第四話 悪女の名残
これ以上深く関わってはいけないことくらいスチュアートとて理解していた。これ以上踏み込めば、後戻りできなくなってしまうのは確実なのだから。
――この少女は、僕が求めているオリヴィアじゃない。
力になりたいとオフィーリアは言うが、彼女に何ができるというのだろう。
彼女はひたすらスチュアートの心をかき乱し、仕事の邪魔をしてくるだけだ。しかもその自覚が微塵もないのだからますます性質が悪い。
もしもオリヴィアがここにいれば、本当の意味で力になってくれただろうか。
彼女は才女だった。年齢に見合わぬほど、何もかもを熟知していた。
『オリヴィアはどうしてそんな賢いんだ?』
まだ幼かったスチュアートがそんな風に尋ねたことがある。
すると彼女は確かこう答えたはずだ。
『あなたをお守りするためですよ。私は婚約者として、スチュアート様を最後までお支えしたい。いいえ、お支えしなければならないのです』
今から思えば『氷の令嬢』たるオリヴィアが唯一、熱意のこもった言葉を発した瞬間だった。
どうして彼女はあんなことを言ったのだろう。何か理由があったのではあるまいか。
オフィーリアと出会ってからというもの、よくオリヴィアの言葉を思い出しては、わけがわからなくなる。
結局彼女は、スチュアートを守ることなく、悪女として断罪されこの世を去った。
あの言葉の真相は今からは確かめようもないことだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最初こそ全て断っていたが、あまりにしつこいので、時間が空いている時にオフィーリアとお忍びで出かけることにした。
オフィーリアは普段より控えめなものの、街中では絶対に目立つこと間違いなしの真紅のワンピース。一方のスチュアートはというと地味な色の服を着ていく。
「馬で遠乗りしたかったのに」
「文句を言うんじゃない。僕だって忙しいんだ。それに僕は馬に乗れない」
「あらっ、そうでしたの!? それは知りませんでしたわ。乗馬できないなら仕方がありませんわね!」
不満そうな顔をしたかと思えば、すぐに笑顔になるオフィーリア。
凛としていればオリヴィアのようにきつい美人と評されるに違いない顔も、愛嬌があるように見える。
――可愛らしい。
スチュアートはそんな彼女を横目に密かに思った。
だがその瞬間、胸に重苦しいものがのしかかってくる。
オリヴィアの口付けは呪いとなり、スチュアートを縛り続けている。彼女の表情が、唇の感触が、美声がありありと蘇った。
何年経とうとも、この身を蝕む呪い――オリヴィアの思い出からは決して逃れられない。
悪女オリヴィア・プラウズの名残が、スチュアートの心を掴んで離さないのだ。
嬉しくて、恐ろしくて、悲しくて、幸せで。
ないまぜになった感情がスチュアートを襲い、彼の意識を遠い過去へと連れて行こうとした。
「……様、スチュアート様?」
十五年前のあの夜の情景を鮮明に思い出しそうになっていた時、ふとスチュアートを我に返らせたのはオフィーリアの美声だった。
その声は鈴の音のようでありながら、決して冷たくはない。
何度か彼女に名を呼ばれた後、スチュアートはやっと答えを返した。
「少し考え事を。大したことじゃない」
「そうですの! 何か具合が悪いのかと思って心配しましたわ!」
安心したように笑い、かと思えばすぐに「あちらのお店に行ってみたいですわ!」などと言い出すオフィーリア。
その奔放さはいつも通り過ぎるほどにいつも通りで、なのに胸がざわつく。
その後の街歩きはきっと楽しかったはずだ。事実オフィーリアはずっと笑顔だった。
だが、どうしてもスチュアートは心からそれを受け入れることができない。自分の隣のこの少女がオリヴィアではないと意識する度、そしてオリヴィアの存在を思い返す度に頭がおかしくなりそうになる。
スチュアートにとってのオリヴィアは、憧れの
いつも冷静で、判断は正確。誰にもそっけなく接する割に、なぜかスチュアートだけにはほんの少し柔らかくなる時があった。
恐ろしいほどの美貌をもちながら人を寄せ付けず、だというのに少しも気にする様子のない強い心の少女。その瞳は鋭いと言われていたが全くそんなことはなく、いつも真剣な光を灯していた。
ドレスは青系を好み、亡き母の遺品だという蒼のペンダントを肌身離さずつけていた。――まるで何よりも大切な宝物であるかのように。
頼れる姉のような幼馴染。知らず知らずのうちに惹かれ、初めて恋心を抱いた女性。
どんな悪女であろうが関係なく、ただただ好きだった。
彼女の存在がスチュアートの中から消えることは決してない。ずっとずっと残り続けて、苦しめる。
たとえ、隣にオフィーリアという新たな少女の姿があったとしても――。
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