第2話

 ベッドから起き上がると大きく背伸びをした。

 緊張状態にあったことや普段と違う寝心地によって睡眠は浅いものになっていた。思わず、欠伸が出る。


 時計を見ると7時を指していた。面接の時間は10時のため時間は十分にある。

 ベッドから立ち上がり、朝の支度を始める。シャワー、着替え、荷物の確認、デジタル機器の着用をしたところで受付へと行き、キーを預かってもらう。


 ホテルには今日も滞在する予定だ。大学は春休みであり、せっかく上京したので、明日は東京の街を謳歌するつもりだ。

 外へ出ると朝食を済ませるために喫茶店へと寄る。優雅にコーヒーをすすり、活力をつけるためにパンとサラダをいただいた。


 喫茶店で朝食を済ませた後に電車に乗り、目的地の最寄りの駅へと赴く。流石というべきか東京の通勤ラッシュは凄まじいものだった。大勢の人が電車に乗るため入るのも一苦労であれば、出るのも一苦労だった。


 自分の降車する駅は大きな駅であるため大勢の人たちが一斉に降車した。その流れに乗って、俺も無事降車することができた。時計を見ると時間は9時30分を示していた。

 歩いて15分の距離にあるということなので、このまま行けば間に合うはずだ。


 いつものようにスマートウォッチを開き、スマートコンタクトレンズに目的地への経路を表示させる。視界に黄色いレールが浮き上がり、俺はその方向へと歩いていく。

 これから人生にとって一つの大事な行事が始まる。気を引き締め、青になった信号を渡っていった。


 その瞬間、視界にあった黄色いレールが突然と姿を消した。

 一瞬何が起こったのか分からなかった。頭の中が真っ白になる。

 一体何が起こったんだ。どうして急にレールがなくなったのだろうか。


 信号を渡り終えると一度立ち止まって、スマートウォッチを覗いた。

 そこでようやく状況を理解する。スマートウォッチの電波が0を示していたのだ。つまり、契約している会社で通信障害が起こったということになる。


 おそらくさっきまでは駅内のWi-Fiにつながっており、動作していたのだろう。それが切れ、契約会社の通信に切り替わったところでうまく通信することができず、レールが消えてしまったのだ。


 最悪だ。レールを敷くためには通信が必要不可欠。つまり、俺はスマホのマップ機能だけで目的地へと行かなければいけない。

 方向音痴は免れることができただけで改善することはできていない。


 つまり、マップだけでは目的地に到着することはとてもじゃないができない。

 三次元ナビゲーションシステムさえあれば問題ないと思っていたので、事前にシミュレーションして駅から目的地までの道を覚えるなんてことはしていなかった。


 完全に積んだ。今から人に場所を教えてもらったところで時間内にたどり着ける気がしない。タクシーを拾って行くか。だが、駅のタクシーは先ほど行列になっていた。アプリで今から呼んだとしても30分以内に間に合うかと言われれば微妙なところだ。


 頭の中がパニック状態になった俺は思わず、発狂しそうになった。

 結局、俺は目的地にたどり着くことができず、面接に間に合うことができなかった。


 ****


 アラスカの入ったカクテルグラスをテーブルに置くと小さくため息をついた。

 その後、間に合わないことが確定した段階で会社へと遅刻の連絡をした。ありがたいことに時間をお昼にずらしてもらうことができたため、無事面接を行うことができた。


 ただ、遅刻をしたことによる罪悪感からか面接官の質問に対し、頭が真っ白になることが多々あった。いつもと同じように受け答えをすることができず、手応えは皆無に近い。


 落ち込んだ気分を浄化するため、帰る前にバーでお酒を飲むことにした。いつもはバーなんて行くことはないのだが、今日だけは一人で強いお酒を飲みたい気分だった。


 等間隔に並べられた照明が部屋をうっすらと照らす。目の前にある瓶が並んだ棚にも光が当てられ、ガラスに反射して鮮やかに輝いていた。店内に響く洋楽はしっとりとしており、空間全体を落ち着いた雰囲気にさせている。


 店内には俺以外に客は一人で彼は俺の座るカウンターの椅子一つ跨いだ先に座っている。ワインを片手に場の雰囲気を楽しむように瞳を閉じていた。シワのない綺麗なスーツ姿はバーの空間に綺麗にマッチしていた。大人の男性とは彼のことを言うのだと思えた。


 それに比べて、俺はまだまだ子供だ。一人で目的地一つも辿り着けないのだから。


「はあー」


 今度は先ほどよりも少し大きなため息をつく。


「何かありましたか?」


 するとテーブルを挟んだ向かい側から紳士的な低い声が聞こえてきた。見るとタキシード姿の男が笑顔でこちらを覗いていた。ここのバーのバーテンダーだ。


「今のため息聞こえてしまいましたかね、すみません」

「いえいえ。何かお悩みですか? 私で良ければ話し相手になりますよ」


 バーテンダーの方は気さくに話かけてくれる。彼から垣間見える優しい雰囲気に俺は思わず、口を開いた。


「実は今、就職活動中なんですよ。それで今日、第一希望の企業の面接があったのですが、うまく行かなくて」

「就職活動、それは大変な時期ですね。何がうまく行かなかったのですか?」


「恥ずかしながら面接に遅刻してしまったんです。自分は幼い頃から方向音痴で、見知らぬ土地ではしょっちゅう迷子になっていたんです。でも、前に登場したスマートコンタクトレンズの三次元ナビゲーションを使い始めて、何とか迷子にならずに済んでいたんです。ただ、今日は通信障害でナビゲーションが使えなくなってしまって、いつもの如く迷子になってしまったんです」

「それは災難な話ですね。少しお待ちください」


 そう言うと、バーテンダーの人は後ろの瓶を取り、カクテルを作り始める。


「こちらは私からのサービスです。お辛い経験が少しでも癒えればと思います」

「すみません、気を使わせてしまって」

「いえいえ。それで第一希望の企業とは一体どんな企業なんですか?」


「子供っぽく思われてしまうかも知れませんが、『リーダー』と言うカードゲームを扱っている会社なんです。リーダーは小学生の頃から今までプレイしているくらい自分の中ではハマっているゲームなんです。ただ、昔は社会現象が巻き起こるほど流行していたのに、今はプレイ人口が減って、廃れ始めているんです。だからこそ、会社に入社してまたあの時と同じような社会現象を巻き起こそうと思って、志望しました。しかし、こんな様じゃ、とてもじゃないですが、無理そうですね。世の中、熱意だけではうまくいきそうにない」


「お客様の思い入れのある会社だったのですね。それは確かに残念ですね」

「はい」

「ちょっと、いいかな?」


 バーテンダーの方と話していると不意に俺の横にいた客がこちらへと声をかけてきた。反射的に向くと彼は俺を微笑ましそうに見ている。俺の話で何をそんなに嬉しがることがあったのだろうか。


「その話、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいかな?」


 男は興味を注がれるように俺へと問いかけた。

 俺は訳がわからなかったが、お酒に酔ったせいかその男に自分の思いを語ったのだった。

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