第17話 Sideマーカス

「なぜですか父上ッ!」


 ブレナバン王国の謁見室。

 マリアベルの元婚約者にして同国の第四王子であるマーカス・ブレナバンは端正な顔を歪ませていた。

 睨みつけるような視線の先にいるのは自らの父にして国王。白くなった髭にしわの刻まれた顔は老いを感じさせるものの、鷹のような鋭い眼光の男だった。


「なぜ私とニミミ嬢の婚約を認めて下さらないのですかッ!」

「決まっている……お主が聖女マリアベルをむざむざと失ったからだ」

「なっ!? 婚約が仮初かりそめのものだと説明したのは父上ではありませんか!」

「左様。じゃが、同時に聖女のについても説明したはずじゃ」

「……」

「覚えておらぬか。使、王都に結界を張ると説明しておいたじゃろう。じゃが、すでに死体は魔物の腹の中じゃ。ファーガソン侯爵令嬢には申し訳ないが、お主は廃嫡とし、別の婚約者をあてがうことになるじゃろうな」

「は、廃嫡? 私が!? その上、ニミミをほかの男にッ……ふざけないでいただきたい!」

「ふざけてなどおらん。嫌ならば王都に守護結界を張る方法を奏上そうじょうせよ。そうじゃの……ひと月やろう。それまでに良い案を出せなければお主は廃嫡じゃ」


 退室を促されたマーカスが向かうのは自室ではない。己の腹心である第四騎士団のいる詰所。それも、騎士団長の執務室だ。


「入るぞ、トムソン」

「マーカス殿下。いまお茶を用意します」


 不機嫌を隠そうともしないマーカスは人払いを終えたのを確認して先ほどのやり取りを話す。自らの進退に関わる重要事項だが、騎士団長のトムソンはマーカスの腹心であり、さらに言えば婚約者のミニニ・ファーガソンの従兄だった。


 婚約は家同士の結びつきでもある。

 マーカスとミニニの婚約が御破算ごはさんとなればファーガソン一族全体に影響を与えることもあり、一蓮托生いちれんたくしょうの存在だった。


「……あの雑巾マリアベルの代わりですか……一応、エクゾディス大樹林に部下を派遣しますか? 魔物の食い残しでも見つかればもしかしたら結界を張るために使えるかもしれません」

「頼む。……大樹林に送るのは下っ端を二、三名で良い。できるだけ戦力を削るな」

「かしこまりました。しかし、王都で待機しているのに戦力とは……?」

「分からないか? 戦わねば、倒さねばならぬ者がいるだろう?」


 マーカスの言葉にしかし、トムソンは心当たりがなかった。

 政敵らしい貴族もいないことはないが、武力制圧できるような口実は手に入れていない。第一王子はすでに亡くなっており、王位を争う第二王子とも武力衝突をするような場面ではなかった。

 ちなみに第三王子は民衆にすら暗愚ばかだと言われる始末で、王位争いからは最初から外れている。万が一参戦しようとしても誰ひとりとして味方をしないはずだ。


「……父上はもう御年だ」

「王を退位させるおつもりですか!?」


 普通に考えれば悪手である。武力による王位の簒奪さんだつなどすれば、政敵に付け入る隙を与えるだけである。

 第二王子派閥からすれば格好の攻撃材料になるし、中立を保っている貴族たちを説得する材料にも使われるだろう。


「このまま私が廃嫡になればファーガソン家とて困るだろう?」

「それはそうですが」

「父上をしいするのではない。退位を迫り幽閉するだけだ。影響力は限界まで削ぐが、手中に収めれば中立派を抑えることも可能。父上の意思で私を指名したと言い切れば第二王子あにうえとて手出しできないだろう」


 それが薄氷の上に立つような可能性の一つでしかないことは、トムソンはおろかマーカスですら気づいていた。

 しかしマリアベルの代わりを用意できないのであれば選択肢は残されていなかった。


「計画を詰める。……その前に、ミニニに会いに行くか」

「ぜひ。妹も殿下を待ちわびていることでしょう」


 マーカスはこうしてまた一歩、引き返せない道を進んだ。


***


 天秤会議にてに就いたロンドは報告書の束に目を通しながら嘆息した。


「ブレナバンは麦・肉ともに輸出量が減っていますね……」

「ああ。エクゾディス大樹林侵攻のベースキャンプは完全に破棄されたらしい。在庫はまだあるはずだが、これから先の値上がりを考えて出し渋ってるんだろう」


 応えたのは応接用のソファに座ったドルツだ。どっかりと腰を下ろしてソーセージと野菜のクレープをかじる姿はまるで部屋の主である。

 ちなみにフェミナはその横でフルーツとクリームチーズを合わせたデザート系クレープを味わっていた。


「良い情報をありがとうございます。あなた方に間諜スパイを頼んだ甲斐がありましたよ」

「護衛やら魔物討伐のついでに耳にした情報を渡してるだけだ。間諜なんて大層なもんじゃねぇよ」

「ちょっとドルツ。せっかく雇ってくれてるんだから余計な事言わないの」

「大丈夫ですよ。高ランク冒険者を雇える依頼人ともなれば、金か権力……あるいはその両方を持った人間が多いですから。とはいえ、もう一度ブレナバンに送るのは避けたいところですね」


 ロンドの言葉に、二人そろって笑う。


「頼まれても行かない。ノノさんの料理がないところにいくなんて無理!」

「嬢ちゃんのそばにいると美味いもん食い放題だからな」

「それもそうですね」


 同意するロンド。二人をブレナバンに送りたくない理由はまさに話題の中心となる少女二人だった。


——マリアベルさんに対する警護があまりにも


 ロンドには、マリアベルが聖女である確信があった。ドルツたちの他にも情報源は複数確保してあり、推測には自信があった。

 マリアベルの場合は隠すつもりがあるのか怪しいほどに強力な回復魔法を使っているので間違いようもないのだが。


——街の冒険者に領主、衛兵たちは味方してくれると思いますが、問題は帝国中心部にいる貴族たちですね。


 二枚舌を用いて暗躍するのは国が違ってもあまり変化はない。

 覇権主義せんそうだいすきのグレアランド帝国では武力行使に対する敷居が低いこともあって武力衝突で決着をつけることも多いが、それでも貴族たちは裏で密約を結び、すり合わせを行うことも多々あった。


「とりあえず、やれることをやるしかありませんか」


 言いながら手紙をしたためる。国を跨ぐ巨大な商人ギルド連盟、その六席を示す印が箔押しされた豪華な紙だ。

 相手への礼儀を尽くして美辞麗句を並べた手紙。びっちりと文字が並ぶそれを封蝋で固めると、チリンとベルを鳴らす。


 ドタドタ、とやかましい足音とともに現れたのは冒険者ギルドのギルド長、ユザークだった。

 職を辞したユザークは、ローンを返すためにロンドの専属として働いていた。


「呼んだか?」

「はい。これを三日で王都へ」

「三日!? 一週間はかかるぞ!?」

「ははは。面白い冗談ですね」

「冗談な訳ねぇだろうがっ!」

「一週間かかるのは商品を積み込んだ馬車に揺られて、夜にきちんと宿を使った場合じゃないですか」

「……野宿で最速なら、って話か。それほど重要なのか?」

「ええ。マリィさんたちのために必要なことです」


 マリアベルの名前を聞き、ユザークは目の色を変えた。自らの思い込みで多大な迷惑をかけただけでなく、命を救ってもらった大恩ある相手だ。


「分かった。今すぐつ。届け先は?」

「皇太子殿下です」

「こっ、皇太子さまぁ!? お前、何をするつもりだ!?」

「ですからマリィさんたちを守ろうと」

「嬢ちゃんたちはどう考えても権力者たちの思い通りになる相手じゃねぇぞ!? 初対面の時、俺はテーブルでぶん殴られたからな!?」


 ノノの凶行を思い出して顔色を変えるユザーク。仮に貴族が無礼な言動を取れば、ノノは間違いなく同じことをするだろう、という確信があった。

 貴族相手ですら対応は面倒に尽きるのに、相手が皇太子ともなればとてもじゃないが手に負えるとは思えなかった。


「あれはユザークさんの言動に原因があったと思いますが、まぁ言いたいことは分かります。別の方法を——」

「その必要はないぜ」


 ユザークが開けっ放しにしていたドアから入ってきたのは、きらめく金髪をオールバックにまとめた美丈夫だった。

 ふてぶてしい笑みを浮かべて犬歯をのぞかせる姿は野性味を感じさせるが、服装は野性味ゼロである。一目で高級とわかる仕立ての服に、下品にならない程度の宝飾品。


「アーヴァイン殿下!」


 グレアランド帝国、皇太子。アーヴァイン・グレアランドだった。



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