42 先生の憂鬱②

「みなみさん……? もしかして、眠れないんですか?」

「…………うん」


 深夜の二時、後ろから聞こえる衣擦れの音に目が覚める。

 先生が眠れない原因は多分……、さっきの話と余計なことを心配してるからだと思う。俺は大丈夫って何度も言ってあげたけど……、その話を口に出した時点ですでにこうなるのを予想していた。結局、我慢できなかったんだ……。


 先生は俺と一緒にいても、たまに悪夢を見るって言うからな……。

 元カレが一体どんな人なのか、その顔が見たくなるほど先生のトラウマはすごかった。


「夜更かししますか……?」

「えっ? いいの……? 明日学校なのに……」

「それはみなみさんも一緒ですよね?」

「それは……、そうだけど……」


 バイトで疲れても先生が眠れないのは可哀想だから……、たまにこうやって先生と夜更かしをする。

 あくびが出るほど眠いけど、今は我慢するしかない。


「ねえ、そっち行っていい?」

「はい」

「やっぱり……、くっつくと落ち着く……」


 俺たちの間に、もう距離感って言葉は使えない。

 すぐくっつく先生に離れてくださいって言っても、結果はこれ。てか、くっつくと落ち着くって……、そんな恥ずかしいことを言うのかよ。そんなことより、今はズボンをはいてほしいけど、俺の話全然聞いてくれないからな……。


 シャツ一枚だけじゃ……、恥ずかしいんだよ。


「私みたいな女は……面倒臭いよね? あかねくん……」

「また……! その話は禁止です」

「うん……。ごめんね」

「でも、みなみさんのそばにもっといい人がいたらこうならなかったはず。俺は生徒だから……何もできません」

「ううん……。そばにいてくれるだけで十分だよ」

「は、はい……」


 俺は先生の恋人じゃないけど、先生は落ち込んでいる時、いつも俺に抱きつく。

 それは、当たり前のことって感じだった。


「私ね……。あかねくんとこうやって過ごす時間が大好きだから、ずっと元カレのことを忘れようとしたけど……。それが上手くできなくて……ごめんね」

「はい……」

「ずっと嫌われたのに、あんな人を忘れられないなんて。バカみたい」

「…………」

「バレンタインデーのことだけど……、私は好きな人にチョコレートをあげたかったよ。食べる時の笑顔も見たいし、喜んでほしくて、別にお礼とかいらないから……。ただ美味しいとか嬉しいとか……、一言言ってほしかっただけなのに。作る前にいらないって言われちゃった……」

「はい……」

「それでもずっと我慢していたけど……、彼氏に捨てられた時はどうしても我慢できなくて……。どうしてってあの人に聞いてみたよ……」

「…………は、はい」

「私ね……。好きだからエッチなことがしたいって……、その気持ちを分からないとは言わない。でも、あの人は私とあんなことをするために付き合ったみたい……。優しかった彼氏は知らないうちにそれを要求してきたよ。それが捨てられた原因だと思う……」

「ええ……最悪」

「私は彼氏のことが好きだったけど……、あんなことやったことないから。怖いっていうか……、断るしかなかったのに……。断ると、すぐ怒るから」


 要するに、元カレは先生とあれができないから捨てたってことか……?

 自分の性欲に負けた人か……、汚すぎ。


「それでもね! 私、彼の誕生日とか! クリスマスとか! 夏祭りとか! いろいろ……。一緒に楽しい時間を過ごしたかったから、めっちゃ頑張ったけど……。彼氏にはそんなことより、女の子とベッドで過ごす時間がもっと好きだったらしい……」

「そこまでしましょう……。吐き気がします」

「ごめんね……。こんなこと言いたくなかったのに……、たまに捨てられた時の夢を見ちゃうから。それが怖くて、怖くて……、耐えられない。彼は優しかったのに、本当に優しかったのに…………」

「はい。それがみなみさんをずっと……苦しめたんですか?」

「うん……。バカみたい、私は優しかった時の彼氏がすごく好きだった……」


 俺を見上げる時の視線と、すぐ泣きそうなその目……。

 可哀想だ……。


「…………大丈夫です」

「うん……」


 でも、俺は生徒だ。先生の何かになれない。

 それだけはちゃんと知っている。


「一つずつ……」

「はい?」

「一つずつやりたかった……。最初は手を握って……、ハグをして……、そして……もうちょっと頑張ってチューして、キスして……。そして慣れた後は……、セ……」


 セで始まる単語に二人とも顔が真っ赤になる。


「はい。言わなくても分かります。確かに、そっちの方が普通だと思います……」

「うん」

「いつかきっと……、そんな人ができるはずですよ? みなみさん。きっと!」

「…………」


 そして、俺と目を合わせる先生。


「最初は手を握って、ハグをして……」

「はい?」

「そして……、もうちょっと頑張って……チューして…………」

「み、みなみさん……?」


 何をする気だろう……? 先生の顔……、めっちゃ近いし…………。

 まあ、くっついてるから当たり前のことだけど、そんなことじゃなくて……。唇が触れそうな距離に先生の顔が……。

 しかも、笑ってる……?


「あかねくん……。私は他の人……いらないよ?」

「はい……?」


 月明かりが照らす部屋の中、先生の瞳に俺の姿が映っている。


「私も、私が面倒臭い女ってちゃんと知っている。でも、あかねくんは……そんな私に大丈夫ってずっと言ってくれたよね?」

「は、はい……」

「ずっと落ち込んでて変なことばっかり言っても、全部聞いてくれたよね……?」

「はい……」

「元カレはね。私が落ち込んでる時に、電話するなって言うから……」

「はい……? そんな」


 なぜか、くすくすと笑う先生だった。


「ねえ、あかねくんの心……今めっちゃドキドキしてる」

「そ、それは……みなみさんとくっついてるから……!」

「あかねくんは私にドキドキするの……?」

「そろそろ、ね、寝ましょう!」

「答えて、あかねくんは私にドキドキするの?」

「…………」


 先生と夜更かしをするのは良くない選択だったかもしれない……。

 答えづらいけど、すぐ答えないと怒られそうだな。


「は、はい……。そうです〜! だから、は、離れてください……」

「うん! 私も、あかねくんにドキドキしてるからね! ずっと……、ドキドキしてる! だから、離れたくない! すごく気持ちいい」

「ス、ストップ! それは反則ですよ! ダメ! いけない!」


 チュッ♡

 さりげなく頬にキスをする先生。


「は、はあ!!?」

「ふふっ、ご褒美だよ♡」


 やばっ、やばい……耳元でめっちゃ恥ずかしい音が響いた。


「…………」

「あ〜! やっちゃったぁ……♡ 恥ずかしい!」

「え、えええ……? み、みなみさん?!」

「ふふっ。あかねくんはずっと私のそばにいてくれるよね……? そうだよね? あかねくん」

「うう……、はいはい」

「私を絶対離れないで……、約束だよ?」

「はい……。分かりましたぁ」


 なんか、また約束が増えたような……。


「うん! 疲れたぁ。今日は添い寝したい! 寝よう〜」

「いいえ、ベッドで寝てください」

「添い寝」

「ベッド」

「添い寝!」

「ベッド……!」

「添い寝!!!」

「はい……。そうしましょう」

「ふふっ、勝ったぁ♡」

「負けた……」

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