第118.5話 姫様、折檻のお時間です その壱【前編】

「姫様、折檻せっかんのお時間です」


 乗馬用の鞭が「ピシッ!」と立てる。


 冷酷な無表情で妾を見下ろすのは、女官長のヘレン・フォン・ミュンスターじゃ。


「のうのう、ヘレンよ。そろそろこの荒縄を解いて欲しいのじゃ」


「なりません。これから折檻なのですから」


「妾も外の様子が気になるんじゃがのう?」


 庭の方からは歓声が聞こえて来る。


 そろそろヴィルヘルミナとドロテアの試合が始まるんじゃろう。


 じゃが、ヘレンの奴は「わたくしが代わりに拝見しておきます」とさっさと窓際に移動してしまった。


 あくまで『折檻』の体を崩すつもりはないらしい。


 外に目を遣り、しばし様子を窺った後、「まあ……」と声を上げた。


「どうしたんじゃ?」


「ヘスラッハ卿が敗北なさいました」


「ほう? 一太刀くらいはお見舞いしたんじゃろうな?」


「いいえ。ヴィルヘルミナ様にすべてかわされました。最後はヘスラッハ卿の身体に隠れて詳しくは分かりませんでしたが、喉元に剣を突き付けられたようにございます」


「ドロテアの剣をすべて躱したじゃと!?」


「ヘスラッハ卿の剣は、近衛の女性騎士の中でも屈指の豪剣と伺います。わたくしは剣術に明るくありませんが、素人目で見ても、容易く躱せるものでないことは明らか。ヴィルヘルミナ様の実力は推して知るべし、かと……」


「ううむ……。『ホーデン・ツェシュトゥーア』の名は看板倒れではなかったか……!」


「本気で欲しくなられましたか?」


「うむ……! 本気で欲しゅうなったわ!」


 思わず大きな声が出てしまう。


 ヘレンがすかさず「しっ!」と口元に指を立てた。


「お静かに……。わたくし共は、折檻の途中なのですよ?」


「おっとそうじゃった……。オホン……。ぬおおおおおおおおっ! き、貴様っ! ヘレンっ! どういうつもりじゃ! そのしからん軟体生物をどうするつもりじゃ~!」


 とりあえず、折檻を受けている風を装って叫ぶ。


「……もう一声」


「む……。分かった……。オホン……。ぐふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお…………ガクンっ」


「気絶の音は余計です」


「様式美という奴じゃ」


「必要性を感じません」


「分かっとらんのう? これも『コボルト皇女』を飾る演出のようなものじゃ。こういう道化じみた言動が相手の油断を誘うのよ。今回の妾の演技も素晴らしかったじゃろ? 姉皇女殿下の書状を捏造し、お側付き女官長を出し抜き、騎士と二人で辺境へ逃避行……。無軌道で勝手気ままな皇女を見事に演じたであろうが?」


「九割九分は元よりのご性分が成せる業では?」


「こりゃ! それじゃあ『コボルト皇女』そのものじゃろうがっ!」


「そう申しました。さあ、駄弁はこれくらいに致しましょう……」


 ヘレンが妾に顔を寄せ、さらに声をひそめた。


「サイトー卿の正体、姫様はお分かりに?」


「主も聞いたじゃろう? 異世界人じゃと」


「冗談に付き合うおつもりですか?」


「妾は真実じゃと思うぞ。我らとは名と氏を逆に並べる、名誉に対する異常なまでの拘り、なにより奴の持っとる剣がすべてを物語っておる。ホーガン様の言い伝え通りじゃ」


「そんな言い伝えは初めて伺いました」


「そりゃあ帝室の秘中の秘じゃからのう。皇族でも何人が知っておるか……」


「ホーガンも異世界人……なのですか?」


「間違いない。そして帝室の記録には、ホーガン様の故郷についていくつかの地名が書き記されておる。『キョウ』、『クラマ』、『バンドウ』、『ミチノク』……そして『ヒノモト』じゃ」


「……サイトー卿のご領地の名、ですね?」


「そうじゃ。正確には『ヒノモト・ミノノクニ・ミノグン』と言うとった。おおかた、『ヒノモト』が国の名。後は地方の名や都市の名、なんじゃろう」


「……何かの偶然と言うことは?」


「主は『ヒノモト』なる地を知っとるか? あのような剣を使う民族を知っとるか? あの服はどうじゃ? あ奴らが使う『マナ』とか『カナ』とかいう文字も目にしたであろう? あんな字を見たことがあるか?」


「………………ございません」


「帝国大学を飛び級で卒業した才媛が知らんのじゃ。あとは誰に尋ねる? 帝大の教授陣か? それとも辺境に隠遁いんとんしとる賢者にでも聞いてみるか?」


「そこまでせねば仔細が分からぬ土地など、たとえこの世界の何処かだとしても、異世界も同然です」


「そういうことじゃな」


「わたくしはまだ信じられませんが、仮にホーガンが異世界人であるなら、帝室はどうしてその事実を秘匿しているのですか?」


「ふむ? 分からぬか?」


「予想はつきます。答え合わせがしたいだけです」


「熱心なことよ。まずは主の考えを聞かせてみい」


「帝室にとって都合が悪いからです。建国直後、祖帝陛下を神格化するため、正史の創作が行われたことは姫様もご存知でしょう?」


「言葉を飾る事を知らん奴じゃな……。もちろん妾も知っとるが……。あまり大きな声で言うでないぞ?」


 ヘレンは「分かっております」と眼鏡の位置を正すが、どうにも怪しい。


 帝国大学を追い出されたのは、己の舌禍ぜっかが原因じゃとわかっておろうに……。


 妾の心配をよそに、ヘレンは話を続ける。


「正史創作の目的は、祖帝陛下の偉業を喧伝けんでんし、衆望を集めるためです。その過程で、祖帝陛下を偉大に見せようとするあまり、建国に大功があった者の存在は矮小化され、あるいは存在そのものを消されました。ホーガンもその一人です。彼が異世界人だと知られれば、魔王討伐の勇者伝説と結び付けられ、祖帝陛下を凌駕する英雄に祀り上げられてしまうかもしれません。だからこそ、ホーガンの詳細に関わる情報は帝室にとって秘中の秘、なのです」


「ほとんど満点よ。その通りじゃ。ホーガン様の存在は帝室にとって不都合そのもの。中でも出自が異世界人っちゅうのは厄介この上ない話じゃ」


「魔王討伐の勇者も、異世界から召喚されたと伝わりますからね」


「じゃからこそ、ホーガン様は一度そのご存在を消された。建国直前に戦死なされたことを利用してな。じゃが、伝説は生き残った。当時の人々にとって、ホーガン様のご活躍はあまりにも鮮烈であったんじゃろうよ。ホーガン様は消え去るどころか、ご活躍に尾鰭が付き、実像は歪められ、伝説は肥大化していったのじゃ」


「帝室は肥大化した伝説を消し去ることを諦め、むしろ建国物語に取り込み利用した……というところでしょうか?」


「そういうことじゃ。消せないなら徹底的に利用するっちゅうことじゃな。ホーガン様を忠勇無比な祖帝陛下の騎士に祀り上げ、胡散臭い逸話をこれでもかと作り上げた。あとは想像力を逞しくした民衆が勝手に創作を重ねてくれる」


「いつの時代も人間がやることは変わりませんね。建国の当時も、さぞや頭の回る官吏がいたのでしょう」


くて、ホーガン様の真実は歴史の彼方に葬りされ訳じゃ。帝室がだまくらかそうとした民衆の手によってのう。なんとも皮肉なことじゃわい」


「ところで、どうしてこの話を姫様がご存じなのです? 皇族方であっても、知る方は限られているのでしょう?」


「決まっとる。宝物庫に忍び込んで勝手に見た」


「十二の少女に破られる宝物庫とは……。嘆かわしい……」


「これは九歳の時の話じゃ」


「嘆かわしさに拍車がかかります」


 ヘレンは初めて表情らしい表情を浮かべた。


 冷酷そうな無表情が、さらに冷酷さを増しよった。


 薄暗い室内で、眼鏡が「ギラリっ!」と光る。


 眼鏡が鳴らしてよい音ではなかろう!


 恐いわ!


「しかし姫様。サイトー卿が異世界人だとすれば、予想外の事態です」


「じゃのう……。ちょいと戦上手な異民族くらいに思うておったが、そんな単純な相手ではなさそうじゃ」


 ヘレンの眼鏡が再び「ギラリッ!」と光った。

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