第9話 不機嫌な贈り物

 朝、夏斗が目を覚ますと、すでにベッドに澪の姿はなかった。

 外ですずめがチュンチュン鳴いているが、そういうことはなかったはずだと気持ちを落ち着かせる。

 ほのかに背中に温もりが残っている気もするが、とにかく夏斗は体を起こした。

 大きく伸びをして息を吸い、窓から射し込む太陽の光を浴びる。

 ベッドが良いベッドなだけに、何とも優雅な目覚めだ。


「さてと……」


 夏斗はパンパンと軽く頬を叩いて、しゃきっと背筋を伸ばした。

 そして部屋を出ようとドアノブに手をかけて、ふと動作を止める。


“何でクラスメイトの女子の部屋で俺はひとり目を覚ましてるんだ……。”


 昨日はドタバタと激動の一日だったせいで、何がなんだか分からないままだった。

 ところが一晩明けて、我に返ってみるとおかしな状況ではある。

 ただ契約書にサインしてしまった以上、考えても仕方ないと割り切った。

 切り替えの早い男、長屋夏斗である。


 リビングダイニングに行ってみると、マグカップを持った澪が食卓に座っている。

 もうすでにパジャマから着替え、すっきりと目覚めた顔をしていた。

 ただマグカップを盛って座っているだけなのに、絵になる美しさがある。

 品性を感じさせるのと同時に、しかし冷たさも感じさせるのだった。

 目が合うと、彼女は無表情のまま小さく首を傾けて言う。


「おはよう」

「おはよう」


 挨拶をかわして、夏斗は澪の前に座る。

 すると澪は、もうひとつ用意してあったマグカップに熱いお茶を注いだ。


「私、夏でも朝は熱い緑茶なの」

「そうなんだ。覚えておくよ。明日の朝からは俺が用意する」


 執事として雇われたはずなのに、主人より遅く起きてお茶まで用意してもらっている。

 これではどっちが上だか分からない。

 あくまでも澪は上下関係なしと言っていたけれど。


「これ、おばあ様から届いてたよ。夏斗くん宛てで」

「俺に……澪のおばあ様から?」

「うん。中身は私も確認してない」


 澪が夏斗に渡したのは、かなり大きめの段ボールに入った荷物だった。

 例によってフロストグループの物流サービスが使われたようで、霜の結晶のマークが入っている。

 宛名には夏斗の名前が、そして差出人には霜乃木麗子の名前が記されている。


「何だろ……」

「カッター、使って」

「ありがとう」


 澪からカッターを受け取って、夏斗は段ボールを開封する。

 段ボールの中には大きな箱が1つと、小さな箱が1つ入っていた。

 そしてその上には、白い封筒が置かれている。

 夏斗はまず封筒を手に取ると、中に入っていた紙を取り出した。


「手紙だ」

「何が書いてあるの?」

「えーっと……」


 流れるような美しい毛筆で書かれた手紙を、ざっと流しながら読む。

 全体を通じて堅苦しい言葉や表現が使われていたが、何とか内容を読み進めることができた。


「簡単に言えば、孫娘をお願いしますって感じかな」

「ふーん、そう」


 あまり感情が出ない澪だが、この度の反応は少し不機嫌に見えた。

 その反応を気にしつつも、夏斗は段ボールの中の箱、まずは大きい方を手に取る。

 白い四角形の箱の中央には、外国のブランドらしきロゴと文字が記されている。


「高そうだな……」


 そう呟きながら開けてみると、箱には黒のスーツが入っていた。

 上着とパンツ、さらに白いワイシャツにネクタイもセットで入っている。

 THE 執事のユニフォームという感じの衣装だ。


「どうやらおばあ様は、夏斗くんの制服としてこれを送ってきたようですね」

「良いところの執事って、こういう高そうなスーツ着てるイメージあるもんな」

「着なくていいよ、そんなもの」

「いや、でもどう考えても高くて着ないのはもったいな……」

「着なくていいの」


 澪は冷ややかに言い切った。

 どうにも霜乃木麗子の手紙を開けた時から、少し機嫌が悪い。


「今は夏だし、クーラーが効いてるとはいえ外に出ることもあるかもしれない。そのスーツで生活できる?」

「うっ……ちょっと苦しいかもしれない……」


 夏服として生地は薄めに作られているようだが、それでも黒の長袖長ズボンだ。

 高級スーツともなれば、まさか腕まくりするわけにもいかない。


「とりあえず、それは衣裳部屋に保管しておくよ」

「分かった」


 夏斗は澪の意見に同意すると、今度は小さな箱の方を手に取った。

 これは中に何が入っているか、持った時点で想像がつく。

 箱は片手で持てるほどのサイズの長方形で、中央にはリンゴのマークが書かれていた。


「アッポー社のマークってことは……」


 夏斗の予想通り、箱にはスマホが入っている。

 それもついこの間に発売されたばかりの最新機種だ。

 横の電源ボタンを長押しすると、ブオンと音がしてスマホが起動した。

 どうやら諸々の設定が済んだものを、改めて箱に入れて送ってきたようで、すでに何通かメールが届いている。

 そのうちの一件は霜乃木麗子からのもので、これから澪への連絡は夏斗を介して行うこと、必要な際はこのスマホに連絡が来ることが記されていた。


「そう」


 夏斗がこのことを伝えると、やはり澪は不機嫌な、あるいはまるで興味がないような反応を返す。

 仕方がないので、夏斗は話題を変えることにした。


「澪、朝ごはんにしようか」

「そうだね」


 淡々とした返事だが、さっきほどの冷たいとげとげしさはなくなっている。

 夏斗はほっと一安心して、霜乃木麗子からの荷物を片付ける。


「あ、そういえばさ」

「どうしたの?」

「昨日の夜のことなんだけど」


 夏斗は澪と目を合わせて、ややためらいがちに尋ねた。


「何も変なことしてないよね?」

「んんん……っ。何もしてないと思うけど……」


 夏斗は自分が無意識のうちに何かしてしまっていないか尋ねたのだが、心当たりありまくりの澪は動揺する。

 しかし精一杯に平静を保って、何もなかったと答えた。


“バレてない……! バレてない……! 夏斗くんは間違いなく寝てたはず……!”


「そっか。安心した」

「う、うん」


“良かったバレてない……。でも安心したって、私にそう言うことされるのは嫌だってことだよね……。”


 厄介な誤解をした澪は、少しがっかりする。

 それでもいつも通りを意識して、夏斗に声を掛けた。


「朝ごはんを食べたら、お願いしたいことがあるんだけどいい?」

「もちろん。何でもするよ」

「ありがとう」


 澪はただお礼をしただけで、何をしてほしいか言わない。


“俺は何をさせられるんだ……?”


 しばらく待っても澪が続きを話しそうにないので、しびれを切らして夏斗は尋ねた。


「お願いって何?」

「うんと……」


 澪は少し間を置いて、1+1=2くらい当たり前のことを言うかのように告げる。


「刺激があってすごく気持ち良いこと」

「……!?」


 夏斗は思わず、手に取ったマグカップを落としそうになったのだった。

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