シャウラの猟犬
たいてい
第1話
(くそ、くそ、腹が立つ…!!)
馬の腹を蹴りながら、シャウラは憤っていた。
彼の趣味の遠乗りである。装備は軽装で、供をするものはなく彼ひとり。なだらかな
シャウラはこの国の王子である。
王妃は半年前に流行病で亡くなり、彼女に星の
星の国は、占いの国。
特に王侯貴族と
星の国という呼び名は、星の魔力とその導きによって大陸の覇権を握ってきたこの国の誇りであると同時に、占いばかりを重んじることへの
さてその星の国において、シャウラは生まれ落ちてすぐ、
(この者は特に、火星との結び付きが強く見えます)
(災い、争い、あるいは死。そういった不調和を絶えずこの国にもたらす者です)
王もこの卦を重んじ、すぐに別の後継ぎを立てようとした。しかしその後、王妃の子は複数流れ、ついに結実することはなかった。信心深い王や貴族たちの目には、まさしく何かの呪いのように映っただろう。
加えて、この半年で王妃と王が相次ぎ亡くなった。当然、国は荒れている。加えて今年は冬が長く、不作の地域も出るだろう。
(よもや、冬の長ささえも俺の星の定めと言い張るつもりもなかろうが)
とはいえ、さすがに己の立場が危ういことは幼きシャウラとて感じとらぬではない。
(最近では、正当なる王子である俺を差し置き、別の者を王に推す声までも堂々と上がりやがる)
(くそ、腹が立つ、腹が立つ!何が星か!王家の血よりも占いを重んじるか、愚か者どもめ!!)
苛立ちに任せ、馬を飛ばす。
降り注ぐ午後の日差しは穏やかで、周辺には強力な魔物の出現情報もない──とは、数少ないシャウラが信用する家臣の言葉である。であるから、供の者は途中で理由をつけて追い払った。
日暮れまでには城に戻らなければという気はする。しかし気が引ける。もう少しだけ遠くへ、遠くへと心が急かすまま馬を駆る。
要するにシャウラは冷静さを欠いており、一人になる時間を必要としていた。
「……飛ばしすぎたか」
気付けば、シャウラは山あいに入り込んでいた。
「静かなところだな」
馬を降り、辺りを見回す。
あたりには低木が多い。傍らには涼やかな
穏やかな風景を観察しているうちに、シャウラの心も落ち着きを取り戻してきた。
(馬鹿な家臣の発言に我を忘れるなど、俺らしくもない。愛馬にも無理をさせたことだし、そろそろ戻るか)
ぼんやりとそう思ったところで、シャウラは「ぐるるる」という気味の悪い
「……マッドウルフ」
マッドウルフ。群れを成す狼型の魔物で、体長2mから3mほど。黒く分厚い毛皮の下には、獰猛な牙を持つ口がある。
魔物としては中から上位に該当し、一人で倒せれば冒険者として一人前とも言われる魔物である。シャウラの前に現れたのは、その数四体。
(どういうことだ。この辺りには強力な魔物は出ないはず。いや、俺の方が入り込みすぎたか)
シャウラは馬の手綱を握り、じりじりと後退する。
その時である。獣の匂いに馬が当てられたか、シャウラの手綱を逃れようと暴れ、あろうことか魔物の群れのほうに突っ込んで行ったのである。マッドウルフがそれを逃がすはずもなく、わっと馬の身体に食らいつく。
血飛沫が舞う。毛皮を裂き、臓器を引きずり出す。
「ひっ……う、【ウォータ】!」
シャウラは咄嗟に両腕を前に突き出し、短い呪文を唱えた。下級の水属性攻撃魔法である。
シャウラには大した魔法適性はないし、強力な杖を手にしていた訳でもない。当然、一体のマッドウルフの前でぱしゃんという小さな水飛沫を上げたに留まったが、そのひとしずくが運悪くマッドウルフの目に入った。
しまった、とシャウラが思う間もなく、その個体が口を大きく開けた。
──狂声。太い遠吠えが森に響く。ほぼ同時、数え切れぬほどのマッドウルフがシャウラを取り囲んだ。どうやら一切の手心は加えぬということらしい。包囲網がシャウラを取り囲み、突撃をかける。
(くそ)
(凶星と読まれ立場を追われ、挙句この末路がこれか)
(何も、何も為していないまま、この俺が)
ここまでか、と目を閉じた、その時である。
「【ファイア】」
火属性の下級攻撃呪文だ、とシャウラは思った。声の主は男性。通りかかった冒険者だろうか。しかし、マッドウルフは下級呪文で対処出来る敵ではない。まして、敵は無数の群れだ。
いずれ彼も囲まれるに違いない。シャウラはぎゅっと目を閉じ、せめてその惨状を見ないようにとつとめた。
水音が爆ぜる。
──その後、耐え難いほどの沈黙。それを打ち破ったのは短い溜息であった。
「そこの、いつまで怯えておられる」
「……は?」
あまりにも平静な声音に、シャウラは恐る恐る目を開けた。
眩しい、と思った。
川辺に一人の男が立っている。
瞼の裏に焼き付くほどの白。無理もない。川辺には魔法の名残である火の粉が舞い、その中央に立つ男には、光を反射する、白く大きな一対の翼があった。
(鳥型の獣人……、違う。いや、まさか)
(天使か)
恐る恐るシャウラは立ち上がり、男に近寄る。
周囲を見渡しても、そこにはわずかな塵しか見当たらない。もはや魔物の匂いも息も途絶えている。
「おい、これはお前がやったのか」
シャウラはあらためて、眼前の男を観察する。黒い外套に垂れる赤い髪は長く、睫毛に縁取られた金の瞳が水滴を弾いている。
なんと言っても背の翼、そして頭上の光輪が目立つ。天使と言えば伝説とも言っていい生き物であるから、初歩的な魔法で魔物を一掃してしまうような不思議な力があってもおかしくはない。
好奇心と恐怖が入り交じった目で男を見つめるシャウラに、男の目がきゅっと細まり、低い笑い声が漏れた。
「助けられた相手にお前が、とは。今の下界の王子は、随分な物言いをなさる」
「なんだと」
シャウラもついかっとなったが、すぐに引っ掛かりを覚え、黙り込んだ。
(こいつ、俺を王子だと知ってやがる)
シャウラの胸中を知ってか知らずか、男はシャウラに背を向け、独り言のように言う。
「初代のリゲル王などは杖の一振りでドラゴンを倒したほどの魔法の使い手だそうですよ。それを思えば今の王家は、魔法の面でも精神的なでも、ずいぶん質が落ちたようですね」
「……お前、誰だ。名は」
「名というほどのものはありませぬが。天界では
(やはり)
シャウラは確信した。
──遥か遠く、天空。浮遊大陸に住まうとされている種族、天使。
下界に接触したことはほとんどないため、半ば伝説のように人々の間に囁かれているばかりの種族だ。背には白き翼、頭上には金の輪を持つ。
下界の人の危機に訪れ、これを救うとする説もあれば、下界の罪を裁定し、世を正しく導こうとするともされる。
「ではアレスと呼ぼう。天使が、何故ここに」
「少しばかり『おいた』が過ぎまして、堕天の罰を負ったまでのことでございます」
「堕天」
肩を竦め、可愛らしくおどけてみせる天使を見て、シャウラはますますもって混乱した。
よく見れば、アレスの頭上の光輪は割れている。天使が下界に降りてくることは時折あると聞くが、堕天という言葉からするとより重大なことがらのようにも聞こえる。少なくともアレスの知る限り前例のあることでは無い。
「いやまさか、堕ちた先で王子が魔物に襲われ──、おやもしや、襲われているやもと思いお助けいたしましたが、魔物とお戯れだったのでは。お邪魔でしたでしょうか?」
「……。いや、うむ。オレは寛大なのだ。許そう」
「恐縮でございます」
しかしこのアレスという天使、口調こそ丁寧だが、どこか楽しむような光を宿した目は、とてもこちらを敬っているようには見えない。むしろ、からかって遊んでいる風なのだ。
「ご満足いただけましたか。早く立ち去ったほうがいいですよ。日暮れも近うございます」
「あ、うん。……いや、少し待ってくれ」
視線をさ迷わせ、手頃できれいな白い石をひとつ手に取ると、愛馬の
「うん、……よし。行こう」
「ああ、馬もないとなれば不便でございましょう。送っていきましょう」
「は?」
「何、天使はね。なべてこどもには優しいものですよ」
失礼します、と一声かけると、アレスはそのままシャウラを抱きかかえ、──飛んだ。
「ふぁっ」
「暴れると危ないですよ」
「な、なな、な」
一時は肝の縮む思いもしたが、なにしろシャウラも十歳の少年である。アレスが振り落としもしないことがわかればすぐに慣れて、小さく見える眼下に目を輝かせた。
「まだ名乗っていなかったな。俺はシャウラ。この国の王となる男だ」
「存じておりますよ」
シャウラはアレスの軽口もほどほどに流して、過ぎ去っていく景色を眺めた。
──地上が遠い。西日がゆっくりと沈んでいく。王城が長い影を落とし、掲げられた国旗がはためいている。首を回せば、周辺の小さな村々の家屋や畑、ゆるりと帰路を歩く家畜の類、国境近くの砦などまで見える。
ごうごうと風の唸る音がする。空を移動するのは、馬を駆るよりもずっと、ずっと早かった。
シャウラはなんとも言えぬ、愉快な気持ちだった。世界がこんなに小さなものだと、他の人間は誰も知らないだろう。
アレスはそんなシャウラを見て、何かを考えたのち、シャウラを片手で抱え直す。少年がうぉ、と呟くのも構わず、アレスは一点を指さした。それは夕日の沈みゆく地平線だった。
「殿下はご存知でしょうか。天界が空に持ち上がるよりいくらか前の話ですが、この世界は昔、七つの巨大な都市があり、一つの国が治めていました」
「……ほう」
まるでおとぎ話のような言葉だった。天界が空に持ち上がるより前の記録、星の国の正当な祖とされるリゲル王が即位する前の記録など、この大陸のどこにも残っているはずはない。
それでもアレスは見てきたかのようにそう言うので、シャウラもきっとそうなのだろうとぼんやりと思った。
「天界とは、どこにあるのか」
「どこ、と言われますと難しいですね。おそらくこの大陸の上空一万mあたりでしょうか」
「遠いな」
シャウラは頭上を見上げ、目を細める。雲より高い天界の影は、見えない。
「この空に比べると、この大陸程度、あまりに狭いものよな。なぜ、これすら思い通りにならぬのか。なぜ、このような小さな世界で民は苦しむのか」
「そのような考え方もございましょうな」
振り返り、城を
アレスもそれに目を留め、シャウラに尋ねる。
「あれが殿下のお居いですか」
「……いや。あれは神殿。俺が住んでいるのは、その隣の城だ」
「では、あの辺りで降りましょう」
「ああ。……だがその前に。アレス。お前、堕天したということは、行く先がないのではないか?」
「……、まぁ、たしかに行く宛てはございませんね」
「この国は、いや大陸は、腐敗している」
この時シャウラは、はっきりと言い切った。家臣ですらないただ一人の堕天使に向かってだ。
「星に縋り、地の民を見ていない。俺は、この国を、変えたい。お前、堕天した天使だと言ったな。その力をこの国のために振るう気はないか」
「……」
着地に備えてと強く抱えられたシャウラに、アレスの表情を伺うことは出来ない。
やがて聞こえたのは、ひそめた笑い声だった。シャウラの心臓が跳ねる。己を運んでいた天使が、いつの間にかどこぞの村の悪戯好きな少年にでも成り代わったのではないかと思ったのだ。
「面白そうでは、ございますが。ひとつの国にあまり深く関わることは天界の掟には反しますね」
遠回しな台詞の中に傲慢ささえ滲ませ、かつて破戒と制定の天使だったものは言う。
「故郷を裏切るのであれば……、私は、殿下の意思が知りとうございます」
彼が微笑んだのが、この時、シャウラにもわかった。
「私があなたに従うと──そうなれば、何を見せてくださるか」
シャウラは拳を握りしめる。その目には、沈んでいく西陽がうつっていた。
「俺は」
シャウラは一対の翼に抱かれて、空へと手を伸ばす。宗教画の一場面めいたその姿は、今後の歴史においてもまた、神話のように語られることとなる。
「星を、堕としてさえみせよう」
「その意気でございます」
──星にのぞまれぬ王シャウラと、元上位天使でありながら地上の王に仕えたアレス。
二人の始まりを見守っていたのは、他ならぬシャウラが憎んだ、黄昏に浮かぶ空の星々であったという。
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