自己存在証明

彼方のカナタ

自己存在証明

人間は狂っている。この世界に存在する人間は狂っている。誰もが狂っているから、人間が狂っている事に気が付く人間は居ない。一度、人間を辞めなければ、狂っていることに気が付かない。

狂っていることが普通だから、なんの違和感もなく、人間全員はそれぞれの「日常」を送っている。

全員が異なる狂い方をしているから、皆違う。だから、「皆違って…」と言う。

ワタシもアナタも、ソコのダレカも…。結局、狂人でしか無い。



そんな狂人達は、その狂った一生の中で、必ず一つの証明をする。それが


「自己存在証明」




二月一日

私のもう目の前には、高校受験が迫って来ていた。私は進路で困る事は何も無いし、受験だって不合格となる未来も見えない。中学のユウジンやセンセイとも仲が良かったし、誰からも恨まれるような事は無かった。けれど、私は安心感を全く感じなかった。


《思春期と呼ばれるこの時期、人間の心は不安定になる。私もその一人だ。自分という存在を認識しようとし始めて以来、「自分とはなにか」という問いに答えが出せなかった。その答えを考えるうちに、私は、何処から何処までが自分で、何処から何処までが自分じゃないのか、分からなくなっていた。

私がこの世界に存在する理由は、その意味は何なのか。》

今日もその問いに答えを出せない。


二月二日

私は、何時もより早く起きていた。何か大事なコトが、大切な考えが、その入口が見えた様な気がしたのだ。私の語彙力では言い表せない、何とも不思議な感覚であった。


《私は、小学生の時に人間的憧れの人を見つけた。彼女は誰にでも優しく、誰からも愛され、その全員を愛した。彼女は誰よりも清い心を持つ、理想的ニンゲンであった。

彼女とユウジンとなってから、一度も彼女を超える人間に出逢うことはなかった。

しかし、彼女も一般人同様、人間である事は事実で、その清明心もまた、別の狂気に呑まれていった。

私は、その事実を受け入れられなかった。彼女は理想的ニンゲンであり、誰もが彼女であれば、何の問題も生じずにこの世界を運営出来たであろう。彼女の事を思い出す度にそう思ってしまう。

私は、その理想的ニンゲンに憧れてしまった。その後私は彼女の真似事をするようになった。彼女の様になりたかった。全人類の太陽になりたかった。全人類の月になりたかった。全人類の星になりたかった。それからだろう、私が、私でなくなって、壊れ始めていたのは…。》

今日もあの問いに答えを出せない。


二月三日

今日は休みである。最近は、自らの存在の意味を問うことのみが、私が休日に行う事である。私とは何か、存在する意味はなにか、誰かにとって私は必要であるのか……


《私は自分が壊れていくのが、はっきりと感じられた。それがとても、とても恐ろしく感じられた。私は自分が壊れないための装置を創り出した。これで…これで…私は、私で居られるのだ。まだこの世界に存在することが出来るのだ…許されるのだ………》


二月四日

明日からまた、学校が始まる。私は、いつも通り、本当の自分を隠して、誰にも自分の不安定さを悟らせずに過ごすのだ。


《私は対崩壊自己防衛機能として、仮面を被った。それはまだ幼かった私が初めて創り上げた、自分と自分の様なナニカを、自分と他人を、分けるための、隔てるための壁であった》


私は狂っている。何か他人と違う。他人は私と違う。当たり前のようで、けれども直面すると大きな問題と感じる事実が、そこにはあった。


自分が被る仮面もいつか壊れてしまうのではないかと不安になって、この日から毎晩、布団の上で小さく泣き声をあげた。


三月三日

世間では、雛祭りだの何だのと言って、テレビもラジオも一つの話題に集中していた。その祭りは多くの人にとっては、特別な日ですら無い、ただの平日だと言うのに。

その日は私にとっても、何も特別で無い、ただの平日だ。今日もまた、泣いて、泣いて、泣いて……。


《丁度一年前程であっただろうか。私はようやく、自ら仮面を被った真の理由に、そこにあるナニカの正体に気付いた。》


三月四日

今日は、人生で二度目の卒業式であった。

多くの生徒が涙を流した。彼らは一生の別れでは無いのだと知っているというのに、彼らの泣き声が全方位から聴こえてくる。

ユウジンやセンセイが泣いている中、私は一人泣くことが出来なかった。普段は躊躇いなく泣いているのに、心は泣いているのに、私の体は泣くことが出来なかった。昨日泣き過ぎたからだと思ったが、何か違う理由があるような気がした。

隣の席の子が、「しーちゃんは強いんだね」と言うが、私はそんな彼女に作り笑いをしながら、「そんなことないよ、我慢してるだけ」と返した。


《私が仮面を被ったその日から、私の中に居た、もうひとりの私の存在がより明瞭になっていった。私が思ってもいないことを思って、やろうとしていないことをやって……》


受験当日

私はもうひとりの私を抑える事に必死であった。ソレが出てきてしまえば、もう諦めるしか無いと思った。

最後列であることを良いことに、泣きながら設問を解いていった。


〈わたしは、何?わたしは、どこ?わたしはどれ?わたしは……わたしは……わたしは……わたしは……〉

《そして、私は自分の存在意味が更に分からなくなっていた。もうひとりの私が居ることで、更に「私」という存在が何か分からなくなったのだ。彼女は私を護る為に生まれてきていた筈なのに》


私の存在意義は何?私はどうして生まれてきたの?私が誰かを必要とすることはあっても、誰かが私を必要とすることがあるの?誰かを笑顔にするため?誰かが笑顔で居るため?誰も悲しませないため?誰も苦しませないため?私は苦しむため?私が傷つくため?誰かが楽しむため?

問問問問問問問問問問問問問い続ける。


春休み

私は、課題を直ぐに終わらせて、やりたかった事も直ぐに終わらせて、毎日の様に散歩をしていた。近所だけでなく、遠く離れている土地にも一人で歩いて行った。

私はある日、一人の男の子に出逢った。彼は湊と名乗った。彼はとても彼女に似ていた。彼女の転生体と言われても不思議でないくらいには、人格が同じであった。彼女を誰も護り切る事は出来なかった。あれ程の人物は、存在価値存在意味…その全てを周りから認められる。周りから必要とされる。その存在と同じ様である彼を、私は護りたいと思った。

その日から、湊のもとへと通うようになった。いつも誰かを想う湊、誰かに想われる湊。

優しい優しい湊が居なくなってしまわぬよう、悲しむことのないよう私は努力した。


《湊と逢ってから、もうひとりの私も落ち着き、夜な夜な泣くことが無くなった》


新学期

私は、無事高校入学を果たした。勿論、大人は皆、これが通過点だと言う。先を見据えた同級生達もそう言うだろう。が、ここはある一つの到達点である。そして同時に出発点でもある。泣いていたあの頃の私の到達点は未だ来ないが、それでも、不安定な私は終わりを迎えようとしていた。

高校生となり、多忙になったため、湊に会えなくなってしまった。しかし、夏休みには会えるから、その時が待ち遠しい。そう思うように、なっていった。


夏休み

七月二十八日

私は久しぶりに湊と会うことが出来た。彼は3ヶ月経っても変わっておらず、清い心の持ち主だった。私は本当に嬉しくて涙を流した。嬉し涙なんて流すの、いつ振りだろうか…。


八月八日

この日が私の最終到達点であった。

これまで、ほぼ停滞していた私の人生がこの日で加速度、速度共に最大になり、突き抜けていった。

私は、今日もまた、湊のもとへと向かっていった。

けれども、家に湊は居なかった。湊の両親に聞くと、彼は裏手にある海岸沿いの大通りのスーパーに職業研究という宿題のため、取材に行っているそうだ。それを聞き私はそのスーパーへと向かった。

その途中、私の前方に湊の姿が見えた。湊は涼しいスーパーから、直射日光の当たる、暑い暑い外へ出てきたためか、足取りが良いとは言えなかった。

私は湊に声をかけた。そしたら湊は「紫陽ねぇだ!」と言い私に手を振りながら歩いてきた。

その時、反対側の車線で車同士の衝突事故が起きた。私は、二人は、いや、その場に居た全員が突然の事に思考停止状態へと陥った。

そして、事故に遭った車の後方を走っていたトラックが、減速しきれず、その二台へ衝突した。

そこからは一瞬の出来事だった。片方の車が撥ね飛ばされ、私達の方へ…。

いや、正確には湊の方へ…。

私は駆け出していた。久しぶりに本気で走った。自分が、こんなにも早く走れるとは知らなかった。ここ半年、長い長い距離を歩いているからだろう。でも、そんな事に感動なんてしなかった。私はただ、大切な大切な湊を救いたいと思った。そう願って、湊を突き飛ばした。

その直後、元々湊が居た所、つまり今私が居る所を運転手不在の自動車が通過していき…海へと落ちていった。私は二度の衝撃を受けた。車との衝突と海面への落下。何故か痛みは感じなかった。その代わり湊を守れたという満足感を感じた。ただ、湊が私を呼ぶ声が海の中まで聞こえてきた、それ以外には、先程私を傷つけた海の水が私を優しく抱きしめているだけである。


その後、湊は交通事故防止啓発活動を始め、彼は交通事故防止や被害縮小のため研究を始め、その功績は称えられることになる。

私は一人の人として、一つの命として、存在した。私という存在は「一人の少年の未来と全人類の命の保護への鍵」という意味を最期に宿して消えていった。

〈ここまで、よく頑張った…ね、後は…私に…〉





人に生きる意味は無い。しかし、人は生きる。自らの存在を否定したくないから、人は初めは意味の無かった人生に、自ら意味を見出す。そしてそれを「世界」に示す時自己存在証明を成功させるのだ。

あなたの存在証明はどの様なものなのだろうか……

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