三歳の私は、とうとう便器を相手に生きてゆくことになった。清掃の仕事なら他人と争わずに、人と接することも無いだろうと思っていた。しかし、その、私のわずかばかりの願いも、早い時点で、簡単に打ち砕かれ、何処どこにいても、何をしても、他人は私に干渉かんしょうしてくるばかりで、早く、この地獄よりも地獄らしい現実から離脱したいと、そればかりを考えていた。

 ウスロロは精神薄弱者だった。二十代前半ぐらいの年齢だろうか、そのウスロロが、乞円寺こうえんじ駅高架下商店街の清掃の前任者であったので、私にそこの清掃業務の内容を伝授するはずであった。しかし、精神薄弱者ゆえに伝授の言葉に不確ふたしかなものがあり、またウスロロ自身も、何年も務めてきた現場であったが、自分の清掃に自信がないのか、または自信があっても、そのことを他人に伝えることができない性質なのか判然としなかったが、かく、私にはウスロロの話す言葉のほとんどがからだみてこなかった。ぼんやりとした業務の引き継ぎに不安を覚えつつも、私は自分の頭のなかでウスロロが言おうとした言葉の抜けている部分を補正しながら話の内容を新たに構築して理解していった。このような具合であったから、私はしなくてもいい苦労でたちまち疲弊ひへいし、半日も経たないうちにウスロロを見下していった。

 たしかに難しい仕事ではない。駅高架下の商店街の床と、高架下の共用の通路の掃除そうじ、半地下の食堂街の生ゴミ等の搬出。それから、メインは便所掃除であろうか。便所は、半地下の食堂街にあり、公園にある公共の便所のように、誰でも、何時いつでも、使えるもので、だから便器の汚れてゆく速度は早い。

 他人と接しない、関らないはずであったが、私はわざわざ毎朝、警備員が夜勤で詰めている控室に行って、間借りしているような清掃員用のロッカーで作業服に着替えねばならず、それが清掃仕事での、まず第一番目の苦痛であった。

 そして、私は迂闊うかつであった。清掃員の服装ほど奇態で、道化どうけたものはないと思うぐらいだ。太い青縞あおじまのズボンに、黄色に茶色の縁取りをしたシャツは、何処どこの店でも売っていない珍奇ちんきなものであった。こんな服を着ないとだめなら、即座にめたい。そう思ったが、不決断にシャツのそでに腕を通していた。清掃会社本社での面接のとき、服装について特段かなかったが、むこうも言わなかった。こんな変な恰好かっこうをさせるのは、何故なぜだろう? もう死ねよと、駄目だめ押しをされているような心地ここちであった。


 私の、阿佐ヶ谷の三畳ひと間のアパートの二階の部屋から乞円寺の現場までは自転車で10分ぐらいである。遠くもないが、近くもない。

 六月中旬のる日、仕方ないとった感じで、目覚まし時計はジリジリジリと電池切れ寸前のように緩慢かんまんにベルを鳴らした。私は気だるい気分で、洗い物の食器が積み重なって腐敗臭のあるA3サイズ程の小さな流しで、顔を申し訳程度に洗い、外に出た。

 警備員と目を合わせずに、気持ちのない朝の挨拶あいさつをする。警備員は年配の男性二人で、ひとりは七十近い白髪のガッチリした体躯たいく、若いときは鉄筋の溶接工をしていた。もうひとりは、痩せて胃病者のごと覇気はきがなく、六十の定年前に鉄道共〇会の嫌がらせをねた左遷させんらって落ちてきた。

 細長く幅の狭いスチール製のロッカーからは、嫌な臭いがした。汗の匂いや足の匂い、または黒くあぶらみ込んだコンクリートの床からは生ゴミの汁を塗りつけたような匂いが控室にこもっていた。

 息を止めるようにして、手早く作業着に着替えて外に出る。部屋のなかと外では、文字通り雲泥の差があった。控室を出ると、まるで草原にでも放たれたような清涼感がある。深呼吸をする。あの悪臭のなかに一日中坐していなければならぬ不運とは、いったい何であろうか。

 半地下の階段の下には、食堂街の店舗が出した生ゴミがあった。青い大きなポリ容器が4つ、卵の緩衝材の古紙の束、段ボール紙の束があった。ポリ容器は、ひとつが少なくとも40キロ以上の重量があり、階段を上がって行くのに、柔道の技でもかけるように腰にポリ容器を乗せ、両手で容器を引くように持ち上げる。ズボンには、生ゴミの甘いような酸っぱいような汁の腐臭がり込まれるように付着して、ズボンの生地を通して生ゴミの汁が直接肌にみ込むような気がしていた。それらのゴミを、ひとつずつ20段以上ある階段を行ったり来たりして上げ、それから、リアカーに載せて、ゴミの仮置き場まで運ぶ。リアカーには自転車やバイクが付いていないので人力じんりきで運んでいたが、これは、これだけで清掃員にたいして部外者にまで差別心を植え付ける見世物的な様相であり、親会社の鉄道共〇会の陰険な階級意識のなせるわざだった。

 それから、リアカーの置場であるが、ゴミ出しの商店街から西に約百五十メートル行ったところに、コンクリートブロックを積上げた造りの、ひとつが八畳間程の小屋が三つ並んでおり、その鉄扉のなかにリアカーを仕舞っていたが、朝の、仕事の一番目は、控室からそのリアカー置場まで歩いて行き、そして、リアカーをいて、半地下食堂街の階段の上まで来ることだ。そして、ゴミを載せ、再びゴミ置場に行き、ポリ容器とビニール袋に詰められたゴミを分別して、それぞれの小屋で一時保管する。それから、空になったポリ容器は、半地下食堂街の階段を上がった先の地上の出入口横のポリ容器保管専用のスチール製の小さな物置のなかに入れておく。

 ゴミの収集車は、ゴミの内容によって回収する曜日がちがい、その曜日に合わせて収集車が来る時間までにゴミ置場前に出して置かなければならず、急な病気や怪我けがで仕事を休むこともできない。端的たんてきに言って、この仕事を続けている以上は強制労働のように毎日出勤し続けなければならず、また、たとえ此処ここめたとしても、またちがった場所の、おなじような仕事を、生きているかぎりは社会のなかで割り振られて、好むと好まずに係らず、何某なにがしかの低賃金労働に従事しなくてはならぬ。まったくもって、私の人生は、街の奴隷状態であった。

 ゴミ出しにはルールがあり、ゴミを出す事業主は、事前に料金を払って70リットル、45リットルのゴミ出しのシールを買い、それをゴミ袋に貼ったうえで出すことになっている。しかし、なかにはシールをらずに出す不心得者ふこころえものがいて、鉄道共〇会のほうでシールを用意して貼ることにしているが、その数は極端に少なく、いきおい孫請まごうけの清掃会社が負担することになっていた。それでも、清掃会社もすべてを負担することはせずに、現場の清掃員の才覚にゆだねる暴挙に出ていた。しかし、まさか私が、他人の経営者の、ゴミの料金を負担はしないだろう。仕方ないので、ゴミの袋を開けて、ゴミの量の少ない袋同士をひとつの袋にまとめて、シールの貼られた空の袋をつくったり、または袋からシールをはさみで切り取って、シールのない袋にセロテープで貼ったりしていた。よくよく考えると腹立たしいばかりの状況で、誰に文句を言えばよいのか判然としないところが、一段と腹立たしい。

 ゴミ出しが終ると、今度は半地下の食堂街と地面をかさ上げした一階の靴の修理屋、中古レコード店、アジア雑貨販売店、女性物の洋装店、宝石屋、それから、なんだか意味の解らない胡散臭うさんくさい電気椅子いすすわり、難病に効能があるとか、ないとか。そんなあやうい商売をしている店の共用通路のき掃除と、時折、濡れたモップを使ってき掃除をしていた。

 そして、その高架下商店街を取り囲んでいる高架下の通路と商店街と隣接する一般道路の一部も清掃範囲として指定されていて、ひとりで徘徊して、ほおき塵取ちりとりで掃除をするのは骨が折れる仕事であった。

 また、これこそが、この現場でのメインの清掃業務で、皆がとっておきの憫笑びんしょうもっむかえてくれる。男女に分れた公衆便所の掃除ほど神経的に過酷なものはない。或る国では、便所掃除は懲罰の使役刑になってみ嫌われており、また、万国の人々の便所掃除員にたいする視線は斯様かようなものであった。社会のなかで、一段も二段も階級的にさげすまれている便所掃除に従事しないとならぬとは、なんとう不運、または自ら望んで来たことの不明、自分に幾度となくびたところで取り返しがつかぬ。

 一日の清掃業務は、朝一番のゴミ出しと店舗の共用通路の塵取ちりとり、そして、便所掃除で、ゴミ出しが終って、収集車がゴミを取りに来た後に、ゴミのポリ容器を簡単に水洗いして、それらをリアカーに積んで運んで物置に仕舞っておくが、そこまで仕事が済めば、あとは時間の間隔をあけて日に何度か便所内を点検したり、高架下通路を箒と塵取り持参で巡回してゆく。


 人は、人を決して尊敬しない。掃除の仕事をしていると、そのことがいやうほどわかる。あからさまに憎しみあったり、牽制けんせい反目はんもくしあうよりも、心底しんていで相手と自分の関係の距離を測り、絶妙の関係でおかしてゆく。人は自分のことを絶対者と見做みなし、相手は皆自分の感覚を満足させるためだけの下僕げぼくである。

 しかし、そうった他人との関係の不文律ふぶんりつを破る愚か者はいる。古書店員の青シャツは、掃除をしている私の顔を見かけると、決まって「ご苦労!」と高圧的に言い放つ。これは彼流の挨拶あいさつであるが、どう云う神経のなせるわざか、定かには判定できない。私と彼とのあいだに直接的な雇用関係はなく、雇用関係があったにしても、それは私が清掃会社に雇われているだけで、また、わたしの所属する清掃会社は別の清掃会社からこの仕事を貰っているが、元は鉄道共〇会から仕事がきているわけで、また鉄道共〇会は高架下のテナントを募集して、そこに入って営業している古書店は、店員として青シャツを雇っているが、青シャツが、これほどまでに私にたいして尊大に振舞う理由がわからない。一般的には、私と青シャツの関係はほとんどないか、まったく無関係と云う状態のはずであった。しかし、一方的に青シャツは因縁をつけ、からめるように、私と青シャツのあいだに雇用関係が発生しているかのごと妄想もうそうをして、私に奴婢ぬひごとき立場を求め、従わせようとしていた。青シャツから見て、清掃員である私は、一段も二段も階級の低い存在として映るのだろう。

 

 また、私が清掃を担当する商店街ではない共用通路の外側の喫茶店「ブチ」の七十前の店主は、不遜ふそんな態度に終始して、いつでも私を見下していた。併し、そんな彼ではあったが、やさしい気持ちの一面もあった。

 る日、高架下の天井のはりつばめが巣をつくり、雛鳥が育っていたが、一羽の雛が巣から落下して共用の通路でもがいていて、それを助けたのである。そのことを私に知らせ、そこまではいい。しかし、その後がよろしくない。私に対し、その雛を巣に戻せと強要してきたのである。私の仕事は清掃であるが、燕の雛の行く末まで管理はできない。

 しかし、喫茶店店主は無謀にも私に2メートル以上もある脚立きゃたつの、その一番上の天板のところに昇らせ、爪先立ちで燕の巣に雛を戻させるのであった。私は脚立に昇っているあいだ、あまりの高さに目がくらみ、足ががくがくしてくる有様であった。それはそうであろう。2メートルの脚立の上に立ち、私の身長が1メートル73センチなら、3メートル70センチぐらいのところには両目があり、視界は開けているが、余りにも危険な行為である。もし、脚立から落下すれば全身打撲、足の捻挫では済まないかもしれない。打ち所が悪ければ死亡するかもしれない。併し、えて私に危険をおかさせてでも喫茶店店主がげねばならぬこととは、いったい何事であろうか。

 つまり私のからだに起こる危険よりも、生命の危険よりも、燕の雛の身が大事とうことである。しかし、何故なぜ、清掃員である私と直接の雇用関係が発生していないのに、発生していると仮定、妄想して、危険な任務を強要してくるのは何故であろう。

 「ブチ」店主にとって清掃員である私の存在は、私に直接料金を払わずに無償で使い捨てにできる存在で、また使い捨てにしてもいい存在なのだろう。つまり、私が怪我をしたり死んだとしても「ブチ」店主は勿論、商店街の者たち、警備員たち、鉄道共〇会の者たちも、または客として商店街にいる誰ひとり気に掛ける者はいないだろう。実際、私は「掃除の人」と呼ばれたこともなければ、一度たりとも私の名前を訊いて、名前を呼んだものが一人もいなかったのである。私は、この場所においては、ひとりの人間ではなく、名もない清掃員で、清掃員は清掃員としても存在を黙殺され続けていた。目立つ清掃員の服装であったが、これが不思議なぐらい商店街のなかでは透明になってゆき、私は居て、居ない存在になっていた。

 

 青シャツ、喫茶店店主は、私との直接的な雇用関係がないと言っても鉄道共〇会からみれば店舗スペースを借りて貰っている賃貸関係で直接的な利害関係があると言える。その鉄道共〇会から仕事を貰っている清掃会社から、更に仕事を貰っている孫請けの清掃会社に勤めている私は、まわり廻って遠くの方で青シャツ、喫茶店店主とつながっていないともいえない。併し、これから話す者は、彼ら以上に私との関係性は稀薄なはずであった。

 電気椅子の婆さん連は、二人組であった。歳のころは、とうに六十は超えているだろう。もしかすると七十過ぎかもしれない。婆さん連は、商店街の一階の一劃をしめる胡散臭い電気椅子店の客であった。電気椅子は、正式名称をなんと云うのか知らない。ただ、電気で磁気だか得体えたいの知れない電波だかを発生させて、もって人体の難病を完治させるらしいが、こんな奇跡があれば苦労はしない。文明開化以前のまやかし商売、人魚や河童のミイラを見せて歩く興行師のようで、遊びでかかわるぶんには楽しいが、わらにもすがる気持ちなら罪作りなものである。その電気椅子の使用料は表向き無料であったが、使ってゆくうちに店員の口車に乗せられて何百万円とも言われている法外な金額を請求されて一部では社会問題になっているらしい。併し、当人同士がよければ、それはそれでいい。

 併し、問題は金銭問題だけに留まらず、精神問題にまで波及している具合である。つまり、電気椅子に日参してくる連中は、きまって精神に異常を来しているようで、もっとも、まともな神経だったらはじめから電気椅子の世話にはならぬが、そう云った精神異常者までもが、私の清掃業務にまで干渉してくるのははなはだ迷惑であった。勿論、婆さん連と私の間になんの関係もない。関係があると思うのは狂人ばかりである。併し、面倒なことに婆さん連は、本人も気がついていない隠れ狂人たちで、私と自分たちには何かとんでもない重大な関係があると妄想しているらしいのであった。その証拠に、私が甲斐甲斐しく階段の掃き掃除をしていると、きまって大袈裟おおげさに感心し、毎日ご苦労様等ねぎらいの言葉をかけるが、それが毎日きまった言葉の調子であるといささかこちらも首をかしげたくなる。それに具合のわるいことに、婆さん連も青シャツ、喫茶店店主同様に見えない階級意識に支配されているようで、しかも本人たちは露ほどもその自覚はないらしい。青シャツ、喫茶店店主にくらべ嫌味な感じはないが、なければないなりに私には心にこたえるものがあった。

 その心にこたえる最たる事件が、五百円玉事件である。私は、清掃員であるが、社会のなかで低い存在、蔑まされる存在、憐憫れんぴんの情をかけられる存在ではない筈だ。少なくとも完全に業務をこなし社会に貢献している筈であったが、そのことは斟酌しんしゃくされず、関心も持たれたことはない。一方的に階級的に低い存在であると断定されることは耐え難い苦痛である。併し、社会のなかでは職業によって階級をつけ、資本家を頂点に、官僚、政治家、大企業経営者、公務員、会社の正社員、中小企業経営者、と続き不安定な契約社員、アルバイト、パート。日雇い労働者、そして、清掃員を社会の最底辺として見えない蔑視をしていた。(清掃員がたとえ正社員の地位であろうとも最底辺にかわりないらしい)

 清掃業務のなかでも、特に便所、ビルのテナントの使用者が限定されている便所ならまだしも、公共の誰でも使える便所となると、賤業せんぎょうのなかでも、もっともいやしい賤業とされていた。

 その最底辺の賤業に、私が従事しているからと云って、皆お墨付きを得たごとくに私を自動的に蔑視するのは如何いかがなものか。婆さん連は涼しい顔をして、あたかも善行を積んでいるかのように、私に直接手渡しで五百円玉を差し出すのであった。

 私は、いったい何者であったのか? 最底辺の清掃員とはいえ、一定の矜持きょじのある人間である。清掃は懲罰としての仕事ではない。而も私は犯罪者でもない。社会のなかで法令を順守して暮らす市民である。然るに犯罪者を眺める如き、否、犯罪者以下の乞食こじきを見るごときに私を見るとは、いったい何事であろうか。私は、乞食ではない。知らない人から無償で金銭を受け取るいわれはない。併し、私は五百円玉を断るだけの努力もしたくなかった。婆さん連の私への蔑視は、私がいくら説いて聞かせたところで首肯しゅこうされるはずはなく、いらぬ軋轢あつれきを生むばかりで結果はよくない。私は莞爾かんじ微笑ほほえんで五百円玉を受け取るのであった。 

 私は、いったい何者であろうか? 清掃員の筈であったが、私はまるで本物の聖職者(実在しているのか不明)のごと彷徨さまよえる人たちの魂を救っているではないか。聖職者はまだいい。社会から聖職者として扱われ敬われているが、清掃員は公衆便所の糞尿の始末を際限なくこなし、一方で人生に疲れ切って狂ってしまった魂の救済をしている。併し、救われている本人は、私から救われている自覚がなく救われているのである。なんと云うことであろうか。私は、誰とも係りを持ちたくなくて清掃員の仕事についた筈であったが、気がつくと、これ程までに人々とかかわっている。


 中古レコード店店員、アジア雑貨販売店店員たちはともに私を蔑視していた。彼らは二十代の若年者故に洋装店や宝石店、靴修理店の店員のように一見判りにくい蔑視ではなくて、彼らの社会における不満、日々の暮らしの屈託くったくを私で晴らしてみたいと希求するような蔑視で積極的であった。併し、案外判りやすい蔑視ならば対処もしやすい。私は清掃員としての本領を発揮して彼らの存在をまったく無視し、清掃業務に励んで商店街のなか陳列された商品のなかで擬態するように姿を消すだけである。


 なかでも不思議な蔑視もあった。これは実際には蔑視でないかもしれないが、極めて蔑視に近い感覚のものであった。

 半地下食堂街にある食堂の「クロンボ」は店名も差別的であったが店の親爺も差別的な人間であった。最下層の清掃員の私から見ると、「クロンボ」の親爺は鉄道共〇会の上の存在、高円寺商店街の階級的社会のなかでは最上層階級であり、王である。   

 併し、ここで私が親爺の店に行き、カレーライスなどを頼み、食って金銭を払うと、親爺は好むと好まずに係らず私にたいして「ありがとうございました」と挨拶をしなくてはならない。この立場の転倒はすさまじい。親爺自身も自分で「ありがとうございました」と言いながら釈然としないものがあるらしく、私がはじめて店を訪れたときは、私だとはっきり気がつかずに挨拶をしてしまい、自分の言葉の意味に戸惑っているようであった。そして、何度か店に行くうちに「ありがとうございました」が「ありがとう・・・」と言葉の終わりが不明瞭になり、次第に「ありがとう」の言葉ですら不明瞭に、感謝の挨拶をしているのかも判然としなくなり、仕舞いには金銭を払っても、私には挨拶をしなくなった。親爺のなかで清掃員の私への蔑視の気持ちと、客である私への感謝の気持ちが相反そうはんしていて収拾がつかなくなったのだろう。親爺としては、私にたいして客として遇するよりも清掃員として蔑視していたほうが気が楽であったと思われる。だから私が客として店に来ることをあんこばんでいるようすであった。もっとも、私が清掃員として親爺から指示されたり、親爺に頭を下げる分には来店は許された。つまり親爺からみると身分の低い私の来店はまかりならぬ、とうことであった。自分のところでは飯はわせぬとうことである。


 「クロンボ」同様に、中古レコード店でも私にたいして親爺同様の対応が若い者にも出てきた。併し、若い者のほうが親爺にくらべて狡猾こうかつだ。私には、決して頭を下げないためにたとえ「ありがとうございました」と挨拶を完璧にこなしても、言葉のなかに感謝の意味は込めずに、また私が買い物をして金銭を払っているにも係らず、私が買い物をしていなかったことにしていた。つまり店員から見ると、誰か、客が買い物をしているが、客は私ではなく、不特定多数の顔のない客として、私がそこで買い物をしたと云う事実もないものにした。私にたいして私と確認したうえで「ありがとうございました」の挨拶をしてしまうと、便器を相手にしている清掃員の私よりも一段低い存在になってしまうことを危惧きぐしているらしい。


 くだらない、価値のない世界が眼前に広がっている。

 テナントの入っている西側の出入り口では、若い男女が、手洗い用の小さなシンク台の上で性交している。まだ、午後五時まえである。外は明るく、陽も高い。シンク台の所も、物陰になっていない。ひと通りが少ないとはいえ、天井には蛍光灯がともり、よく見える。男女は、普通じゃない。酒で酔っているのか、薬物で酔っているのか判らないが、ひと目を気にせず、性交している。

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汚穢の街 藤宮史(ふじみや ふひと) @g-kuroneko

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