蝕の月

 むかしむかし。


 おじいさんが切った光る竹の節の中には、小さな美しい子供が確かに二人いた。なのにおじいさんが急いで家に帰ってみると、懐の中には一人の姫だけがぽつんと残されていた。


 おじいさんとおばあさんはその不思議な子を「かぐや」と名付け、何か高貴なお人に違いないと大切に敬って育てた。かぐやはある時は女の子で、またある時は男の子だった。おばあさんは男のかぐやを「王子」、女のかぐやを「姫」と呼んだ。しかし姫と王子が二人同時に姿を現すことは決してなかったので、普段はただ「かぐや」と言えば済むことだった。


 かぐやはみるみる大きくなり、春に顔を出した若竹がくすみ始める頃には、闇夜を照らす月のように美しい若者となった。


 姫と王子の噂は知れ渡り、その姿を一目見ようとぼろ屋の周りには人だかりができた。はるばる遠国から来たのだからと床下から侵入しようとする者まで出る始末だった。


「つまんないね」


 御簾の内側で姫が呟いた。


「でも外に出たら危ないよ。どんな手を使っても僕らを手に入れようとしてる奴らがうようよいる」


 姫の中から王子が答える。


「馬鹿じゃないの。力ずくで攫って奪って、床の間にでも飾っておくつもり? 珍しい花の生首みたいに」


 姫の視線の先の障子。枠に沿って薄い破れ目がある。障子紙は張り替えたばかりなのに。


「光に焦がれる虫みたいに」


 王子が苦々しげに吐き捨てる。






 時折物憂げに窓の外を眺める王子に若い娘たちは熱い視線を送り、障子に揺れる姫の影に身を焼く男たちはおじいさんに姫との結婚を申し入れた。


 姫は興味を示さないだろうとおじいさんは思ったが、予想に反して姫は求婚者を招き入れるよう言った。


 その日集まった求婚者は、右大臣、大納言、中納言というやんごとなき身分の方々。畳の間に控える三人の前に現れたのは姫ではなく王子だった。


「其の方はかぐや姫の兄君……いや、弟君か? 姫はどうしたのだね?」


 右大臣が尋ねる。


「僕がかぐやです。あなた方は僕に求婚なさったのですよ」


 王子は平然としている。


「まさかかぐや姫がおのこだったとは……。や、失礼、野暮用を思い出しまして」


 大納言はそそくさと退散する。


「ならば我が妹の婿に……しかし女子ならともかく、男で美しいだけというのは……。ああいや、難癖をつけようというのではございませぬが。どこの血筋とも知れない上に、斯様に内に籠もっておられては、ゆくゆくの立身出世などは、ねえ」


 半笑いの中納言がまくし立てる。


「我は心変わりなどいたしませぬぞ。そなたの美しさの前に男だの女だのといった区別は無意味」


 身を乗り出した右大臣に王子は冷ややかな目を向ける。


「その美しさが陰れば打ち捨てるのですか。萎れ腐った花など汚物でしかないと」


 口を開けたままの右大臣を尻目に、王子は御簾の奥へと姿を消した。






「おばあさんは、姫と王子とどちらが良いと思いますか?」


 姫に問われたおばあさんは繕い物の手を止める。


「どちらも利発で愛らしくて素晴らしい子だと思いますよ」


「でも、どちらかじゃないと駄目なのでしょう」


 かぐやの返答におばあさんは首を傾げる。


「私たちは生まれながらの罪で月の国から地上に堕とされたんです。どちらかを殺すまで帰ってくるなと」


 かぐやの言葉の意味がおばあさんにはよくわからなかったが、月に帰ろうとしているらしい物言いには不安を感じた。


「それならずっとここにいればいいんですよ。姫と王子とお二人でね。ああ、でもそれなら、やっぱり姫にはわしらの目の黒いうちにどこかに嫁いでもらわないと。あなた様方が持ってこられた黄金にも限りはあるんですから」






 それから間もなく、おじいさんは竹林に行く途中で倒れてそのまま亡くなってしまった。おばあさんはおじいさんの通夜の準備で忙しく立ち働いていたが、翌朝かぐやが起きてみると布団の中で冷たくなっていた。


 二人の通夜の席では王子の姿のかぐやが静かに正座していた。訪れた人々はおじいさんとおばあさんへの別れもそこそこに、かぐやのことばかりちらちらと気にしていた。


 埋葬には姫が付き添った。男たちはやたらと姫の行く末を心配し、べたべたと身体に触りながら様々な援助を申し出た。中には見返りを提示して関係を持とうとする者もいた。


 姫は儚い微笑みを浮かべて男たちをあしらい、人目を盗んで竹林の奥の泉に行った。


 煌々と輝く秋の満月が水面でかすかに揺らめいている。冷たい泉に身を浸したかぐやの顔が丸い月に重なる。


「姫か王子か、どちらか選ばせないと気が済まないらしい。月でも地上でも」


 月を背にしたかぐやが告げる。


「我らは姫でも王子でもない者。王子でも姫でもある者。どちらも選ばず、どちらも拾う」


 かぐやが振り上げた竹割り包丁が、冷酷な月光を反射して抗うように光る。






 竹林には竹取の山姥が住んでいる。


 風の噂を聞きつけて面白半分にやって来た者は、伸ばした髪を振り乱し、目鼻がどこにあるのかもわからないような傷だらけの顔をした人間を見て逃げ帰ることになる。


 かぐや自身はそれを楽しんでいた。顔を変えてから、誰も何もかぐやに期待しない。美しかった頃とは打って変わって、人々はかぐやから目を逸らし、遠ざけようとする。誰にも欲しがられないということが、手に入れるべきモノとして欲望の眼差しに晒されてきたかぐやにとっては小気味良かった。


 満月の晩にはおじいさんとおばあさんの墓を綺麗にし、泉の前で天を仰いだ。


「呪いあれ、我らを罪とした月輪に。我らを貶めた徒世あだしよに」


 輝く月を嘲笑いながら、かぐやは一人末永く愉快に暮らしたとさ。


 めでたし、めでたし。

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