セイント

ふんわり塩風味

第1話

 高い山脈の麓にある小さな集落にある教会に、長い人の列が出来ていた。

 普段は畑仕事を終えた農家のおじいさんやおばあさんの憩いの地になっている場所だが、今日は老若男女問わずに大勢が詰め寄せている。

 その中には、いつもは家や病院で安静にしている、病人や怪我人の姿まで見られた。

(あれ? 今日は教会でなにかあったかな? 高名な神父様が来てるとか?)

 買い物帰りの赤い髪をポニーテールにした、グレーのワンショルダージャンバースカート姿の少女、アーセタ・リルイは不思議に思って教会の中を覗き込んだ。

 それほど大きくない教会の最奥にある、祭壇の前に一人の青年が立っているのが見えた。

 金色の髪を腰の辺りまで伸ばした、深緑のズボンに白いシャツを着た長身の青年だ。

 体型から男性だと判断したが、男のようにも女性のようにも見えて、またそのどちらにも見えない。

 まるで芸術品のようで、天から舞い降りて来た天使ではないかと疑ってしまうほどだった。

 青年は金色に光る手で町の人に触れた。すると、光が町の人に移って強く輝いた。

 次の瞬間、光を受けた人が立ち上がり、飛び跳ねて喜ぶと、何度も青年に深く頭を下げてお礼を言っているようだ。

 あれは確か、仕事中の転落事故で脊髄を負傷して立てなくなった、大工のカビーだ。

 自分では、寝返りも打てないほどの重症だったはずだが、なぜか自分の足でちゃんと立っている。

 カビーはなんで急に治ったのだろうと不思議に思い、アーセタは教会を覗き込んでいた。

「おいっ! ちゃんと並べよ!」

「あっ、ごめんなさい」

 野菜を運んで腰を痛めた八百屋のベルセビアに睨まれて、アーセタは入り口から離れた。

(邪魔にされちゃった。見てただけなんだけどなぁ)

 それ以上見ていると、また違う人の叱られてしまうかもしれない。教会の中で起きていることには興味があったが、とりあえず家に帰ることにした。


 長い歩道を進んで行くと、朽ちかけた木の柵に囲まれた古い木造の一軒家が見えて来た。

 アーセタはここで、両親と年の離れた弟の四人で暮らしている。

 祖父が建て、築五十年は経っているこの家はお世辞にもおしゃれとは言えず、床や屋根、水周りなどにすぐに異常が出て、頻繁に修復が必要である。

 それでも両親には思い出の深い場所であり、リフォームなどをする素振りはない。

 建て付けの悪いドアを開けてアーセタは家の中に入った。

「ただいまぁ」

 家に入ると、奥から弟が泣いている声が聞こえて、アーセタは慌てて家の中に駆け込んだ。

 弟のスダヌーとは年が十も離れていて、まだ七歳だ。

 そのくせ好奇心が旺盛で、できることとできないことの判別も付かず、なんでも真似をしたがる。そのため、よく無茶をしては怪我をして泣いている。

 ちょっと買い物に出掛けただけだったし、家には母親もいた。それで安心して出掛けたのだが、どうやらまたなにかやらかしたらしい。

「スダヌー、どうしたの?」

 アーセタは泣いている弟の身を案じて、声がするリビングへ飛び込んだ。

「うぅ……。ねぇちゃん……。かぁちゃんが……」

 ソファーの前で蹲っていたスダヌーが振り返って、アーセタに涙声でしがみついてきた。

「おかあさんがどうしたの?」

 アーセタはスダヌーを落ち着かせるために髪を撫でながら、母親の姿を探した。

 二人の母親は持病を持っていて、普段は元気だが一度発作が起きると命にも関わる。もしもまた発作が起きてしまっているのだとしたら、すぐに医者に診せなければならない。

「お母さん!」

 母親はスダヌーが屈んでいた、ソファーに横になっていた。胸を押さえて、苦しそうに荒い呼吸をしている。恐らく、アーセタが出掛けている間に発作が起きてしまったのだ。

「薬は!」

「ない……」

 泣きじゃくっているスダヌーを邪険に押し退けるわけにも行かず、優しく髪を撫でながら一緒にソファーまで行き、母親の顔を覗きこんで状況を確認した。

 いつもの発作の時の症状が出ている。やはり起きてしまったのだ。

「ないって、いつも予備で家に置いてるじゃん。引き出しになかった?」

「ない」

「そんなはずは!」

 アーセタは立ち上がると、念のためにいつも薬がしまってある引き出しを探してみたが、スダヌーの言う通り薬はなかった。薬を切らしてしまったのだと頭では分かっているのに、アーセタは焦ってそれを認められず、あるはずだと引き出しの中を探し続けた。

「ねぇちゃん、かぁちゃん死んじゃうの?」

 アーセタから離れず、きつく服の裾を握り締めてスダヌーが聞いてきた。

 その言葉がアーセタを冷静にさせてくれた。自分は姉だ。しっかりしなくちゃいけない。

「大丈夫だよ。お母さんはお姉ちゃんが助けるから! スダヌーはお母さんに着いててあげて。

 ほら、手を握ってあげると、お母さん少し楽になるみたいだから」

 視線をスダヌーに合わせて、優しく髪を撫でてやりながらアーセタは微笑んで言った。

「うん! かぁちゃんはおれが守る!」

 スダヌーは顔を上げてアーセタを見つめ返すと、涙で濡れた顔で力強く頷いた。

 勿論、手を握ると楽になると言うのは口を衝いて出た言葉だったが、泣いてばかりでいたスダヌーが元気になったのを見ると、あながち間違いでもなかったと思った。

「うん。それじゃあ、お姉ちゃんはお医者さんを呼んでくるね」

 アーセタは冷静を装ってリビングを出ると、慌てて廊下を駆け抜けて外へ飛び出した。

 スダヌーの前だったから必死で押さえていたが、母親の発作は一刻を争う。一秒でも早く医者に処置をして貰わなければならないのだ。

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