産業革命時代のユートピア-格差社会の楽園建設-

メグルハ

第1章 まだ幼き頃

1節小さい頃の思い出

両親

僕の一族には先祖代々に渡って紙の言い伝えの聖書があるんだ。


その秘伝書によると、僕は1771年5月14日、北ウェールズのモンゴメリーのニュータウンで産まれた。


その次の月の1771年6月12日にプロテスタントの洗礼を受けた。


僕の父の名もロバート・オウエンって言う。


父さんはウェルシュープ生まれで、

騎馬に跨がる時に必要な馬具の商人で財を成したし、金物商人としても成功したんだ。


このウェールズとイングランドの国境の小さな街で、

その頃は皆このように仕事を副業していたんだ。



父さんはウィリアム家の長女と結婚をしたんだよ。


ウィリアム家は私の子どもの頃は、ニュータウンきっての豪農の一家として知られていた大屋敷の家だったんだ。


僕の母さんはたいそう美人だったらしくて、街中でも評判の美人だったようだよ。


母さんは豪農という地位の高い家柄の割には、物腰柔らかで、心遣いも美しかったんだ。



両親は結婚するとともに、母さんの街であるニュータウンで生活をして、

馬具商人と金物商人を兼ねる住居兼商店を建てた。



また、父さんは馬で旅する伝場駅の宿舎の駅長でもあった。


さらに、父さんは英国国教の宗教管区の仕事も準備万全に滞りなく行っていた。宗教の町内会の会計や仕事をどの住民よりも知っていたと思われた。



私から見た父方の祖父母にあたる父の両親は、

二人とも私が生まれるより前にこの世を去っていた。


祖父と祖母について父さんに、

詳しく尋ねようとはしなかったし、

それにこの時代の道路は非常にガタが悪いもので、

若者でさえ、

ニュータウンとウェルシュープの間を行き来することはなかったんだ。


父方の家については、

あまり覚えがないのだが、

唯一思い出せることは、

父が姉さん女房との話の中で、

自分は500ポンド(1ポンド=130円で65000円)ほどの額の土地を裁判で失った

と言っていたことだ。


その取られた土地のことを調べてみると、自分の方の弁護士が相手方に買収されて負けたという話。


ニュータウンは、ごくごく小さな市場しかない町で、住民も千人に満たない。小綺麗な、こざっぱりした、景観のいい土地にあり、町というよりはむしろ村というべき田舎の村で、商売も一通りのものがあるだけ。工業としては紡績のフランネル機がわずかにあるだけだった。


僕はこの小さな小ざっぱりした村が、不潔な、けれど豪華な、相当の工業都市に変わってしまってからは、ニュータウンには二度と訪れることはなかったな。




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