第2話
風に煽られる外階段は、錆が浮いていて怪しく軋む。
三回目の正規職員だった。このころは記憶が曖昧だ。毎日15時間と半分、会社にいたから。
この日は、本当に久しぶりに昼ごはんを食べる時間ができて、僕は近所のファミリー・レストランへ向かう。どうしてもハンバーグと、フレンチフライが食べたかった。このときの僕は、最後の食事が二日前の朝だったことを忘れている。
途中だった資料の続きを鞄に詰め込み、減ったかかとを鳴らしながらアスファルトを歩いた。夏で、暑い。照り返しがきつい。
汗をたらたら流しながら、8分ほど歩いて着いたレストランは休業していた。
入口ドアの汚れたガラスに、臨時休業と貼ってあった。
その瞬間、
もういいやあ。
ぷっつりと、電池も、糸も、心もみんな切れて折れてなくなった。
鉄の階段をのぼるたび、昔の記憶がくるくるまわる。行ったり来たり、成長したり、幼児になったり忙しい。良い記憶と悪い記憶。恥ずかしいこと、辛いこと悲しいこと。父さんが事故で死んだこと。遺体の目視ができなかったこと。それでお金が入ってきて、ほっとしてしまったこと。お金は、ふらりと帰ってきた母さんが、みんな持っていってしまったこと。
中学生と32歳、29歳と5歳。その合間に現在の僕が、七階だけどいけるだろうか。算段をする。
のぼって、のぼって廃墟になったビルの屋上の床を踏む。強い風が吹いている。
真っ直ぐ進んで低いフェンスを乗り越えた。
山に囲まれた小さな街が、少しだけ遠くに見える。
ふと、最後に、この景色を撮っておこうかな、と思う。ポケットに手を突っ込んだ。カバーが取れて無くなった、携帯電話の充電口がどこかに引っ掛かったようだ。視線を落とした。
ぼんやりとした頭のなかに、七階からの景色が割り込んでくる。
いけるだろうか、と思っていたけど、逆さに落ちたら確実にいけた。真下に停まる何台かの車が、小さい。
うそだ。
怖い。そう思った。
ゆっくり、背筋を下からうえに、なにかになぞられたような気がした。
手が震えるから携帯が滑る。いちど屋上のふちに当たって、かん、跳ね返り、落ちてゆく。
僕はそれをじっと見ていた。
地べたに着くまで、時間の流れが遅かった。
携帯電話はコンクリートに叩きつけられて飛び散った。割れるでもなく壊れるでもなく、無数になって広がった。画面の破片やひしゃげた中身が、瞬間、それが、いろんなものを撒き散らす未来の僕の姿に見えた。
僕は、僕のワイシャツを掴んで引きずり戻す。安い作りのフェンスはかんたんに倒れて、彼の体は平地にもどる。
涙をぼろぼろ流す36歳の僕は、恐怖なんだかよくわからないんだか、変な顔をしていた。
屋上の真ん中までずって運んだ僕の上体を起こす。向かいあうように座ってもらって、抱きしめた。
体ががりがりだった。
肩口に水が染みてゆく。僕の涙だ。僕はしばらくなにもいわずに泣いていたけど、そのうちに嗚咽になり、最後は叫んでいるように泣いた。
泣けるところってどこにもないよね。賃貸の部屋は壁がうすい。お風呂場だったらなおさらだ。そんなことを僕に言うたび、僕は一瞬泣き止んで、すぐに火がついたようにまた泣いた。そこらじゅうにいるミンミンゼミが、負けじと鳴いて対抗してくる。
月日が経つたび、じわじわとお肉がついてしまった僕の豊かなお腹のあたりに、僕の細い腕がまわった。返すように、僕は背中をさする。
しばらくずっとそうしていた。気づくと、部屋に戻っている。
はむ太がからから滑車をまわす。
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