お高い魔術師様は、今日も侍女に憎まれ口を叩く。

たまこ

第1話



 ある日の夕方、リイナが庭で掃き掃除をしていると門から馬車が入ってくるのが見えた。馬車から降りてくるのはリイナの雇い主だ。魔術師の黒いローブを靡かせ、いつものようにしかめっ面で歩いている。リイナは駆け寄ると頭を下げた。



「ロナルド様。お帰りなさいませ。」



「ああ。」



 リイナは眉間に皺を寄せ、小さく“お帰りなさいには、ただいまでしょ”とボソッと呟くとロナルドは機嫌悪そうにリイナを睨んだ。



「何か言ったか?」



「いいえ、何も?魔術協会の会長が挨拶も出来ない、なんて言ってませんよ?……って、いひゃい!いひゃいです!」



 ロナルドはリイナの頬をぐいっと抓った。リイナが痛がっているのを面白そうに見ている。



「もう一度言ってみろ。」



「うぅ……。ロナルド様は、歴代最速で魔術協会の会長に就任した、素晴らしい魔術師です、と言いました……。」



 頬を擦りながらリイナがそう言うと「よく分かってるじゃないか。」と満足そうに頷き、ロナルドは自室へと向かった。リイナはその背中を悔しそうに見つめ舌を出した。





 リイナの雇い主ロナルドは意地悪で、横暴で、自信過剰で……そしてリイナの大好きな人だ。





◇◇◇◇





 リイナはロナルドの屋敷で侍女として働いているが、元々は魔術学園でロナルドと同級生だった。ロナルドとリイナは学年トップを争う好成績の二人で、将来有望だった。



 学生時代の頃からロナルドとリイナはよく小競り合いをしていた。ロナルドは今と同じように自信過剰な性格で、リイナはついつい噛みついてしまっていた。リイナはロナルドとよく喧嘩しつつも、ロナルドのことは嫌いではなかった。



 しかし、卒業する頃状況が変わった。リイナの両親が不治の病で亡くなり、リイナの父が当主をしていた子爵家は叔父家族に乗っ取られてしまったのだ。



 リイナはロナルドと同じように魔術協会で勤めたいと考えていたが、そのためには生家の当主が保証人となる必要があった。叔父にそれを頼むことも出来ずリイナはあっという間に路頭に迷ってしまった。



 そこを救ってくれたのがロナルドだ。学生時代から変わらず憎まれ口を叩く彼は、行く当てのないリイナへ「お前には俺の家の使用人がお似合いだ。」とロナルドは鼻を鳴らした。他人が聞いたら酷い言葉だが、誰一人助けてくれなかったリイナにとっては、手を伸ばしてくれたロナルドは神のように見え、より心を許せる相手となった。



 ロナルドはグチグチ言いながら、屋敷の中の使用人室の一つをリイナに宛がってくれた。それから十年もの間、リイナはロナルドの屋敷で働いている。



 ロナルドは伯爵家の次男で、卒業後は本邸を出て伯爵家が所有している別宅に一人で暮らしている。ロナルドの目に余る尊大な態度に使用人が長続きせず、今いるのは執事と侍女長、料理人数名、そしてリイナだ。



 リイナは雇い主のロナルドとしょっちゅう言い争いしながらも、大好きなロナルドの傍にいられて、子爵家の令嬢だった頃よりずっと楽しい生活を過ごしていた。






◇◇◇◇




 その日、リイナは侍女長のマリアと屋敷中の掃除をしていた。洗濯物は外注で頼んでいるが掃除や屋敷の手入れはリイナとマリアの仕事だ。小さな屋敷ではあるが、毎日忙しく働いている。



 だが、リイナは仕事が嫌になったことは無い。侍女長も執事も高齢で、リイナを娘や孫のように可愛がってくれている。両親を早くに亡くしたリイナにとって、この屋敷が大切な場所となっていた。



「リイナ。ロナルド様が呼んでいるよ。」



 掃除中のリイナへ執事のマシューが声を掛けた。リイナはマリアにその場を離れる旨を伝えた後で、執務室に向かった。



 コンコン。


「ロナルド様。リイナです。」



「入れ。」


 リイナがドアを開けた瞬間、ポイッとピンク色の小箱が投げられた。リイナは驚き慌ててキャッチすると、ロナルドはガッカリしたような不満げな表情を見せた。



「動体視力だけは良いようだな。」



「投げないで下さいって、いつも言ってるのに。何ですか、これは?」



「職場で貰った。俺はいらないからお前にやる。」



 よくよく見てみると可愛らしく包装されたそれは、人気のスイーツ店の物だった。



「うわぁ!これ、なかなか手に入らないチョコレートの詰め合わせですよ!貰って良いんですか?」



「いらないと言ってるだろう。」



「マリアさんたちと食べますね。ありがとうございます。」



 リイナがぺこりと頭を下げると、ロナルドは苦虫を噛み潰したような顔をした。



「マリアもマシューも高齢なんだから、こんな物食べさせるな。体に悪いだろう。」



 リイナが“二人ともいつも休憩時間に甘いもの食べてるけど?”と小さく呟き首を傾げると、鼻を抓られる。



「ちょっと!鼻が潰れます!可愛い顔が台無しです!」



「つべこべ言わずにお前が食べろ。あと誰が可愛い顔だ?」



「んもう、分かりましたよ。」



 リイナが渋々頷くと、ロナルドは漸く手を離した。「大事に食べろよ。」と言い、リイナを追い払うように手を振った。



 仕事時間が終わり、自室に戻るとリイナはいそいそとロナルドから貰った箱を覗き込む。その中には美味しそうなチョコレートがたっぷり並んでいた。一つを摘み口の中に放り込むと、じんわりと染み込むように甘さが広がった。ロナルドの機嫌の悪そうな顔を思い出し、リイナはくすりと笑った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る