未来、いつかあるかも知れない日常

JN-ORB

第1話

 閉じた瞼を刺激する白い光にゆっくりと意識が覚醒してくる。




「…お疲れ様でした、これにてトライアルは終了となります。」


 目を開けると真っ白な部屋の中でベッドに横たわっていた。さっきまでいた小汚い宿屋の硬い麻色の硬いベッドではなく、真っ白で柔らかく清潔なベッドだ。最近しばらく嗅ぐことのなかった消毒液のような薬品の匂いが鼻腔を刺激してくる。


「ここは…?」

「記憶の混濁があるようですね。ここは東科技研東京科学技術研究所です。私はこの部屋とあなたを担当している一宮いちのみやと申します。あなたはこちらの時間で約一年ほど前に公営競技委員会が運営を開始する予定のVRMMO「夢幻-MUGEN-」のアルファテストユーザーとして当選し、一年の間仮想現実空間にフルダイブしていました。

 今は2053年7月18日です。体の調子は?起き上がれますか?自分の名前と年齢はわかりますか?電気的筋肉トレーニングElectrical Muscle Stimulationと看護師による定期的ストレッチを行っていたので固着の発生や筋肉の低下は起きていないとは思いますが……。あぁ、ご自身でご自分の身体を動かすのは久しぶりかと思います、焦らずゆっくりと動いてください。」


 記憶の整合性が取れず混乱の渦中にいるが、ゆっくりとベッドから起き上がる。関節が軋むような錯覚をおぼえる。身体が重い。首を回し腕を見ると注射針が刺さっており、その先には液体が入っているパウチが繋がっている。栄養剤だろうか。その他にも全身に色々なパッチが繋がっている。

 少しずつ状況を確認し幾分か経つと、鈍重な身体に徐々に脳が適応し、フルダイブする前の記憶も少しずつ戻ってくる。


 五人家族の三男として生まれ、幼い頃から頭脳も身体能力も平凡以下で出涸らしと親から呼ばれながら生まれ育ち、学生時代も大して冴えず自分の机から動かずずっとスマートフォンを触っているような学生だった。

 そして二流とも言えない三流に限りなく近い大学に合格したと親に報告したら、そのまま高校卒業と共に引っ越し資金と数カ月分の生活費を持たされ追い出され、勉強とレポートに追われながら大学で過ごし、大学の後にはアルバイト先でも使えないヤツと言われながらも必死に学費と生活費を稼ぎ、成績が中の下のような自分では大した企業に内定をもらえるわけでもなく、就職した先も生活費と奨学金の返済をすればカツカツになるような給料しかもらえないような企業のサラリーマンだった。


 そうやって日々を無為に過ごすなんの特徴もないどこにでもいるようなサラリーマンをしていたぼくは、日々生きていくことになんの意義も見出だせなかった。そんな中でいつものようにインターネットサーフィンをしているときに見かけた「国営フルダイブ型MMO、アルファテストユーザー募集!」の広告。


・抽選で1,000名の募集

・応募は成人に限る

・テスト期間は一年間

・現在の就労中の場合は三ヶ月以内に退職し、東科技研東京科学技術研究所に来ること

・医療体制を万全に整えた状態で、身体や精神に不調が起きない限りは仮想空間に365日24時間フルダイブすること

・体調に問題が発生した場合は強制的にフルダイブを終了し診断と治療の実施、復帰が難しいようであれば復職するか運営スタッフとして協力する

・復職する場合は就職先の斡旋を行うこと

・テスト終了後は"十分な保障"が与えられる


 そんな謳い文句での募集だった。日々を無駄に浪費しているぼくにとっては渡りに船で、奇跡的に当選した。


 ……奇跡的に当選したと当時は思っていたが一宮さんが言うには、当選には一定の基準があったようで、その基準とやらは聞いても曖昧に濁されてしまった。恐らく家族環境や現在の環境などの身辺調査を実施した上で一年間以上拘束しても問題ない人間を選んだのだろう。ちなみに募集に対しての倍率は2,000倍を超えていたらしい。


 なんとかクリアになった頭で色々と一年前のことを思い出すことができた。

 そして今日、一年間のフルダイブが終了したというわけだ。

 

 思考に耽るぼくを急かすわけでもなく、ベッドの横に立ち柔和な笑みを貼り付けたまま待っていてくれている人物のことを思い出し、一宮さんに顔を向ける。

「楽な体制で結構です、今から御坂さんにとって大事なお話をさせていただきます。よろしいでしょうか。」

 一宮さんは先程までの柔和な笑みを貼り付けた顔から一転、真剣な顔で話しかけてきた。突然表情が変わったことに若干驚きを覚えるが、表面上は特になんでもないフリを取り繕いながらぼくは先を促す。

「あぁ…はい。お願いします。」


 一宮さんは言葉を紡ぐ。

「ありがとうございます。…あなたには二つの選択肢があります。一つは、このままリハビリを二ヶ月程度実施し、我々が斡旋する就職先へ就職するか、としてテスターのサポートをする職員となること。そしてもう一つは…」

 一宮さんはタブレット端末に顔を向け数拍置き、覚悟を決めたような表情でぼくの方に再度顔を向けて一宮さんは話を続ける。



「もう一つは、このままフルダイブを続けていただく、という選択です。……我々東科技研が試験を終了させるか、あなたの人生の最期まで…。そして、我々東科技研が試験を終了させた時は、あなたの最期となる可能性が高いです。」


 咄嗟に言葉を出すことが出来ず、呆然とする。

 部屋の中に秒針を刻む音が鳴り響く。


「…………えーと…。」

 やっと絞り出せた声はその一言だった。


 一宮さんももちろん即決は出来ないだろうとわかっていたのだろう、言葉にできないぼくに続ける。

「もちろん、こんな大事な決断をすぐに出してほしいとは思っておりません。お答えはすぐでなくて結構です。一週間程度でしたらお答えを待たせていただく準備があります。こちらの端末タブレットに詳細は記載しておりますので、内容をよくお読みいただいて、……そしてよく考えてお答え下さい。」

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