第30話 今ここにある希望を



 アデルの大切な人が遺した日記。

 その最初のページを覗き見てしまった私は、ベッドの中で泣き震えていた。


 私の情けない姿を見たアデルは、日記を確認するよりも先に、私を落ち着かせ、愛を囁いてくれた。それがどうしようもなく嬉しくて、申し訳なくて、自己嫌悪で悲しくて。

 ごちゃ混ぜの気持ちのまま、キスをして抱きしめてくれて、私はようやく落ち着きを取り戻した。


 気がつけば私は、アデルに抱き締められたまま、眠っていた。昨日とは違って、ただ一緒に眠っただけ。

 それなのに、たったの一晩で私の心はいっぱいに満たされて、寂しさも嫉妬も、どこかへ飛んでいってしまった。

 残ったのは、勝手に日記を見てしまった罪悪感と、恥ずかしい気持ち。


 まだ、夜が明けて間もないようだ。もう少しこうしていても、罰は当たらないだろう。

 アデルの胸に顔を埋めて、朝が来るのを待つ幸せを、噛みしめる。


 アデルへの愛を抱いたまま彼に看取られたらしい誰かに、勝手に嫉妬していた。

 けれど、私の方だって、アデルに知られたくない過去はある。

 もしかしたら、アデルだって、私が思いもしないようなことで嫉妬したり傷ついたりすることがあるかもしれない。


 でも――今、ここには、確かな幸せがある。ぬくもりがある。愛があると、確信できる。

 なら、過去に嫉妬する意味なんて、ないのだ。


 ベッドの中で身じろぎをして、少しだけ彼との距離を埋める。

 アデルが私を抱く力がわずかに強くなって、私は穏やかな幸せに満たされたのだった。





 朝を迎えて、私は改めて日記をアデルに渡した。

 アデルは、やはり苦しそうな顔をして、恐る恐る、それを受け取る。そして、私に、事情を話してくれようとした。


 けれど、私はそれを断った。

 アデルが苦しいのに、聞く必要なんてない。そこまでして、知る必要なんてない。

 アデルは驚いたような、ホッとしたような、微妙な表情をしていた。


「アデルが私を大切に思ってくれているのがわかったから、大丈夫」


 私がそう言って笑うと、アデルは私の頭をそっと抱き寄せ、「ありがとう」と呟いたのだった。





 それからしばらくして、朝食を終える頃には、すっかりいつも通りのアデルに戻っていた。


「そういえば、昨晩、花の妖精たちが訪ねてきたんだ。レティが洗い物をしてくれていた時に」


「花の妖精さん? 夜に? 珍しいね」


「ああ。どうしても伝えたいことがあったようでな」


「あ……だから食後に席を外したのね」


 私は、アデルが昨日の夕食の後、珍しく断りもせずにいなくなってしまったことを思い出す。

 その時は、直前に日記の話をして、アデルが苦しそうな表情をしていたから、てっきり辛い記憶が蘇って自室に戻ってしまったのかと思っていた。


「それで、何のご用事だったの?」


「ああ、近いうちに妖精たちの住処を訪ねてほしいと言っていた。レストランが休みの日に、一緒に行かないか?」


「うん、もちろんいいよ。花の妖精さんは色んな場所で見かけるけど、おうちに行くのは初めてだわ」


「花の妖精の住処には、妖精自身が招いていない者には絶対に見つけられないように、迷いの魔法がかけられている。行ったことがなくて当然だ」


「へぇ、そうなんだ。ふふ、楽しみだわ! 手土産は何がいいかしら。ジャムの瓶詰めがいいかな? それか、紅茶の茶葉とか……あ、フルーツ飴もいいわね。それとも――」


 花の妖精たちは、花の蜜や果物を使った甘いものが好きだ。お友達の家にお邪魔する時の手土産を考えるのも、とても楽しい時間である。

 ウキウキしながら手土産のアイデアを並べ立てていく私を見て、アデルは、相槌を打ちながら、穏やかに目を細めていた。



 その時。

 窓の外、遠くの空から、バサッ、バサッと大きな翼で羽ばたくような音が聞こえてきた。


「あら? この音は――」


「――ようやく帰ってきたな」


 私とアデルは、頷きあって玄関へ急ぎ、扉を開ける。

 空を見上げると、太陽を背に、大きなドラゴンが旋回しながら、ゆっくり降りてこようとしているところだった。


「ドラコー! おかえりー!」


 私は大きく手を振って、頭上のドラゴンに向かって叫ぶ。


 大きなドラゴンは、私たちの真上まで来ると、ぽふんと可愛らしい音を立てて、小さな妖精の姿に変身した。

 ドラコは、執事服を身に纏ったいつもの姿で、上空からひらひらと降りてくる。


「ただいまなのですー!」


「おかえり、ドラコ!」


「おかえり」


 ドラコは上空からアデルの腕の中にダイブした。アデルはドラコを両手で受け止める。


「ドラコ、寒い街で頑張ったのですー! アデル、あったかいですー」


 ドラコはひとしきり頬をすりすりすると、満足したのか、今度は私の腕の中に飛び込んできた。

 私は、ドラコをギュッと抱きしめて、よしよしと撫でる。


「レティもあったかいですー! にししー」


「ドラコがいなくて、寂しかったよ。無事に帰ってきてくれて、良かった」


「ドラコも寂し……」


 ドラコはハッとした顔をして、私の腕の中から抜け出し、ぴょんと地面に着地した。


「どっ、ドラコはオトナですから、寂しくなんかなかったのですー! でも、吹雪が止んだので、ぴゅーんと一直線で帰ってきたです! 聖夜の街ノエルタウンは、とっても寒かったのですー、ドラコはあったまりたかったのです!」


「ふふっ」


 ドラコは腕組みをして、「オトナですから、寂しくて涙が出そうになったなんて、そんなことあるわけないのです!」と一生懸命主張している。

 私とアデルは顔を見合わせて笑い、ドラコはそれを見てますますムキになる。


 ドラコが帰ってくるなり一瞬で空気が明るくなった。

 大切な家族の一員が無事帰ってきた喜びに、森の家では、しばらく笑い声が止むことはなかった。

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