6
人工的な冷涼が前髪をそっと揺らす午の刻、俺は彼女から託された原稿を丁寧に読み進めていた。
当初は文字の上を目が滑っていく様にして、物語をうまく読解する事が出来ずにいた。だが読んでいく内に言葉の方から自然と俺の中へと浸透していく感覚を覚えている事に気が付いた。
本を読むってこういうことなのか。
恥ずかしい話、文学作品にあまり触れてこなかった自分にとって、その発見は新鮮で愉快な体験だった。
俺は一時休憩の為、原稿を机の上に置いて、天井を見つめる。首のコリがほぐれていく感触に思わず「あぁ…」と声を漏らしてしまう。
俺のそんな情けない声を耳にした彼女はこちらを一瞥する。一瞬だけ、俺と彼女の瞳は一直線で繋がった。
「──面白いです。このお話」
何となく、静寂に耐えられなくなった俺はありきたりな感想を著者へと投げかける。
彼女は麗しい黒髪を背に「ありがとう」と反応した。
もう少しばかり、休憩していようかと思っていたが彼女のその言葉に俺は再び原稿を手に取り、読み始める。
読み終わる頃には、夕陽が教室の窓から俺と彼女がいる空間を妖しく照らし出していた。
「──読み終わりました。すいません、お待たせしてしまって」
俺は読了した用紙をまとめたのち、彼女へと手渡す。
彼女はずっと俺を待ってくれていた、いや原稿を待っていたのかもしれない。
「お疲れ様、それでこの物語はどうだった?」
「勿論、面白かったです」
「そう」
「あの一つだけ、聞きたいことが。この作品に出てくる龍はなんで、少女を助けるのかなって」
この作品は主人公である少女の周囲に頻発する問題を巨大な一匹の龍が解決していく、ファンタジー調の筋書きだった。
だが所々、冷酷な描写が介在し、ただのファンタジーというレッテル張りは出来ない。
何故、その設定に疑問を抱いたのか。
それは龍が少女を救うための整合的な理由を本著に見つける事が出来なかったからだ。
俺の質問に彼女は表情を曇らせる。その顔を俺に見られまいとそっぽを向きながら彼女は答えた。
「だって、そうなったら良いでしょう?一人の力じゃ解決し得ない事を幻想の何かが討ち滅ぼしてくれる。そこに理由や理屈は必要ないわ。でも、これが物語である場合、確かに道理は必要なのかもしれないわね」
物語の著者である彼女は今、一体どんな思いを抱いてどんな表情しているのか。
俺にはその領域に踏み入る資格はない。
「今日はお疲れ様。私を読んで──、いや私の物語を読んでくれてありがとう」
彼女は自身の鞄に原稿を入れながら告げる。
「来週はまた来れる?10日とかどう?」
来週の木曜日か。
俺は考えるような素振りを見せる、だが本当は予定なんて入っていない。
「分かりました。その日も講習なので大丈夫です」
「分かったわ、また来週ね」
そうして彼女は立ち去ってしまった。
残された俺はただ一人、彼女の様子について考える。
「私を」という言葉。
物語を話している時の彼女の様子。
彼女の全てに関する事情は、今の俺の経験値では触れることを許さない。
だけど、また来週俺は彼女と会う。
少しずつでも、何かが良い方向へと変化していけば良いなと俺は彼女の見ていた夏を見上げてそう思った。
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