嘘と忘却
「あいつがきなこを殺したんだよ」
学校のプリント類を届けに家まで来てくれた佐伯さんが吐き捨てるように言った。
「まゆはそんな子じゃないよ」
反論する私を佐伯さんは睨む。
「東さん、騙されてるんだよ。あいつが自分で言ったんだから。鼻と口を塞いで窒息させたって。キュートアグレッション?とか何とかって、急に壊したくなったとか言って、完全に異常者じゃん。東さんもあいつには関わらないほうがいいよ。次からもプリントは私が持ってくるから」
佐伯さんは言葉で私を覆い尽くそうとするみたいにまくし立てて、「それじゃ」と言って踵を返した。初夏の日差しに白いセーラー服の襟が眩しく、パジャマのままの私はすごすごと家の中に引っ込んだ。
翌週は少し具合が良かったので午後から学校に行くことにした。進級して半月ほど経った頃に目眩で朝起きられなくなって休んで以来、何となく足が遠のいて、重い身体を引きずってまで中学校に行く理由を見つけられずにいた。
でも今日だけは根性で行くと決めた。学校で一番仲の良かったまゆがどうしているか気がかりだ。
ゆっくりゆっくり歩いて登校し、しばらく保健室で休んでから、見慣れているようでいて知らない場所のようでもある教室に思い切って足を踏み入れた。
教室の後ろにある蜂の巣のようなロッカーの上に写真立てが置かれているのが目に入った。銀のフレームに収まっているのは、茶色い子猫の写真。丸くてころころに育つ前の、ぎょろぎょろと大きな目の、エイリアンみたいな幼い猫。
クラスの誰だかが通学中に保護して、里親が見つかるまでみんなで面倒を見ていたきなこ。話には聞いていたし、まゆから写真も送ってもらっていたけれど、動物用粉ミルクや小さな毛布が飾られているのを見ると何だか生々しくて、私は祭壇から目を逸らした。
休み時間の教室では生徒がグループごとに凝集して、珍しいものでも見るように私をちらちら盗み見ていた。教室の隅でまゆだけが分離していて、まゆだけが私に見向きもしなかった。
「まゆ」
声をかけるとまゆはようやく文庫本から顔を上げた。前線に送られた兵士みたいな顔をしていた。
「東さん、こっち」
佐伯さんが私の手を引っ張った。
「こんな犯罪者に話しかけちゃ駄目だよ。気に入られたら殺されちゃう」
佐伯さんの周りにいた数人の女子が賛同する。誰もまゆの側に立とうとはしない。まゆだけが鉄条網に囲まれているみたいだ。
「まゆ、待って」
授業が終わった直後、廊下で辛うじてまゆを呼び止めた。急に立ち上がったせいで視界が夜みたいに暗く、水中にいるみたいに耳が詰まった。
「あたしなんかと話してたら、あずまで無視される」
耳鳴りの向こうからまゆの声がする。
「なんで、あんな嘘吐いたの?」
空気が薄い。折り曲げた身体を、ためらいがちにまゆが支えてくれる。
今は遠く感じられる保健室への道を行きながら、まゆは「誰も知らないんだから、あたしが本当って言えば本当なの」と呟いた。
でも私はそれが嘘だと知っている。まゆが夜間のきなこの世話当番だったあの晩、取り乱したまゆが最初に頼ったのは私だったのだから。ミルクあげようと思ったら息してなかった、どうしようと泣いていたまゆを知っている。
そそくさと保健室から立ち去ろうとするまゆの手を、私はベッドに寝たまま掴んだ。
「ねえ、やっぱりわかんないよ。嘘吐いててもまゆが嫌われるだけで何にも良いことない。本当のこと言いなよ」
まゆは私を見ようとはしなかった。
「良いことはある。あたしの顔を見るたびに、みんなは可哀想なきなこのためにあたしを憎む。きなこのことが大好きだったのにって怒る。きなこの存在をみんなの中に深く食い込ませることができる」
「きなこを覚えておいてほしいってこと?」
「そう。だって、正義面してきなこのためにってあたしを叩いてる奴ら、きなこが自然死だってわかってたら、きっと今頃きなこのことなんか忘れて笑ってんだ。最初からいなかったみたいに」
「忘れるのは仕方ないことだよ。短い間しか一緒にいなかったし、親から離れて生き延びるには小さ過ぎるって最初からわかってたんでしょ」
まゆが振り返る。怒りと苛立ちと悲しみが混ざった目をしている。
「そんなの許せない。許せなかった。空いた席が誰のものだったか、みんな忘れかけてた。あずが薄くなってくみたいで」
まゆの目の縁が赤い。私のいない教室で、きっとまゆは学校に行けない私と同じくらい不安で寂しかったのだ。それまでずっと二人でいたのだから。
「私は別にクラスのどうでもいい人たちに忘れられたっていい。まゆが覚えててくれるから」
まゆは透明な洟をすすった。
「きなこもそう思うかな」
「そろそろ今世のことなんて忘れてるかもね。私が佐伯さんの下の名前忘れちゃったみたいに」
まゆは湿った顔を歪めてわずかに笑った。
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