化け物が人間のふりをしてやって来た
麻井 舞
序章
人間のふりをした化け物(前編)
「私、もう行くから」
丸く膨らんだ藤紫色の風呂敷を両手に抱え、彼女は言った。
「そうか。じゃあ駅まで送っていくよ」
「いえ、けっこうよ」
しかし彼女は首を横に振って、居間と隣接した店舗に足を下ろし、素早く草履を履く。
「すぐ近くまで、お兄さんが迎えにきてくれているの」
「そう。なら、お兄さんのところまで一緒に行こう。外はもう暗いし、女が1人で歩くのは危な……」
「やめて!」
女性が急に叫び、朔太郎の言葉は遮られた。
「私はもう1秒たりとも、貴方と一緒にいたくないのよ! そんな優しい言葉を……〝人間らしいこと〟を言わないで! 化け物のくせに!!」
彼女の頬は紅潮し、声はヒステリックに裏返っている。
「貴方は、人間のふりをした化け物よ……っ! 誰も貴方を受け入れたりしない! 孤独のまま生きて、死んだ後は地獄に堕ちるのよ! 貴方は、絶対に幸せになれないわ!」
引き戸が勢いよく開けられて、やはり勢いよく閉ざされた。彼女の人生と朔太郎の人生にハッキリと線を引くように。
シンと静かになった空間で、朔太郎と嘆息した。
煙管でも吸おうかと考えていたら、手の甲に柔らかい感触を覚えた。仔猫が頭を擦り付けていた。1ヶ月前、近所の子供が朔太郎にあずけた捨て猫だ。
ここは
捨て猫の保護、家事代行、赤ん坊の世話、壊れた物の修理。
悪さをする妖怪退治、復讐代行、借金の取立て、拷問、死体の処理、暗殺。
朔太郎という男は、金さえ払ってくれたら何でもやった。彼にとって〝善悪〟とは、倫理観の有無ではない。金をきちんと〝払える〟か〝払えない〟か。つまり、約束を果たせるかどうかだった。
(人間のふりをした化け物……ねぇ……)
確かにそうなのかもしれない、と思った。2年も付き合って一時は結婚も考えた女に捨てられたのに、悲しみも後悔も感じないのだから。
朔太郎はこの世の人間として重要なものが欠けていた。しかし皮肉なことに、この世の人間とは思えないほど美しい容姿を持つ男だった。そのため、多くの女性たちから好意を抱かれた。
(最初はあっちから寄ってくるけど、最後に捨てられるのはいつも俺の方だな)
先程の彼女もそうだった。朔太郎が持つ異常性に、みんな耐えられなくなるのだ。
猫を撫でながら、片手で懐中時計を見てみればもう午後20時55分を過ぎていた。まもなく閉店の時間だ。朔太郎は店じまいの準備をすることにした。
裸電球に照らされた店に移動する。元々狭い場所なのに、壁面を埋めるように本棚が並んでいるせいで、店内には独特の圧迫感があった。真ん中に置いた机と椅子、あちこちで寝ている他の捨て猫たちを避けながら、朔太郎は引き戸へ進む。
「はぁ。今夜は寒くなりそうだな」
白い息と独り言を吐いて、引き戸に手を伸ばした時だった。
朔太郎が触れる前に、戸が唐突に10センチほど開いた。
やや日に焼けた手が見える。
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