第20話

 翌日、次の町へ移動しようと家を出たら、大勢の町の人が立っていた。

 引き止める気なのかとアーセタは身構えたが、もし、この人たちがケーニワベレを引き止めてくれたら人の治癒から解放されて、このまま二人でゆっくり暮らしていけるかもなどと、頭の片隅で考えている自分がいた。

「この度は大変お世話になりました」

 中心にいた確かこの都市の市長だった壮年の男が、大きな声で言うと深く頭を下げた。

「お世話になりました!」

 その直後、後ろにいた大勢の町人たちが一斉に声を張り上げて頭を下げた。

「このご恩は一生忘れません!」

「忘れません!」

 再び市長が大声で頭を下げて、町人がそれに続く。この地域で何処よりも忙しいこの町で、朝から晩まで働く人ばかりの町の人が、その貴重な時間を割いて駆けつけてくれた。

 いつもならもう様々な職業の人たちが色んな仕事を始めていて、喧騒に包まれている時間帯だったが町は静寂に包まれていて、全員が駆けつけてくれたのではと思えるほどだった。

 それも治癒を求めて引き止めるためではなく、ただお礼と見送りのためだけに……。

 これがケーニワベレのやってきたことなのだ。アーセタは胸が奥底から熱くなった。

 本人は困っているようだったが、町の人たちの「また寄れよ」とか、「困ったことがあったら今度はおれたちが助けに行くぜ!」とかと言われて、微笑みを返している。

 アーセタとケーニワベレが並んで隣町へ行くために、町の大通りを歩いていく中、通りの両端に町の人たちが列を作って並び、歓声を上げて二人を見送ってくれた。

 花束を渡してくれる人や花びらを降らしてくれる人もいて、まるで英雄の凱旋のようだった。

 アーセタは自分がここを歩いていて良いのか戸惑ったが、みんながケーニワベレを称えてくれているこの場に水を差したくなくて一緒に進んだ。

 町の出口が見えてきた頃、一人の青年が町の外から慌てた様子で飛び込んできた。

「大変だ! ボロッタにガス弾が打ち込まれたぞ! メリーナの新型兵器実験の標的に選ばれたんだ。軍まで出動して町中大騒ぎだ!」

 それまでの和やかな雰囲気が一変して、辺りは一気に剣呑な空気に支配された。

「状況は! 町の町民はどうなったんだ!」

「分からない! 町は軍に閉鎖されていて状況は不明だ。だけど、かなりの数が出ていた。

 ただ、ボロッタはもう終わりだ。次はこの町が狙われるかもしれないぞ」

「えっ……」

 男性の言葉にアーセタは頭が真っ白になって呆然と呟いた。ボロッタとはこれまでアーセタたちがいた町であり、アーセタにとっては家族の住む故郷である。

 国境沿いにある小さな町であり、国外のものが軍事基地にしようと攻めて来たこともあった。

 どうやら今回は新兵器の性能実験か、専制布告として攻撃を受けたようだ。

「ッ!」

 気付いたらアーセタは走り出していた。家族や町の人の顔が脳裏を駆け巡る。

「待ちなさい! 何処に行こうというんだ! 今から行ってももう遅い!」

 町の人にすぐに捕まってしまい、取り押さえられてしまった。

「離して! おかあさんが! スダヌーが!」

 アーセタは腕を振り払おうとしたが、町の人は痛いくらいに腕を掴んでいて振り払えない。

「今、君が行ったところで犠牲が増えるだけだ! 行かせるわけにはいかない!」

 町の人に低くて強い口調で制されるが、それで諦められるわけがない。アーセタは必死で男の手を離させようとするが、町の人に囲まれて自分の町に行くのは絶望的な状況だった。

「アーセタ。大丈夫。僕が行ってみんなを助けてくるから。だから、アーセタはここにいて」

 人垣を掻き分けて、ケーニワベレが近付いてくると、微笑んで言った。

 ガス兵器を撒かれた場所に彼が行ってしまったら、樹皮の侵蝕が急進的に広がってしまう。

「だめ! あなたが行くことない! あなたを追い立てた場所なのよ?」

 アーセタはケーニワベレに手を伸ばして必死で止めようとした。

 しかし、ケーニワベレは穏やかに微笑むと、頭をゆっくりと左右に振った。

「助けられる人がいるのに助けないのは、僕にとって消えてしまうより辛いことなんだ」

「いや! 好きなの! 人間とか人間じゃないとかそんなの関係ない! あなたがあなただから好きなの。だからお願い! 傍にいて?」

 必死で引き止めるアーセタを、ケーニワベレは柔らかな微笑みを浮かべたまま見返してくる。

「もしも僕がただの人間で、使命のない世界で君と出会えていたのなら、ずっと一緒にいることを選んだ。君は僕に生きる喜びを教えてくれた人だよ」

 ケーニワベレは手のひらでアーセタの頬を包み込むように撫でながら囁いた。

「行かないで!」

 ケーニワベレの手に頬を摺り寄せながら、握り締めて訴えるが、ケーニワベレはアーセタの手から自分の手を引き抜くと、踵を返して背中を向けた。

「僕が守るよ。例え二度と抱き締めることも、話すことも、見つめることさえできなくても、僕は君と、君の大切な人を守り続ける。だから笑って。そして、幸せになって」

 最後に町の人に「彼女を頼みます」と一声掛けると、ケーニワベレは歩き出した。

 どんどん遠ざかって行く彼の背中が、水の中にいるように歪んで見える。

「ケーニワベレ! お願い! 帰ってきて! お願い……」

 アーセタには、その背中に向けて声の限り叫ぶことしか出来なかった。

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