ご都合主義な犯罪
森本 晃次
第1話 阿久津夫婦
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和三年十二月時点のものです。
「ワンワン」
夜中になると、犬の声が次第にこんな声から、
「ウワァン、ウォーン」
と言った、遠吠えのような声が響いてくる。
「犬って、死ぬ前は寂しさからなのか、苦しさからなのか、遠吠えをするんだ。声に力はなくて、かわいそうなくらいに消え入りそうな声で、そんなに無理をするなって言いたくなるんだけど、必死に声を出しているのを見ると、かわいそうなのだけど、頑張っている姿を見ると、余計にその声が悲しく聞こえてくるんだよ:
ということを言っていた人がいた。
普段は閑静な住宅街名だけに、夜のその遠吠えは結構響いている。犬を飼っている男性も、その悲しそうな声を聴いて、最初は
「静かにしなさい」
と、言って静かにさせようとしたが、次第に声が苦しそうになったくるのを見ると、何も言えなくなったのだ。
それから少しして、近所から、町内会長のところに、騒音の苦情が寄せられたと聞いた。そこで、犬の主人は、てっきり、
「うちの犬のことだ」
と感じたようだが、どうやら、犬のことではないようだった。
近所の人に話を聞いてみたが、
「どうも、話の要領がよく分からないんだけどね。どうやら、アムロのことではないようなんだ」
というではないか。
アムロというのは、問題になっている犬であり、その飼い主の方とすれば、一安心であったが、それだけに、苦情を言い出した人がどんな音の苦情を言いに行ったのかが、気になるのだった。
アムロの飼い主は、阿久津啓介。四十五歳だった。家族は、奥さんと高校生になる息子の、漱石である。
漱石という名前は、母親が文学が好きで、特に夏目漱石の作品が好きなので、啓介は少し難色があったが、奥さんに押し切られて、漱石という名前になったのだった。
啓介が名前にこだわったのは、別に偉大過ぎる名前をつけてしまったからだというよりも、
「発想が安直で、そのせいで、何か二番煎じであるかのような名前の付け方が、気に入らない」
ということであった。
さすがに、奥さんにそんなことはいえなかった。もし、自分が命名を頼まれれば、考え込んでしまって、袋小路に入り込み、なかなか名前を決めることができないでいただろう。
結局、奥さんが命名していたことになり、どっちにしても、同じことだったと思うからで、息子の名前には、納得できないという思いを持ちながら、優柔不断な自分を象徴しているかのようで、何となく嫌だった。
ちなみにアムロという名前は、啓介がつけた。一瞬で名前が浮かんだからであったのだが、そのもとになった名前というのは、自分が子供の頃によく見ていたロボットアニメの主人公の名前だったからだ。
名前も恰好いいと思っていたのだが、
「犬の名前くらいは、すぐに考えつくのにな」
と、こと子供の名前となると、どうしても凝ってしまい、姓名判断などに頼ってしまって、自分一人では決められないという思いがあった。
それだけに、いつもさらっと考える奥さんから見れば、啓介の態度は、どこかわざとらしいという感覚になり、
「子供の名前は私が考えます」
と言って、強硬に
「漱石」
で、固まったのだった。
「犬の名前くらいは、俺がつけてもいいよな?」
と、阿久津がいうと、
「いいわよ」
というので、ちょっと考えてから、決まるまでは結構早かった。
「アムロにしようと思う」
というと、
「ひょっとして、アニメの主人公の?」
と言われて、阿久津はニコニコして、
「お前も見てたのか?」
と聞くと、
「いいえ、私は見ていなかったけど、でも、結構有名だったから覚えていたわ。プラモデルなんかも、結構売れていて、今でもプラモを置いているところには、あったりするでしょう?」
というのだった。
「そうそう、その通り」
と、さすがに妻が見ているという願望までは叶わなかったが、彼女の口から、
「あれだけ有名」
と言われると、リアルタイムで見ていて、学校で話題に入れなかったら、村八分にされるというくらい、知名度のある番組だったのだ。
それを褒めてくれたような気がして、まるで自分が褒められているような気分になるのが、心地よかった。
「じゃあ、アムロにしていいね?」
というと、
「ええ、もちろんよ」
ということになった。
後から聞いた話だが、妻にも候補があったようだ。
「ネロ」
とう名前を候補に挙げていたようだけど、それを聞いて、
「フランダースの犬に出てきた主人公の少年の名前から考えたの?」
と聞くと、
「いいえ、そうじゃないの、私は探偵小説が好きなので、昔の探偵小説の中で、豪邸に住んでいる一家がいたんだけど、そこで買われていた大型犬が、名前をネロという名前だったのよ。その犬が事件解決に一役買ったのを見ていたので、それにあやかって、ネロにしようかって思ったのよ」
というではないか。
「どんな種類の犬だったんだい?」
と聞かれて、
「種類は分からないんだけど、番犬として飼っているんだから、結構な大型犬なんじゃないかしら?」
と妻は答えた。
「じゃあ、犬の名前をネロにすればいいんじゃなかったのかい?」
と聞かれて、
「それも考えたんだけど、私は、二文字よりも、三文字の方がしっくりくるのよ。私はなまえが、りえっていうでしょう? 名字が三文字に、名前が二文字って、何となく嫌なんです。旧姓が柏木だったので、四文字と二文字で、バランスがいい感じがしたんだけどね」
と、妻がいうと、一瞬だけ、阿久津が面白くなさそうな顔をしたので、
「まずい」
と思ったのか、
「だから、ネロよりも、アムロの方がいいなって思ったの」
と、自分のことに触れずに、アムロという名前にしてくれたことを喜んでいるのだった。
飼っているアムロという犬は大型犬である。だが、性格的におとなしいセントバーナードで、夫婦二人はもう少し勇ましい犬がよかった気がしたのだが、まだ小さかった子供が、
「この子がいい」
と言って、聞かなかったことで、セントバーナードのアムロが、阿久津家の番犬になったのだった、
セントバーナードは元々救助犬という犬なので、本当は、一番いいのかも知れない。
最初の頃は、アムロが遠吠えする声を、少し鬱陶しく感じていた阿久津だったが、奥さんのりえと、まだ小さかった息子の漱石は、まったく気になっていなかったようだ。
「犬の声、かわいいじゃない。あなたが、ちゃんとアムロに向き合わないからよ。あなたでしょう? 名前を付けたのは」
と、りえから言われて、そういわれてしまうと、何を言っても言い訳にしかならない阿久津は、
「そうだな」
と言って、観念したかのように言うだけだった。
しかし、アムロが次第に大きくなってくるにつれて、かわいく感じるようになってきた。
「子供の頃の方が可愛いのに、お父さん変わってるよな」
と、息子の漱石に言われたが、本心としては、子犬の頃の声が、どうしても耳についてしまって、離れなかったことが、その辛さに繋がっているのだった。
だが、そんな思いを女房子供には言えなかった。
「お父さん、本当に変わっているよね」
と言われかねないからだ。
本人である阿久津には分かっていないが、どうやら、阿久津の行動は、家族から見ても、かなり変わっているということだ。
「家族だから、言ってくれるのであって、他の人だったら、忖度して行ってくれないわよ」
と、りえは言っていたが、まさにその通りだ。
「人間、言ってくれるうちが華で、言われなくなったら、終わりだ」
と、いう言葉が身に染みていたのだ。
もっとの、阿久津も、
「別に他人が、どう言おうとも、俺は気にしない」
というところがあるので、だからこそ、うまくやってこれたのだろうが、さすがに家族に見放されることがあれば、そのショックは計り知れないだろう。
そう思っていると、家族に対しては気を遣ってしまう。
そういえば、阿久津が家族に対して、意見を強行に押し付けたことは今までに一度もなかった。
自分の意見を通そうとすることはあっても、相手に意見があれば、どうしても、相手の意見を尊重する。
逆に表ではそんなことはなかった。
自分に意見があれば、徹底的に主張し、反対意見があっても、怯むことなく、意見を言う。それが、まわりに対しての威圧感であり、相手に何も言わせないという迫力になるのだった。
奥さんがいうように、まわりが愛想を尽かして、何も言わないというわけではなかったのだが、阿久津とすれば、奥さんの言う通り、
「まわりは、俺の意見をまともに聞いてはくれていないんだ」
という思いに至り、そのおかげで開き直ることができているのか、まわりが阿久津に感じている思いとして、
「迷いがない」
ということで、いい意味でまわりは、一目置いているのだった。
奥さんは、専業主婦が長くて、子供が高校生になったことで、昼間はパートに出るようになっていた。
高校生になったといっても、すぐに受験生となる息子には、最大の気を遣う必要があると感じたからか、働き先も、歩いてちょっとくらいのところのスーパーのパートだった。
時間も、朝十時から、四時までという短期時間であったが、ちょうど人手不足ということもあり、採用してくれたのだった。
お客さんも、近所の主婦が多く、知り合いばかりということもあって、気楽なものだった。それでも、ずっと専業主婦だったこともあって、最初は身体を動かすのに一苦労だった。
「家で掃除洗濯と、こちらよりも、きつい仕事をこなしているから、簡単にでkると思ったのに」
と感じていたが、ちょっと考えれば当たり前のことだ。
掃除、洗濯は、毎日の日課であり、ルーティンと言ってもいい。仕事という感覚ではなく、やらないと却って、ストレスがたまるくらいのレベルだったにも関わらず、いきなりの仕事は、
「やり慣れていないことをやっている」
という思いと、何よりも、
「お金を稼いでいる」
という報酬があることに、プレッシャーのようなものがあったのだろう。
それを思うと、最初のきつさは、一つの壁であり、それを乗り越えてしまうと、あとは、「そんなプレッシャーなんてあったのか?」
と感じるほど、楽しくできるほどになっていた。
一つ乗り越えるだけで、こんなにも精神的に違うものかと感じることができただけでも、パートに出てよかったといえるのではないだろうか。
少し話は違うが、以前、アムロを買い始めた時、旦那の阿久津が、アムロの声に、何か違和感のようなものを感じていたのを思い出した。
阿久津には気づいていることを知られないようにしようと思っていたが、さすがにできず、逆に軽くスルーする形にしたのだが、その時の阿久津の心境を、この時、りえは感じたような気がした。
「あの時、あの人も、最初は違和感があったアムロの声を、なるべく感じないようにしようとして、苦虫を噛み潰したような雰囲気だったけど、そのうちに何も感じなくなってきた。あれは、今の私のように、壁を乗り越えた感じになったからなのかしらね?」
と感じたのだ。
りえは、今回の壁を乗り越えたことは、慣れに繋がっていると思うようになったが、あの時の阿久津もきっと、慣れてきたのだろうと感じた。
アムロが、声変りをして、嫌な音声ではなくなったからだと思っていたけど、それだけではなく、彼が慣れてきたからなんだと思った。
しかし、普通なら、嫌なものはずっと嫌なはずで、慣れてくるということはない人だっているはずなのだが、それが、そうではないというのは、
「壁を乗り越えた」
という思いが、無意識かも知れないが自分の中にあるからだろう。
その思いがなければ、慣れというのは生まれないものだと、りえは感じていて、あの時の阿久津を思い出せば、
「自分もパートを、このまま続けられるという自信を、初めて感じられるようになったのだ」
と、感じるようになったのだった。
パートに出るようになって、本当に最初の頃は、筋肉痛もあったりして、家での家事がかなり億劫になっていた。
ひどい時は、頭痛が辛くて、寝込んでしまうこともあったが、
「そんなに辛かったら、パート辞めれば?」
と夫が言わなかったことが、後から思えばよかったのかも知れない。
もし、下手にそれを言われて、その言葉に少しでもなびいてしまうと、きっと張りつめていた気力の糸がプッツリと切れて、本当に続けられなくなっていたかも知れない。
そうなると、精神的にどうなっていたのか、想像もつかないくらいで、ひょっとすると、家事もできなくなっていたかも知れない。
もちろん、ずっとではないが、少しの間そんなことを感じていると、そこで起こってくる自己嫌悪に耐えられない状態となり、もし、少しでも似たような状況になると、その時の記憶がよみがえってきて、トラウマが顔を出すかも知れない。
せっかく、立ち直っても、一度でも逃げ出したという意識が残れば、自分の繰り返しばかりの人生の中で、何度くじけそうになるかというのを考えると、
「いい加減に同じことを繰り返すのは、どんなにつらいことなのか?」
ということが分かるというものである。
あの時、阿久津はそのことも分かっていて、奥さんに何も言わなかったのだ。
以前の阿久津だったら、奥さんに、
「パート辞めれば」
と簡単に口にしていたかも知れない。
それが、旦那としての優しさだと感じていたからで、その優しさを、与えるのが自分の旦那としての役目だと思っていた。
しかし、そんなことをすれば、旦那としての圧となって、却って、相手の自由意思をくじいてしまうのではないかと思ったのだ。
阿久津は、時々筋肉痛で足が攣ることがあった。そんな時、苦しんでいるのをなるべく見せないようにしているのだ。
変に、
「大丈夫?」
などと言われると、せっかく痛みを耐えようとしているのに、それが無駄になってしまう。
無駄になるどころか、心配された時点で、気合が一気に抜けてしまう気がするのだ。気合が抜けてしまうと、堪えようとしている痛みに逆らえなくなってしまう。
足が攣る時というのは、大体わかるもので、
「それは当然、自分の身体なのだから」
という意識があるからで、どこで力を入れたり、抜いたりすれば一番自分が楽なのかということは分かっているつもりだった。
しかし、そこでなまじ心配などされてしまうと、意識が勝手に楽な方に向いてしまう。そうなると、一度気を抜いてしまうと、取り戻すことは不可能で、いかに苦しみが抜けるまで耐えればいいのかということが分からないのだ。
今までにこんなに分からなかったことはなかった。いつから足が攣るようになったのか覚えていないが、どうも最初から、足が攣った時に、どのように力を入れればいいのか分かっていた気がした。
それだけに、未知の世界での痛みを堪えるということが恐怖でしかないのだ。自分で最初から分かっていたというのは、遺伝子の力によるものなのかも知れないが、それだけ、
「最初から分かっていないと、耐えられるものではない」
という意味で、
「神様が遺伝子を通じて与えてくれたものではないか」
と感じるようになった。
そのおかげもあってか、足が攣った時の対処法は、痛みを耐えるというのはつらいが、最小限の苦しみで耐えているような気がする。子供の頃は、なかなか慣れていなかったので、痛みを堪えている間、呼吸もできなくて、身体を少しでも動かすことができないくらいであった。
しいていえば、
「痛みはすぐに治まる」
というのが分かっていることだけが、救いだったといってもいい。
やはり、声を掛けられるのがどれほど辛いのか、身に染みて分かっているような気がするのだった。
だから、奥さんが苦しんでいる時の様子を見ていて、
「ここで自分が下手に声をかけると、りえはきっと自分を見失ってしまうに違いない」
と感じたのだった。
もし、そうなってしまうと、一歩間違えれば、家庭崩壊につながりかねない。いくら、りえが我慢しようと思ったとしても、自分を抑えることはできないような呪縛を与えてしまったのが自分だと気づいた時、
「俺は一体だれを恨めばいいんだ?」
と、まずは、自分の保身から考えてしまった。
そんな自分を決してあまり好きではない阿久津は、なるべく家族を見るように考えていた。
そういう意味で、実は、
「りえが、パートに出たいと言った時、どこか甘く考えているようで、それが気になっていた」
と思っていたが、その予感が的中したように感じた。
これまで、十数年も専業主婦をやってきた人が、急にパートに出るというのは、思ったよりも厳しいと思っていたのだ。
阿久津は、専業主婦を決して甘くは見ていない。
「毎日家事に休みはない。しかも、会社員のように、拘束時間が決まっているわけでもないし、給料がもらえるわけでもない。やって当然という思いがまわりから感じられると、本人も、やって当然という思いが募ってきて、それがストレスになるんじゃないか?」
と思っていた、
確かに、急にパートに出るというのも、辛いことだろうと思ったが、それよりも、今までの、
「やって当然」
というストレスを少しでも解消するには、気分や環境を変えるのが一番だ。
だから、パートというのも、そういう意味で悪いことではない。阿久津は、そう思うと、
「パートに出てみたい」
と言ったりえを心配しながらも、
「気分転換になれば」
と思って、送り出したのだった。
「何よりも、自分で仕事をして、お金をもらうということの悦びを感じてくれればいいのだが」
と感じたが、まさか、このお金をもらうということが新たなプレッシャーに加わるとは思っていなかったことが、計算外だったといえるだろう。
「お金を稼ぐのって、大変なのね」
と、皆がよくいうセリフを呟いたが、感じていたことと実際に口に出した時の心境が、ここまで違うとは思ってもいなかったのだ。
そんなパート先で、だいぶ慣れてきた、りえだったが、今度は、阿久津の方が、最近、また足が攣るようになった。
ほとんどが、寝ている時に、急に来るのだが、そんな時は、目をカッと見開いて、その痛みを堪える自分を思い浮かべるだった。
声を押し殺して、りえに見つからないようにする。額に脂汗が出るほどなのだが、堪え方は自分で分かっているので、何とかなるのだった。
痛みを堪えていると、りえは、スヤスヤと眠っている。それに気が付くと、足の痛みが徐々に緩和されていくのだが、だからと言って安心はできない。
そこで気を抜いてしまうと、足がけいれんしている状態なので、今度痛みがくれば、その時の痛みは最初の倍増であった。
二度目の痛みを堪えるのは、結構大変である。なるべく二回目を起こさないように気を付けるようにしている。
足が、ひくひくしていると、そこで呼吸を止めることが、痛み回避の一番だった。二回目が襲ってくると、一回目のように、りえの顔を見るという神通力は通じないのだ。だから、痛みが起こってから収まっても、そのまま寝ようとはせず、一度トイレに行くことにしている。
立ち上がる時は、本当に痛くて耐えられないのだが、それを堪えて、少しでも歩くと、硬直している筋肉がほぐれてくるのか、それとも、足の痛みが慣れてくるのか、どちらか分からないが、何とか耐えられるのであった。
そのおかげで痛みに耐えられるようになり、二回目を起こすことが減ってきた。それでもその一回の辛さは、二日ほど続く。それでも、歩いていれば筋肉がほぐれてきて。いつの間にか痛みを堪えられるようになる。
最初は、ふくらはぎを少しでも触ると、筋肉の筋が、血管のように浮き上がってしまっていて、触ると、ドックンドックンしているようだ。
だが、必要以上に触ると、また足がひくひくしてきて、足が攣るという状況を生み出してしまう。
表で足が攣ると、まわりは、事情も分からずに、寄ってきて、
「おい、大丈夫か?」
と騒ぎ立てるに違いない。
これが一番本人の避けたいことであり、恐ろしいことだと思うのだった。
あれだけの痛みを示せば、普通なら、まわりにいる人は黙っているわけはない。救急車を呼ぼうとする人も出てくるだろう。
それは必至になって、止めなければいけないと思うのだ。痛みを堪えているのに、そこに下手に救急車が来て、せっかく痛みが治まっている時に、あれこれ触られたりして、また二度目のけいれんが起こってしまっては、本末転倒だというものである。
しかも、これ以上騒ぎが大きくなると、精神的なプレッシャーから、予期せぬ足のけいれんが起こるかも知れない。
予期しているから何とかなっているというもので、予期せぬことが起これば、どうすればいいのか、想像もつかない。
だから、救急車などという本当に大げさなことにはされたくないのだった。
気にかけてくれた人には、
「大丈夫です、少しすれば痛みは治まりますから」
といって、まわりをなだめるのだが、考えてみれば、傷んでいる自分がまわりをなだめるというのは、滑稽なことであり、逆に考えれば、
「必死になっているのは、自分本人だけなんだ」
ということになるだろう。
そんな阿久津と、妻のりえは、
「似た者同士だ」
と言っていいだろう。
りえが、阿久津の夜中足が攣っているのを知っていながら何も言わないこと、そして、りえがパートで辛い思いをしているということを分かっていて何も言わない、阿久津氏。
この二人は、本当に相手のことをうまく思いやっているのだろう。
今の時代、
「三人に一人は離婚している」
と言われている時代に、夫婦というものを長くやっていける秘訣なのではないかと感じるのだった。
「この人がいるから」
と、それぞれお互いに対して感じていることだろう。
だが、二人が感じているのは、微妙に違っていて、それが、却っていいのかも知れないと、それぞれに感じている。
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