79 何もない④

「ごちそうさまでした……」

「もっと食べた方がいいよ? あかねくん」

「いいえ。大丈夫です!」


 少しずつ……、変わろうとしていた。

 俺はまだ生きているから……、今を生きるしかない。そして、お父さんが残した最後の言葉「頑張れ! あかね」それだけは絶対忘れられなかった。今更「誤解して、ごめん」とか言えないから、頑張って……今の関係を維持しないといけない。口に出せなかったけど、そう思っていた。


 今の俺はお父さんの選択を尊重している。


「お母さんは仕事行ってくるから、二人仲良くしてね」

「うん! 分かった!」

「はい」


 とはいえ、お父さんがいなくなった現実を受け入れるにはまだ時間が必要だった。

 お母さんに捨てられた時の痛みと、お父さんが亡くなった時の痛みが、ずっと俺を苦しめている。それを忘れるのは無理だった。少なくともあの時の俺にはできなかったと思う。何もできない普通の中学生だったからな……。


 そして、少しずつみおとの距離が縮まる。


「な、なんでさっきからこっちを…………」

「ねえ……! あかね!」

「は、はい……?」


 今もそうだけど、あの時も……みおの距離感は変だった。

 二人と良い関係を維持しないといけないから、俺の方から声をかけて……たまには学校であったことも話した。俺たちは家族だから、そんなことを言うのが普通の家族だと思っていた。そうやって少しずつ……、苦しいことを忘れようとした。そのためには俺が頑張るしかない。


「へへっ」


 でも、すぐ前にみおの顔がいてどうすればいいのか分からなかった。


「ねえ、あかね……♡」


 なんで、俺と話す時はいつもハートを飛ばしてくるんだろう。


「はい……?」

「私、あかねのこと抱きしめてもいい?」

「えっ? ど、どうしてですか?」

「弟だから!」

「えっ?」


 あの時の俺はずっとみおのことを無視していたから、家族として認めていなかったから、その罪悪感にもうみおのことを断れない状態だった。俺のせいで、二人と距離感ができてしまったから。だから、もう二人を失望させたくなかった。


 こうやって誰かに頼ってもいいのか、よく分からない。


「ダメ……? 私、あかねのこと好きなのに……。いつも無視されるからすごく悲しい……」

「あ……、すみません……。最近、いろいろあって……」

「うん。私も分かる! だから、言わなかったよ。あかねが何を考えてるのか、知ってたからね」

「はい」

「だから……、私ね! あかねと仲良くなりたい……!」

「はい……」


 宮崎さんがお父さんと再婚したのは、それなりに理由があると思っていた。

 キッチンで水を飲む時、ぼーっとするみおを見たから……。きっと言えない何かがあったと思う。


 だから、断れない。


「はあ……♡ 癒される」

「こんなことをして、癒されるんですか? 弟なのに……?」

「弟って言ってもね。一応、血が繋がってない弟だから……、いいと思う。すっごく癒される♡」

「そうですか……。よ、よかったですね」

「うん♡」


 女の人に抱きしめられたのが初めてだからか、すごく恥ずかしくて……耳が真っ赤になっていた。


「あー! あかね、恥ずかしい〜?」

「女性とくっつくのが初めてで、ちょっと……すみません。変なこと考えてませんから」

「お姉さんに抱きしめられて……、気持ちよかった?」

「…………」

「あかね〜?」

「…………」

「返事〜」


 そんな恥ずかしいこと言えるわけないから、じっとしていた。

 すると、頬をつねるみおが俺をソファに倒す。


「気持ちいいとか、そういうことよく分かりません」

「じゃあ、どうして顔が真っ赤になってるの? どうして〜?」

「わ、分かりません……」


 恋愛経験ゼロだった俺に、みおのやり方はやばかったと思う。

 あんな風に近寄るのは初めてだったから、すごく慌てていた。


「今日、お母さん帰るの遅いから……あかねと一緒にいたい。映画とか観ない?」

「いいですね」

「私! あかねと観たい映画あるからね!」

「はい……」


 てか、さりげなく腕を組むんだ……。


「…………」

「どうしたの? あかね」

「あ、いいえ。な、なんでもないです」

「もしかして、私に惚れたり〜?」

「そ、そんなこと……! できるわけないじゃないですか!」

「えっ? 私……、可愛くないの……?」

「い、いいえ! そんな意味じゃなくて、その……」


 女の人とこんな風に話すのは苦手だった。

 委員長以外の女の子とあまり話さないから、俺に優しくしてくれるみおがちょっと不思議だった。女の子について何も知らないし、委員長がたまに恋話とかするけど、俺にはよく分からないことだった。


 恋とか、できるわけないから……。俺はそう思った。


「ううっ———♡」

「ど、どうしたんですか?」

「私、めっちゃドキドキする!!」

「えっ? そんなに面白い映画ですか?」

「違う。あかねがそばにいるからだよ?」

「ええ……」


 話の意味がよく分からないけど……、俺と一緒に映画を観るから楽しいってことだよな?

 まあ、どうでもいい。こういうのは俺も初めてだから……。てか、誰かと映画を観るなんて……、あの俺が誰かと映画を観るのか。

 不思議だな。


「飲み物、持ってきた方がいいよね! そして、お菓子とか!」

「そ、そうですね。持ってきます!」

「いいよ。私が持ってくるから! ふふっ」

「は、はい……。お願いします」

「待ってて!」

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