第15話 「失わせてなんか、やるもんかっ!」

 お嬢様は泣きながら走っていた。


「私が、……助っ……け……!」


 顔色は血が通っていないのではないかというほどに白い。

 ぜひゅ、と変な呼吸音をさせ、ふらふらになりながらも走っていた。しかし、その結果として奇蹟のように人々が回復、避難できていた。


 街を守る憲兵たちや冒険者らしき者たちが避難を助ける中、お嬢様は爆発の中心部に向けて走っていた。

 中心に近づけば近づくほど被害は酷くなるが、お嬢様はお構いなしだ。

 倒壊した家屋を風や水で吹き飛ばし、下敷きになっていた人を助け出す。腹や腕を木材に貫かれて死の間際にいた人々を瞬時に助け、動けるまでに回復させる。

 回復魔法以外も自由に扱えるようになったせいで、お嬢様が”助けられる”範囲が大きく広がった。広がってしまった。

 その負担はそのままお嬢様に返ってくる。


「助っ…………ご、ん……さ……っ!」


 もうお嬢様の視界には私すら入っていない。

 すべてを投げ打ってでも、どんな犠牲を払ってでも助ける。そんな覚悟が滲むような行動だった。

 ふらふらと前に進みながら、無理やり紡がれた言葉。


 それを耳にした瞬間、気が狂いそうになった。


『助けられなくてごめんなさい。死なせちゃってごめんなさい』


 それは懺悔ざんげだった。


 お嬢様の心は、まだエクゾディス大樹林の最前線にいるのだ。

 畜生にも劣る下劣な王子と騎士たちによってつけられた、心の傷。それは癒えるどころか、今まさに傷口から血を滴らせていた。


——なぜお嬢様ばかりがこんな目に合わねばならないのか。


 優しく、まっすぐな方だ。

 多くの人を助け、救い、感謝や尊敬を集めて然るべき方だ。

 全知全能の神じゃないんだから、手のひらから零れる命があるのは当然のことだろう。むしろ、他の人では絶対にできないほどに多くの人を救っている。


 だというのに、謝罪と懺悔を口にし、自らの命を擦り減らすほど無理をしていた。

 人を助けるために走り回ったお嬢様はがれきに足を取られた。すでに体力の限界が来ていたのだろう。体が大きくかしぎ、そのまま倒れる。


「お嬢様!」

「助、ぇ、な、きゃ」


 お嬢様は這いずるようにして、しかしそれでも前に進もうとしていた。


「お嬢様、私がどこへなりとも背負います。ですから落ち着いてください!」


 そう告げて抱き上げようとしたその時だ。

 土煙がいまだに晴れない爆発の中心地から、化け物が現れた。


『イタゾ』『殺ス』『見ツケタ!』『痛イ』『ヒザマズケ』『泣キ喚ケ!』『命乞イシロォ!』『苦シィ!』


 建物よりも巨大な体躯。

 皮膚はなく、赤黒い筋肉のようなものがみっちり詰まったそれは歪ながらも人のシルエットをしていた。特徴的なのは胸のあたりに埋め込まれた人間の顔だ。


——お嬢様を嵌めようとした元冒険者三人組。


 明らかに生きた状態のそれは、私とお嬢様を睨みつけて口々にゲスなことを口走る。


『裸デ土下座シロォ!』『命ダケハ助ケテヤル』『手足ヲモイデ可愛ガッテヤロウ!』『助ケテクレェ』『コノ詐欺師ドモガッ』『オ前ラノセイデコンナコトニ』『許サンゾ!』


 罵声とともに巨木よりも太い腕が伸びてくる。

 お嬢様の顔がゆがんだ。頭を押さえ、地に伏せながら小さくなって震えていた。

 巨大な手。野太い男の声。

 錯乱気味だったお嬢様の脳裏には、大樹林でのトラウマがフラッシュバックしているのだろう。


「ご、ごめんさい……!」


 あれほど必死になって人々を救おうとしていたお嬢様が、小さくなって震えていた。


 なぜお嬢様を踏みつけにしようとする。

 なぜお嬢様を悲しませる。

 なぜお嬢様がこんな惨めな思いをしなければならない……!


 お嬢様からいただいた大剣を握り、目の前の怪物に向き直った。


***


 震えが止まらなかった。


——私が頑張れなかったら誰かが死ぬ。


 その言葉が頭の中で何度もリフレインしているのに、身体はまったく動いてくれなかった。


 身が竦む。

 怒鳴り声。

 私を責める声。

 痛いと、やめてと泣く私をあざ笑い、黙れと殴る人たちの声。

 害意と敵意の籠った声。


 フラッシュバックするその声が、鎖のように私を縛り付けていた。

 

 地面に倒れ、亀のように身を丸めていると轟音が響いた。

 金属同士がぶつかるような激音に何とか頭をあげれば、


「お嬢様に! 関わるなッ! 金輪際! 二度とだッ!!!」


 ノノが怒声とともに大剣を振るっていた。

 手が真っ白になるほどに大剣を握りしめ、怒りに顔をゆがめ、……そして泣いていた。


——私のために泣いてくれていた。


 土煙から現れた巨人が振るう剛腕を弾き、切り裂き、叩き潰す。

 ノノの剣捌けんさばきはまさに剛剣と呼ぶに

 巨人の胸に張り付いた顔が苦悶に歪められるも、大剣でパックリと切り裂かれた腕はぐじゅぐじゅと血肉をまき散らしながら再生していた。


『殺スゥ!!』『二人トモグチャグチャニナルマデ犯シテヤルッ』『苦シイッ!』『後悔サセテヤル』『オ前ラサエ来ナケレバ』『オ前ラノセイダッ!』『助ケテクレ』


 胸に張り付いた顔が口々に勝手なことを言う。

 ……なんなの、これは。

 魔物だとしても異色。真似るだけならばともかく人の言葉を喋る魔物なんてきいたことがなかった。


『鑑定:縺ゅ>縺�∴縺� �撰シ

托シ抵シ�ェ繧ゥ譁�ュ怜喧縺代ヱ繧ソ繝シ繝ウ』


 何……これ……?


『補足:ナノマシンを用いた情報解析を阻害されています』

「な、なんで? 何が起こってるの?」

『推測:魔王種によって意図的につくられた魔物かと。近くに魔王種がいる可能性もあるのでご注意を』


 唐突な言葉に思考がフリーズした。

 魔王種。

 すべての魔物を統べる王。

 単独で国を崩壊させるほどの、理不尽なまでの力の塊。

 それがここにいる?

 あの三人組を魔物にした?

 何で? どうやって?

 頭の中が疑問でいっぱいになったところでノノの怒声が私の意識を現実へと引き戻した。


「お嬢様のせいにするなッ! お嬢様は何も悪くないッ!」


 ノノの剣速があがり、自身よりも大きな剣が暴風のように振るわれる。


『ガァァァァ!』『小癪ナ!』


 斬ったそばから再生していく怪物だが、ノノがそれを上回った。

 怪物の腕が叩き斬られて宙を舞う。

 赤紫色の血液をまき散らしながら腕が吹き飛び、地面に落ちた。


 ノノは疾走した。このまま一気に勝負を決めるつもりなんだろう。

 大剣を振りかぶり、胸に並んだ三つの顔へと迫ったところで、ぼごり、と異変が起きた。

 顔の一つが胸の中に埋まり、消えたのだ。


 代わりに、斬られたはずの腕がびくびくと震えた。

 手の甲に顔が生まれ、ニタリと笑った。


『油断シタナァ!!!』


 怪物の腕は手指を使って地面を掻きながら私に迫った。


「あ、」


 逃げることはおろか、まともに声を出すことすら出来なかった。

 驚愕に目を見開いたノノが私を見つめる。明確な隙を怪物が見逃すはずもなく、ノノはあっさりと叩き落された。

 私にも怪物の腕が迫る。

 

——巨大な手のひらが眼前に広がった。


 その時だった。


「気張れェ!!」

「三馬鹿はもう人間じゃねぇ! 躊躇わずに殺せ!」

「嬢ちゃんを守れ! 街の人間を助けてくれた恩人だぞ!?」

「聖女様の盾になれぇ!」


 私の視界を遮ったのは、ユザークさんだった。

 覆いかぶさるように私を庇い、怪物の指を背中で受け止めていた。ユザークさんだけじゃない。土煙に紛れてたくさんの冒険者が来ていた。


「ウチの馬鹿冒険者どもが、最後まですまないな」


 ユザークさんの口からごぼりと血が噴き出す。指に背中を刺し貫かれていた。


「嬢ちゃんを安全なところに! 残り全員でメイドのねーちゃんの補助に当たれェ!」


 応、と声が響き、次々に怪物の腕に取り付く。

 剣を突き立て、鎖や縄を掛けると、そのまま走り抜けるようにして引っ張った。


「引けェ! この街の恩人に傷をつけさせるなッ!」

「ここで負けたら冒険者の恥だ! 馬鹿どもに目にもの見せてやるぞっ!」

「聖女様に良いとこ見せるぞぉ!!!」

『邪魔、スルナァ!!!』


 腕がめちゃくちゃに暴れて冒険者たちが吹き飛ばされるけれど、その度に別の冒険者が飛びつき、鎖を握り、縄を引く。


「冒険者のケツは冒険者で拭く……嬢ちゃんは、メイドのねーちゃんと逃げてくれ」


 そう言いながら、ユザークさんは顔をしかめた。

 冒険者が引いたことで巨腕の爪が傷口から引き抜かれ、だぱっと血が噴きあがった。


——それは、零れ落ちる生命そのものだった。


「ローンは払えなそうだな……嬢ちゃん、悪いがロンドに諦めるように言ってくれ」


 ユザークさんは血まみれになりながらもハンマーを構え、怪物に向き直った。

 背中の傷口が露わになったけれど、予想以上に深かった。立ってることすら奇蹟と言えるほどの大けがだ。


「い、嫌……だめ」


 目に見えない亡者に縋りつかれているかのように体が重い。

 でも、諦めることなんて出来なかった。


「もう二度と……失わせない……!」


 脳裏に浮かぶのは、間に合わなかった兵士たちの顔。

 家族を。

 友達を。

 仲間を。

 後悔と残念の中で命を落としてしまった人たちの顔だ。


——嫌だ。


「失わせてなんか、やるもんかっ!」


 体に力が入る。

 立ち上がり、全力で魔力を放出した。

 魔力光が溢れ、照らした人々の傷を癒していく。


『グゥ!?』『何ダコノ光ハ!』『クソ、雑魚ドモガ回復シヤガル!』


「き、傷がっ!?」

「動くぞ!」

「おい、ボサっとすんな!」

「動くならやるぞ!」


 光が傷ついた人々に行き渡り、怪物に縋りついた。

 冒険者たちが怪物に迫り、削り取るように武器を振るい続けている。


——勝てる。


 勝てるはずだ。

 だって私は信じているから。


「ノノっ!」

「かしこまりました……!」


 私の回復魔法が届くと同時、内容を告げるまでもなくノノは立ち上がった。


「お嬢様の偉大さをその身に刻めッ!」


 横に一閃。

 もがき苦しむ怪物の胴体、残る二つの顔を一気に切り裂いた。

 怪物の体が崩れ、大地を揺らす。


『クソガァァァァ!』『痛イッ! 苦シイッ!』『嫌ダァッ!』


 なおももがき、無理やり体を再生させようとする怪物。そう、怪物だ。

 もう、あれは人間じゃなかった。

 私は魔力を集めた。


——ごめんなさい。


 心の中で謝罪し、そして魔法を放った。

 すべてを消滅させる強力な光魔法に、苦痛を取り除く聖魔法を混ぜる。


 無理やり再生しようとしていた三つの顔が穏やかなものになり、すべてを消滅させる極光によって端から崩れていく。


——ありがとう。すまなかった。


 崩れてなくなる直前に、そんな声が聞こえた気がした。

 冒険者たちの歓声を遠くに聞きながら、私は意識を手放した。




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