雨
ぶいさん
羊
晴れ渡る青空に入道雲、カンカン照りの焼け付くような強い日差し、ピカピカに磨かれた鏡面のような青みがかったガラス窓に俺が映っている。逆さまに落下する俺の姿が映っている───
俺は絶賛落下中で、もっと言うと飛び降り自殺に巻き込まれて地上まで十数メートル、真っ逆さまに落ちている最中だ。
俺は
昼休みに屋上の喫煙所の端っこでスパスパやっていたら、隣にいた同僚が連日の激務に発狂した。そいつは喫煙所のパーテーションを兼ねたパネルをどっから出したかわからん馬鹿力で突き破り、屋上の柵をよじ登って飛び降りた。
「~~~~~~~!?!?!?!?」
運悪く、そいつのすぐ隣にいて且つそのぶち破られたパネルに体重を預けていた俺は、背中からパネルごとぶっ倒れて転んだ。老朽化して錆びてボロボロだった柵は同僚の無茶に耐えられずに壊れ、そこへパネルと俺がぶっ倒れて柵はついにぶっ壊れ、「やばい」と思った時には俺は屋上から巻き添えで宙へ投げ出されていた。俺は今まさに地面へ向かって落下しようとしている。全身に重力を感じている…。
これがピタゴラスイッ死───
俺はただ休憩中にタバコを吸っていただけなのに…。
───気がついたらまだ落ちていた。
は???どういうこと???
なんでまだ落下中なんだ?なんだか今までに経験した楽しかったことやつらかったことが映像記録のように脳裏を駆け巡っている。これが走馬灯ってやつ???
いや、走馬灯にしては風が強い。とにかく強い風が下から吹いていて、もしかしたら俺自身が風になっているのか、顔に吹き付ける強風でメガネはとうに飛んで行き、ネクタイは上になびいてはためき、俺の顔を叩いている。
そのくせ落下速度はやけにゆっくりで俺はまだ地面に落ちていない、落ちたらおそらく俺の命は終わるだろうから落ちなくてもいいのかもしれないが、だからといって俺が助かる道はどう見てもないのだから、来るなら来いというか早く終わりたかった。
でもなるべく痛くないといいな。なるべく即死がいい。死にたいわけじゃなかったがこうなってはもうどうしようもない。
あ~!「今から入れる保険があるんですか?!」なんてネタも俺以外に聞かせようがない。
そんなことを口走った時、視界の端で緑色のまばゆい光がパーッと広がりそして集束し、その光の中からニョキっと燕尾服を着た羊が生えた。
「メエ…!」とひと鳴き。
羊だ。それはスラリとした二足歩行の羊頭だった。瞳孔は地面と平行で、マーコールのような(あれは山羊でこいつは羊頭だ)らせん状に巻いた角がかっこいい。モノクルメガネをかけていて物静かな様子、どこか気品のある羊だ。コスプレか?こんな状況じゃなかったら撮影してたろうな。俺のスマホはとうにすっ飛んで行って手元にないのが惜しい。
それがなぜか絶賛落下中の俺のすぐ向かいの中空から現れた。まるで重力を感じない、落下中であるはずなのに羊は空に立っており俺と共にゆっくりと空に浮いている。俺と違って風の抵抗は受けていないのがなんだか腹立たしかった。
「今から入れる保険が」と羊。
「あるの?」と俺。
「ないですが」
「ないのか~」
ないなら何しに来たんだよとジト目で羊を見ると、羊はわずかに驚いたように目を見開いて続けた。羊はメエと鳴いたくせに当然のように人の言葉で俺に話しかけてきた。
「意外に落ち着いていますね、突然人の言葉を話す羊が現れたというのに」
「充分驚いてるけど、俺の人生もうすぐ終わるっぽいし…もしかしていつまでも地面にぶつからないのってアンタのせい?」
「はい、せっかくの機会ですのでお話させていただこうかと思いまして」
「溺れる者に藁でも掴ませようって話?じゃあついでに風もどうにかしてよ」
「おや、いいですよ。これはこれは気が利きませんで。ご提案したいことがありまして」
俺に叩きつける強風が止まった。おかげで息がしやすくなった。俺はぶっきらぼうに「あんがと」と礼を言った。
「ご提案ね…なんだい?」
「これからのち1分あるかどうかというところですが、あなたは地面に落下した衝撃で死にます。体が衝撃に耐えられずところどころ破裂したり砕けるかもしれませんね。そしてあなたは失血のショックで死ぬ。死ぬまでの時間は非常に苦しいかもしれません、死ぬほど痛くて辛いでしょうね。(まあ実際は過剰な脳内物質で痛みの感覚がなくなって痛みは感じないと聞きますがそれは教えなくていいでしょう)」
「あ?なんか言ったか?…おう、怖がらせるじゃねえか…で、ご提案てのはなんだい?」
「落下する前に気絶させて差し上げようかと思いまして、その代わりに私どものお手伝いをしていただけませんか?というスカウトに参った次第です」
羊顔がニンマリと口角を上げて笑ったように見えた。羊の笑顔なんて見たことないから推測だ。
「受け入れても断っても死ぬじゃねえか」
がっかりだ。今から入れる保険でどうにか人生の保証をしてくれよ。
「それはそうですね。この状態から助かる提案があるとでも思ったんですか?」と羊頭はきょとんとした顔をして小首をかしげた。かわいい。こんな状況でなかったらよかったのに。ふれあい動物園か何かで体験したかった…そうか?
「こういう時って助けてくれる代わりにスカウトとかするもんじゃねえの?」
「だから気絶をさせて差し上げる代わりに、と言っているじゃありませんか?このまま地面に激突したらきっととっても痛いですよ。死ぬまでの幾ばくかの時間それこそ死ぬほど苦しんで???その前に意識を失うことができるなら、そんなに悪いお話じゃあないと思うんですがね。」
確かになるべく即死が良かった。全身で着地する前に窒息死とか気絶とかでもよかった。目の前の羊頭はそんな選択肢をちらつかせて選択させようとしている。選択肢なんてあってないようなもんだ。これは脅迫に近い。というか脅迫だ。
人は死に瀕した時、驚くほどわがままになるんじゃないか?と思った。俺は羊頭に提案した。
「こんな巻き添えで死ぬのは腹立たしいからお前も巻き添えになるのはどうだろうか?」
「はい…?」
俺は余裕ぶって油断しきっていた羊頭にヘッドロックをかけた。ギリギリギリ…腕で羊頭の首を絞め上げる。腕に当たる毛がごわごわしていて暑い。天然ウール100%の毛皮は真夏には暑すぎる。羊頭はじたばたと暴れていた。中空から現れて悪魔みたいなことを言っていたからてっきりスーパーパワーでも使えるんだと思ったが、体は貧弱らしかった。ただのブラック企業に勤めて精も根も尽き果てたような人間に太刀打ちできないとはね。
「巻き添えで死にたくなかったら、今すぐ決めな。このまま俺と地面にランデブーして死ぬか、俺のしもべになって死ぬまで働くか」
「たかが人間のくせに!こんなことをして無事で済むと思うな!」
羊頭がメリメリと被っていた羊の皮を脱いで中から黒い毛の塊が這い出してこようとしたが、もう遅い。俺は羊頭を抱きしめたままだ。羊頭のパワーが緩んだのか止まっていた時間は動き出した。はためく風が戻り地面が近づいてくる。
「一人で死ぬなんてごめんだね、高みの見物なんかしてんじゃねえよ。お前も死にな!ハハッ」
「嫌だ!死にたくない!嫌だ!やめろ、離せ!」
黒い毛むくじゃらが腕の中から這い出して毛の中から赤い双眸がこちらを睨みつけている。だがもう遅い。
「一人で死ななくてすんだよ、あんがとな」
ドチャ───
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