第28話

 毎日、寝転んでスマホをいじって、寝て、少し起きてという無目的な生活をしている内に、何だか最近では風呂に入ることも苦痛になってきた。外に出ることなどないので身だしなみなんてはなから考える必要も無い。

 丁度一年前の今頃は高校の卒業まであと僅かという、何となく落ち着かないような、寂しいような、未来への希望がわくような多感な時期を過ごしていた。それに引き換え今は、気持ちの抑揚が全くなくなった。一体自分はどうなってしまったんだろうと思う気力さえも無い。


 ふと、部活の時一生懸命に練習していた「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」をスマホで検索してみた。フルートはケースに入ったまま、部屋の隅で埃をかぶっている。何でも、この曲が挿入されている歌劇の結末は、不倫をした男性が最終的には不倫相手の夫に殺されてしまうという話で「報いの曲」とも呼ばれているらしい。しかし、この不倫相手の女性と殺された男性は元々は付き合っていたそうで、殺された男性が兵隊となって戦地に行かなければならないから、やむなく離ればなれになり、その間女性は他の男性と結婚、戦地から帰った男性は失意の内に別の女性と結婚したという、どこか切ない話である。


 「私は、あの人のことを奪いたいと思った。だからその『報い』でいまこうなったの?でも、結局は何もしていないのに。」

 そんな、混乱した難しい思いがふと胸にわいてくる。

 でも

 「私はあの人を未だに愛している。」

 一日中、家はおろか、部屋からも出ることなく、何一つ面白いこともない毎日を過ごしながらも、想いは逆に強くなっている気がする。


 あの人を想う気持ちだけが自分が今生きている証で、それがなくなれば自分の存在自体もなくなる。

 「でも、きっととうの昔に私の事なんて忘れているだろうな。」


 1階から声がする。

 「里莉ちゃん。たまには買い物にでも行ってみない。」

 母親だ。最近私が閉じこもりがちになっているのを心配してか、何かにしろ口実を付けて私を外に出したがっているのだ。たまには、外に出るのもいいかもしれない。


 「でも、どこか静かなところがいい。」

 「分かったわよ。里莉ちゃんの好きなところでいいから。」

 ということで、母の車に乗って、山の中にある湖に行くことにした。街中は知り合いに出会いそうなので行く気になれない。やつれてしまった自分の姿を見せたくない。

 ほんの少しだけオシャレをしてみようと思う。自分の中にそんな心がまだ残っていたことに驚く。何となくベージュ系の服を着てみる。似合っているのかどうかも余り認識できないが、過去の自分の経験から冬らしいもの、あの湖の湖畔にあいそうなものを選んでみた。


 湖畔にある公園の雑木林を母親と落ち葉を靴で踏みならしながら歩いた。ここは、私が幼稚園に通う頃から家族で散歩に気に入っていたところなのだ。少し古びた遊具がある。そう言えば

 「小さい頃あのキリンの形をした遊具に跨がってあそんでたなぁ。」

 その写真が家のリビングに未だに飾ってある。

 満面の笑みを浮かべて写真に写っている。

 あの頃と、今では心がことごとく変わってしまった。

 自分の心が汚れてしまっていることを見せつけられているようで余計に辛くなる。

 「ねえ。母さんもう帰ろ。」

 「そうね。里莉ちゃん。」

  


  

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