乙女三年会わざれば恋すべし!

楠富 つかさ

本編

北国の年末は凍えるような寒さだった。

 杜の都と称されるその街で少女は一人、十二歳まで過ごした故郷のことを思っていた。


「瑠璃子や、高校はどうするつもりかえ?」

「おばあちゃん、あたし空の宮に帰ろうと思う」

「住むところはどうするんじゃ?」


 田舎の米農家らしい大きな平屋の、長い廊下。そこで雪の降る空を見つめる少女に、祖母がやさしく問いかける。


「寮のある学校があって、そこへ行こうと思う。……あいつも、そこにいるみたいだし。玻璃真のこと、お願いね」


 九鬼瑠璃子、十五歳。小学校を卒業するころ、医療従事者である両親は海外へ飛ぶことに。幼い姉弟はみちのくの祖父母の家へ。そして少女は、東海の生まれ育った町へ帰る。再会という花がほころぶまで……もう少し。



 日本一の高さを誇る霊峰そのふもとで栄える街、空の宮市。

 公立私立問わず個性豊かな学校を擁する教育特区である。

 市内に本社を構える最も大きな企業、それはアパレルからコスメ、健康食品それらの小売に加えてタレント事業まで手広く行う複合企業・天寿である。そんな天寿の経営者の母校であり、経営不振のところに介入し自ら理事長となった学園が市内唯一の女学園、星花女子学園である。

 中等部と高等部を擁する星花女子は完全な中高一貫校ではなく、高等部からの入学者もいる。中等部から星花女子に通っている日辻かえでは、新しい自分のクラスを見渡す。


「おーい、かえちゃん。今年も同じクラスだねぇ。また大きくなった?」

「せっちゃん……またセクハラ?」


 小比類巻世知は、かえでの去年そして今年のクラスメイトであり、二人は同じ料理部に所属している。世知は見た目こそ清純派な美少女ではあるが、無類のセクハラ魔であり、豊満な身体のかえではしばしば被害にあう。


「もう~せっちゃんはダメな子でちゅねえ」


 もっとも、ちょっとしたボディタッチやスキンシップは仲の良さの証左で、かえでも本気で嫌がる素振りは見せない。


「やっぱりかえちゃんのは一大きさも柔からさもトップクラスよねえ。最高の揉み心地だよ」

「うぇひひひひ」


 頭のねじがちょっとずつ足りない二人に、外部生いわゆる高等部から入学した新入生たちはやや遠巻きに、そして引き気味に見ていた。九鬼瑠璃子もそのうちの一人だったのだが……。

 出席番号順に並ぶ席で瑠璃子は窓から二列目、後ろから三番目の席に座っていた。かえではクラスの中央あたりに席があり、世知がかえでの席から離れ自分の席、瑠璃子の二つ後ろへ近づいてくる。そうすると、瑠璃子からかえでの姿が見えるようになり……その姿を見て瑠璃子ははたと席を立ちあがった。

 そんなタイミングで担任の女性教諭が教室に入ってきたため、瑠璃子はいったん自分の席に座る。


「初めましての方も多いと思いますが、この一年三組を担当します。依田朝霞です」


 三十を少し過ぎたかという女性教諭は、柔らかな笑みを浮かべながら自分の受け持つクラスを見渡す。

 左利きの依田教諭が自分の名前を黒板に書く。その薬指には指輪が嵌められており、外部生の一部生徒が色めく。そんな少女たちの反応に、視線を一身に受ける先生は気づかずにはいられないのだ。


「あはは、うーん。ここじゃ既婚の先生ってそう多くないからって珍しがらないでよ」


 人好きする笑みを浮かべつつ、依田教諭は続けて副担任の教師を紹介する。


「あぁ、どうも。人畜無害でおなじみ化学と地学が担当の榊祐太朗です。人妻な依田先生と同じクラスが受け持ててうれしいです」

「……はい、私には有害そうな榊先生と古典担当の私で一年間このクラスを受け持たせてもらいます。ところで、学級委員に誰か立候補してくれませんか?」


 苦笑いを浮かべる生徒たちの中で、一人素早く挙手する生徒が。窓側最前列の彼女を見て、依田教諭もかすかにうなずく。ほかに立候補者もいないようだ。


「一木さんなら頼もしいわね。じゃあ自己紹介してもらっていい?」


 立ち上がった少女はきれいな黒髪をハーフアップに結っており、一礼するとふわりと髪がなびいた。


「一木愛夢です。よろしくお願いいたします」

「じゃあ、そのまま一番から自己紹介してもらおうかしら」


 そうして順調に自己紹介がされていったのだが、事件は突然起きた。


「九鬼瑠璃子です。よろ――」

「やっぱりるりちゃんだー!!!!!!!!」


 瑠璃子の自己紹介を遮る勢いで立ち上がったかえでが、その長い手足を存分に活かして瑠璃子に急接近する。そしてそのまま、


「わー小さいままだぁ。変わらないねぇ。ちっちゃい、かわいい、最高だよ~。ぎゅー!!」


 かえでが瑠璃子をきつく抱きしめる。身長差から瑠璃子はかえでの胸に押しつぶされるような形になり……。


「は、な、せ! でか……く、苦しいぃ」


 もがもがと小さな体をよじる瑠璃子、決して離そうとしないかえで。呆然とする周囲。流石に大人として依田教諭はすぐさま我に返り、かえでに自分の席に戻るよう促す。ひとしきり抱きしめたのち、少しは落ち着いたかえでが席に戻ると、


「えっと、纐纈すみれです。よろしく」

「いやぁ、目の前ですごいもの見ちゃたよ。どうも、小比類巻世知でーす」


 そこからなんとか普通に自己紹介をする流れを取り戻したものの……後々までこの日をオリエンテーションの衝撃と呼ばれる事件としてクラスメイトたちの記憶に残るのだった。



 そんな記憶に残るオリエンテーションを終え、星花女子学園の初日は放課となった。まだ午後の早い時間ということもあり、かえでは瑠璃子を学内のカフェテリアへと案内することにした。面白そうだという理由だけで世知もついてきた。そんな世知に瑠璃子が問いかける。


「……誰なの?」

「私は私だよぉ。哲学は苦手」


 そういうことじゃないと言外に示す瑠璃子に肩をすくめる世知。


「私はかえちゃんの友達だよ。料理部で一緒になったんだよ」

「あんた料理なんてやるの?」


 小学生時代の調理実習の記憶を手繰り寄せる瑠璃子。記憶の中のかえではお世辞にも手際がいいとは言えなかったはず。そんなかえでが料理部に、しかも三年間も所属していたなんて瑠璃子には思えなかった。


「その時の部長さんが美味しいもの食べさせてくれるって言うから入ったんだよ~」

「ちな私もその部長に誘われて入った。理由は当然おっぱい大きかったから!」

「いや聞いてないし」

「ちょっとるりちゃん。私にあたり強くな~い? 泣くよ? おっぱいの偉大さをわかってないんじゃない? るりちゃん薄っぺらいし。あぁでも今年の委員長は破廉恥苦手だし目の前には生徒会役員いるし……ちょっと窮屈だなぁ。でもね! 大きなお胸は!」

「だまらっしゃい。てか、るりちゃんって呼ぶな」


 熱弁を始めようとする世知をぴしゃりと制すると、今度はかえでが口を開く。


「るりちゃんは部活入るの?」

「そうね……囲碁将棋部が気になるくらいかしら。もともとボードゲームとか好きだし。もっとも、本当に囲碁と将棋しかやっていないなら考え物だけれど」

「確かに。るりちゃんってオセロとかなんだっけあれ。カタンだっけ。ああいうのが好きだもんね」


 後に囲碁と将棋しかやらないと判明し瑠璃子は幽霊部員と化すのだが、それはまだ先のこと。かえでと世知が料理部のことをひとしきり瑠璃子に話していると、


―ぐぅ~―


 誰からともなくお腹がなってしまった。


「さすがにお腹すくよね。カフェテリアにいるんだし、何か食べようよ」


 世知の提案に、かえでが待ったをかけた。


「実は、るりちゃんが戻ってきたら一番に行きたかったお店があるんだよ。フェブラリーって喫茶店覚えてる?」

「もちろん覚えているわよ。なに? まだあるの?」


 フェブラリーは星花女子学園からほど近い商店街で、ひっそりと店を構える喫茶店。瑠璃子とかえでが両親と通った思い出のお店だ。


「あるよ~。今は女の人がマスターやってる」

「そっか。おじいさんはもういないんだ。でもやっぱ気になる。行こうか」

「思い出のお店なんだね。じゃあ、私はここいらでお暇するかな。ごきげんよう」

「うわ、本当にごきげんようなんて言うんだ……」


 カルチャーショックを受ける瑠璃子だったが、かえでが言う人もいるし言わない人もいるよと教えてあげたため事なきを得たのだった。



 学園のカフェテリア世知と別れ、商店街へとやってきた瑠璃子とかえで。商店街には星花女子学園に通う生徒らも多く訪れるほか、商店街の看板娘たちも住んでおり、かえではいろんな人から声をかけられる。


「あんた、そんなに知り合いがいるのね」

「えへへ~。みーんな、お友達だよ!」

「そ。あんまり道草しないでよね」


 自分の知らない三年間のかえでに少しもやもやとした気持ちが沸き上がる瑠璃子は、ふいにスマートフォンに手を伸ばす。そしてふと気づく。


「そういえば、かえではスマホ持ってないの?」

「ふぇ? 持ってないよ~。学園に入ってすぐの頃はちょっと使ってた時期もあるけど、すぐ壊しちゃった。そしたらパパが、もうちょっと大人になってから持とうねっていうから。それっきり」

「……そっか。まだまだお子様だもんね」

「えへへへ。小学校の卒業式からちっとも変わってないるりちゃんに言われると、なんだか恥ずかしいよ~」

「ちょ! それ! どういう意味よ!!」


 瑠璃子とかえでの身長差は約三十センチ。普通に歩くかえでを瑠璃子は小走りに追う。そうしてお店の前までやってきた二人。


「こんにちは~」

「いらっしゃいませ。お二人ですね。お好きなお席へどうぞ」


 店内には時刻も二時近いということもあってか、コーヒーを飲む客がまばらにいる程度だった。雰囲気こそ落ち着いたものだが、だからといって背伸びしているわけでもなく、女子高生二人がふらっと立ち寄っても迎え入れてくれる温かさが店内には漂っていた。


「るりちゃんメニュー決まった?」

「え? そうね……うん。決まったわ」


 かえでが手を挙げると、店員がテーブルへ向かう。その姿に瑠璃子があっと驚く。


「あれ? 見たことあるような……って、クラス委員さんじゃない!」

「あら。クラスメイトの……九鬼さんと日辻さんですね。注文は何になさいます?」


 現れたのは瑠璃子とかえで、そして世知のクラスで委員長になった一木愛夢だった。注文を済ませてから事情を聞く二人。


「実は大事なお友達と少しでも一緒にいたくて、それでわたしもこのお店を手伝うことにしたんです。ほら、あそこにいる子。違うクラスになっちゃったので猶更、お店での時間を大事にしたいんです」


 厨房でせわしなく働くマスターと一緒に、お会計やお皿洗いといった仕事をせっせとこなす一人の少女。愛夢と彼女の出会いはまた別のお話。


「ふぅん。あの子とは仲良くできそうね」


 胸元だけを見て呟いた瑠璃子を察して、愛夢がそそくさと席を離れる。


「にしたってあんた、ナポリタンにオムライスにミックスフライまで頼んでたけど、それ全部食べるつもりなの? あとメロンフロートも」

「もちろん。るりちゃんこそピザトーストとコーヒーだけで平気? というかコーヒーはブラックで飲むの? びっくりだよ~」

「だってコーヒーはブラックが美味しいじゃない? ……ねぇ、気づいたんだけどオムライスにナポリタンに揚げ物って実質お子様ランチじゃない?」

「……ばれた? でも美味しいんだも~ん!」


 実際、出された料理はどれも絶品で。かえでが注文した料理もすべて彼女の胃に収まった。挙句デザートにパフェまで完食したが、お会計は女子高生二人がおののくような額にもならず、二人は満足した様子でフェブラリーを後にした。



 その帰路で、話題は瑠璃子の住処になった。


「るりちゃんっていつから空の宮こっちに戻ってきたの? あと、前の家に一人暮らしする感じなの?」


「そうね……先週くらいだったかしら。桜咲いててびっくりしたわ。あと、あの家は賃貸に出しているから、あたしは寮暮らしよ。桜花の方。なんでもルームメートはぎりぎりまで実家に帰省しているから、顔合わせは今日だそうよ」

「そうだったんだ!! でも意外だな~。るりちゃん頭いいんだし、菊花にだって行けると思ってた」


 星花女子学園には一般的な二人部屋の桜花寮と、学業または部活で成績優秀な生徒が入れる一人部屋の菊花寮がある。入試で優秀だった寮希望の生徒にも、菊花寮入寮の許可が出るのだが。


「試験の時に緊張して全力が出せなかったのよ。ま、ちゃんと勉強して定期考査を頑張ればきっと来年には一人部屋よ。それまではルームメートとも、ちゃんと仲良くするけど。あんまり変じゃない人だったらいいのだけれど」

「あはは~。星花女子はけっこう変わった人が多いからね~。せっちゃんとかあれで案外まともな方だよぉ?」

「は? あんな、おっぱいのことしか考えてないようなのがまともって……まともじゃないわぁ……。ていうか、かえではどこに住んでるの?」

「えへへへ。わたしも桜花寮だよ~。ママがね~、ちょっとは自立しなさいよって言うから。でも寮生活ってすっごい楽しいし、るりちゃんもいてくれたらもっと楽しくなっちゃうね」


 ご機嫌な様子でそう語るかえで。とうとうスキップまでしだしたかえでを駆け足で追いかける瑠璃子だったが、


「ちょ、かえで! もう! 相変わらずマイペースなんだから!!」


 春の空が少しずつ夕焼けに染まる頃、二人は桜花寮まで戻ってきた。


「あんたはどの部屋なの?」

「それより先に、るりちゃんのお部屋に行こうよ。るりちゃんのルームメートさんに挨拶しなきゃ。うちの子がお世話になりますってね」

「誰が、誰の子よ。ま、あたしもルームメート気になってたし、さっさと顔合わせしちゃいましょうか」


 そう言って二人は瑠璃子が先週から入居した一室にやってきた。部屋に入ると、そこにあったのは瑠璃子の私物と、瑠璃子の見知らぬ大きなスーツケースがあった。


「あ、これがルームメートの荷物ね。にしても、まだ戻ってないのかしら。どこをほっつき歩いているのかしらね。……かえで?」

「るりちゃん……」


 振り向いた瑠璃子を、かえでがそっと……朝の自己紹介の時よりだいぶ優しく、それでもぎゅっと包むように抱きしめる。


「わたしだよ。るりちゃんのルームメート。嬉しすぎてちょっと忘れたけど、るりちゃんと話してて思い出したよ。えへへ」

「もう……どんだけ緩い頭してんのよ」

「だって。三年も離れ離れだったるりちゃんと、これから三年間毎日同じ部屋で、おはようからおやすみまでずーーーっと一緒なんだよ。嬉しくて嬉しくておかしくなっちゃう」

「これ以上おかしくなられちゃ困るわよ……」


 そんな憎まれ口をたたきながらも、瑠璃子はそっと両手をかえでの背中に回し、あやすように撫でてあげた。


「だって、るりちゃんのこと大好きなんだもん。けどね、会わない間に別人みたいに……オトナなお姉さんみたいになってたらどうしようかと思ってたけど、全然変わってなくて、それがすっごく嬉しくて、もっともっとるりちゃんのこと大好きになっちゃった」

「何よそれ。あたしがちっちゃいから好きなの? まぁ、あたしだってかえでが心配で空の宮まで戻ってきたわけだし、別にいいけどさ。にしたって、あんたは大きくなりすぎ。でも……すぐにかえでだって分かったわよ」


 言葉こそ少し不満げなものだったが、その声色はとても優しく慈愛がこもっていた。


「えへへ~。るりちゃんがね、勉強頑張って菊花に行っちゃいそうになったら、めいっぱい甘やかして阻止しちゃうもんね~。こうやってね」


 再び瑠璃子を抱きしめるかえで。そんなかえでの頭を撫でながら、瑠璃子は諭すような声で言った。


「ばかね。甘やかすのはいっつも、あたしの方じゃない。それに……あんたと二人部屋なら、無理に菊花になんて行かないわよ。勉強はちゃんとするし、させるけど」

「うぇひ、もう、嬉しいこと言ってくれちゃってぇ。……ねぇ、ちゅーしていい? 小学生の頃と違う、オトナのちゅー」

「ば! ばか! そんなの……聞いてからするもんじゃないでしょ。ほら、膝ついて」


 夕日で二つの影が伸びている。それが一つに重なった時、再会の花は満開となり、恋という実を結ぶ。

 男子三日会わざれば何とやらとは言うが、ならば乙女は? そんな問いに二人はこう答えるだろう。乙女三年会わざれば恋すべし、と。



おしまい。

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乙女三年会わざれば恋すべし! 楠富 つかさ @tomitsukasa

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